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冬、息を吸い込むだけで肺が凍てつくような、冷たい季節。
蜜夏は夏生まれだからか寒いのが苦手で、外に出る時はこれでもかというほど着込んでいる。でも今年ばかりは、もう少し薄着でもいいかもしれない。
「ん、は……あつい……」
「ももせんせ、着込みすぎ」
「おれが汗かいても、意味ないのに……」
「………美味そうには、見えますけどね」
カウンセリング室のドアもカーテンも、ある生徒が来たらその全てが閉ざされて、そこだけが金曜日の放課後は異空間になる。
外は生憎の曇り空。
カーテンを閉めると普段より室内は暗くなって、より一層蛍光灯の灯りが目立つ気がする。
二人とも床に座り込み、蜜夏の体が壁に押し付けられると背中越しにひんやりとした冷気が伝わってきた。寒いのは苦手だけれど、火照った今の体には心地よい。
「かわいい、蜜夏さん」
「……あのさ、冷静に考えて、8歳も年上に可愛いってどうなの…?」
「でも、可愛いんですもん。年齢は関係なくないですか?」
「そういうもんかなぁ……」
「だって、それで言うなら真珠さんとかも可愛いじゃないですか」
「は?」
「可愛いって思いません?少なくとも、俺よりは可愛いと思いますけど」
「………へー、ふーん、そうなんだ」
まさか棗が朔斗を『可愛い』と思っているなんて、全く知らなかった。別に彼が誰を可愛いと思おうが、どんな感情を抱こうか自由だけれど、何となく面白くない。面白くないというか、嫌だ。
蜜夏は男なので可愛いよりかっこいいのほうが好きだし、棗に可愛いと言われたいわけではないが、蜜夏と同い年で同性である朔斗のことを彼が可愛いと言うのはモヤモヤする。
「なんで怒って……ああ、ヤキモチですね?」
「はぁ!?」
「ももせんせ、かーわいー。可愛いって言われるのはやだとか言いながら、俺が他の人を可愛いって言うのは嫌なんだ?」
「ち、ちがう!そんなんじゃ……っ」
「真珠さんは見た目が可愛いけど、蜜夏さんは"性的に"可愛いです」
「んゃ……っ!」
「ふはっ。俺がケーキなのに、蜜夏のほうがケーキみたい。肌が真っ赤になって、イチゴみたいで美味そう」
「やめ、舐めないで……!」
くすくす笑いながら蜜夏の首筋を熱い舌が這って、ぶるりと体が震えた。
そんな蜜夏の反応に気をよくしたのか棗の顔がもっと迫ってきて――
「杏先生、いらっしゃいますかー?」
「ッ!は、はい!ちょっとお待ちください!」
カウンセリング室の外から声をかけられ、ガタガタっと音を立てながら蜜夏と棗は離れて乱れた服を整えた。棗は不服そうな顔をしていたけれど蜜夏の指示で掃除用具入れに大きい体を押し込んで、蜜夏は息を整えてからカウンセリング室のドアを開けた。
「すみません、お待たせしました」
「いま生徒は誰もいないですか?」
「え?あ、はい!」
「鍵かかってましたけど大丈夫です?」
「ああ、実は……今日クリニックで昼食を取り損ねてしまって。ダメだろうな〜と思いつつ、ここでちょっと食べさせてもらってました」
「なるほど!昼も食べれないって大変ですね」
「あはは……」
カウンセリング室を訪れたのは名前が思い出せない男性教員。真っ赤な嘘をついてしまったのだが、名前も思い出せないくらい話したこともない人なので、別にいいだろう。
掃除用具入れのほうから凄まじい圧と視線を感じたが、蜜夏は気づかないフリをした。
「そうだ。ないとは思うんですけど、ここに柚木棗って生徒は来てないですか?」
「なつ……柚木くん?ですか?」
「はい、背が高くて黒髪の〜…いかにもチャラそうな」
「チャラそうな……いえ、き、来てないですね……」
「ですよね〜。もし見かけたら進路指導室に来るように言ってもらえますか?」
「進路指導室ですか?」
「ええ。見た目はチャラいですけど成績がいい生徒でして……大学進学で話を進めていたんですが、急に就職希望に変わったんですよ。それでもう少し話をしようと思いまして」
「そうなんですか……」
「はい。なので、見かけたら菅野が呼んでいたって言ってください」
「分かりました」
「では、お邪魔しました。ご飯ゆっくり食べて帰ってください!」
棗は高校3年生で受験の時期。今まで蜜夏は彼の進路を聞いたことがなかったけれど、本当は進学を希望していたのか――
「スガセン、余計なことしか言わねーんだから……」
「棗くん……」
「うん?」
「大学は諦めたの?」
「いや、諦めたと言うか……そもそもあんまり、大学に行きたいとも思ってたなかったから。就職のほうが早めにお金も稼げるし」
掃除用具入れから出てきた棗に進路のことを聞くと、難しそうな顔で話してくれた。
施設暮らしというのもあるから金銭面の不安で大学を諦めたのかと思っていたが、彼の様子からするとそういうことではないらしい。
棗の人生なので本人が就職したいのなら背中を押すべきだけれど、大学進学を諦めることが本当に棗にとっていいことなのか分からなくて、でもなんと言っていいのかも分からなくて蜜夏は言葉に詰まる。さすがに、蜜夏でも仕事で進路相談に乗ったことはないのだ。
「夢ができたんですよ」
「夢?」
「うん。蜜夏さんのおかげで」
「おれのおかげで……?」
棗はくしゃくしゃと自分の髪の毛を掻き回して優しく微笑んだあと、そっと蜜夏の頬に触れた。




