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棗はあのあと先生ときちんと進路について話をして、就職のまま自分の夢を進むことを決めた。
それからは展開も早く、琥珀の料理の師匠がいると言うレストランに就職が決まり、棗は学業とバイトの傍ら自動車学校にも通い始めた。
それと同時に棗は施設を出た後の家を探していたのだが、しばらくは琥珀のカフェがある2階に住まわせてもらえることになったらしい。
ここで『一緒に住む?』という言葉が蜜夏の喉から出かかったけれど、自分から言いそうな棗からも言われていないので、蜜夏は言葉を飲みこんだ。自立した生活という経験も人生には大事だし、そういう経験がより棗を強くしてくれるだろう。
甘やかすことだけが優しさではないし、愛ではない。もしも棗がどうしようもないと頼ってきたら、その時は助けてあげたらいい話だと自分を納得させた。
そして今日、25日のクリスマスから棗が再び蜜夏の家に泊まりにくるのだ。
「蜜夏、今年も寂しい男同士で飲み行くか?」
「パス。用事ある」
「クリスマスに!?ほら、やっぱり恋人じゃん!恋人できてんじゃん!なんで紹介してくんないの!?」
「恋人だとは言ってない。響也はそうやって騒ぐから教えたくないの!」
思い返せばここ数年は色んなイベントを寂しい独り者同士、響也と一緒に過ごしていた気がする。でも今年の蜜夏はクリスマスを棗と過ごす予定だし、年末年始も彼と一緒に過ごすからと実家には帰らないという連絡をした。
家族にもフォークに転換したことは伝えていないから帰り辛かったので、棗が来てくれると寂しくない年越しになるだろう。
「恋人じゃないって言うには無理があるよ、杏先生?」
「なに?」
「顔、によによしてるけど。今からものすごく楽しみにしてます!みたいな顔してる」
「……してない」
「してるっつーの」
響也から指摘され、緩んでいる頬を隠すようにマフラーを首に巻き付ける。またなんやかんやとうるさく言われる前にスタッフのロッカールームをそそくさと出ると、それに気がついた響也が「あ、コラ蜜夏ー!」と叫んでいたが足を止めずに蜜夏は車に乗り込んだ。
そしてそのまま真っ直ぐ家に帰ると、玄関には自分のものではない靴がきちんと揃えて置いてあって、リビングから香ってくる料理の匂いに心がほわっと温かくなった。
「蜜夏さん、お邪魔してます。おかえりなさい」
「ただいま、棗くん。いい匂いするね」
「クリスマスなので、ちょっと張り切って作りました」
「あ、ラザニア。確かブランのおすすめ料理だったよね」
「です。俺は店ではあんまりキッチンに入らないですけど、作れるので」
「嬉しい!ありがとう」
「……へへ、そう言われるだけで嬉しいです」
クリスマスだからと気合を入れて豪勢な食事を作ってくれていた。匂いだけでも美味しそうで、また久しぶりに空腹感を感じてくる。やはり棗が作ってくれると匂いだけでもどうしてこんなに美味しそうに感じるのだろうか。
「お世話になります、蜜夏さん」
「その代わりにいただきます、棗くん」
とろっとしたチーズに甘酸っぱいトマトソース、それに濃厚そうなホワイトソースという見た目から美味しそうで、一口食べてみるとその美味しさがより口の中に広がった。
「うーん…」
「どうしました?美味しくなかったですかね……?」
「あっ、いや、ごめん!すっごく美味しい、ありがとう!棗くんっていつもフォーク用の栄養剤と混ぜて作ってくれてるんだよね?」
「そうです、味付け代わりに」
「いつも棗くんからもらう"味"は甘いのに、ラザニアはちゃんと塩味がするなと思って……」
「ああ、それって、フォークの好きな味覚に変化するって聞いたことがあるんですよね。だから"俺"のことは蜜夏さんの好きなショートケーキみたいに甘い味で、ラザニアは"ラザニア"を意識して食べるから、塩味がするんじゃないですか?」
「なるほど……!」
蜜夏はフォークなのに、自分のことで知らないことだらけだ。ケーキの味が自分の好みの味に変化するということさえ知らなかった。
「ふは、なんか、俺が先生に授業してるみたい」
「うん、すごく先生っぽかったよ、棗くん」
棗と出会ってからの蜜夏は、今まで知らなかったことをたくさん知れるようになった。
フォークに転換したと知った春は人生のどん底を味わった気分だったけれど、それからたくさんの変化があって、前の自分よりも自分を好きになっていると感じる。
フォークやケーキについてまだ知らないことも多いが、こうやって一緒にいればこれから先も知れることはたくさんあるだろう。良いことも悪いことも棗と一緒なら知っていくのも怖くないと思えた。
「そういえば、クリスマスプレゼントがあって」
「えっ!そんな、わざわざ…すみません」
「おれがしたかっただけだから、気にしないで。えっと、これ…クリスマスって感じのプレゼントではないんだけど……」
一応ラッピングだけは自分でクリスマスっぽい仕様にしてみたが、中身は全くクリスマス感もなんなら色気も何もない。
でも、今の棗に蜜夏がプレゼントしてあげたいものだったのだ。
「う、わあ……!これ、本当にもらっていいんですか!?」
「うん。受け取ってもらえたら嬉しいよ」
「め、っちゃくちゃ嬉しいです!新しいエプロンと、専用の包丁って……!」
「こういうプレゼントしか思いつかなくて。使ってくれたら嬉しいな」
「毎日使います!古くなっても絶対に捨てませんから!」
「ふふっ、あはは、かわいい。ありがとう」
食の道に進むと決めた棗に、これからいくらでも使うであろうエプロンと、彼の名前を刻印した専用の包丁をプレゼントした。今は使う機会がなくてもどうせいつか買うことになるだろうし、就職が決まったお祝いも兼ねて選んでみたのだ。
クリスマスのプレゼントにしては地味だし色気もないけれど、棗がとてもとても嬉しそうに笑うので、プレゼントした蜜夏のほうも嬉しさに心の中が温かくなるのを感じた。
「蜜夏さんがいつも側にいて応援してくれるって思いながら、これからも頑張ります」
「うん、頑張って。ずっと応援してるから!」
「俺、今まで生きてきた中で一番嬉しいクリスマスですっ」
少し涙交じりの声で棗からぎゅっと抱きしめられ、蜜夏は彼の暖かさと甘い香りを感じながら目を閉じて、棗に身を任せた。




