7
「すごく気分がいいので、頑張って仕事してきます」
朔斗の言葉に気をよくした棗は溢れんばかりの笑顔を向け、仕事に戻っていった。
残された蜜夏はまだ顔に熱を感じながら縮こまると、朔斗が声をあげて笑う。朔斗の笑顔がたくさん見られて嬉しいと思う反面、こんな恥ずかしいところを見られて複雑な思いだ。
「蜜夏が高校生に振り回されてるなんて、おっかしー!面白いね、棗くんって」
「……おもしろくない」
「のに、一緒にいるんだ?素直じゃないなぁ、蜜夏は」
先日、琥珀からも言われたことだ。
年の差や立場の差を頭では分かっているけど言い訳にはできないから一緒にいるのだろう、と。
朔斗も琥珀と同じことを思ったのか、先に頼んだコーヒーを飲みながらころころと笑った。
「このタイミングで言うことじゃないかもしれないけど……おれ、フォークに転換したんだ」
「へ……」
「それで、あの子は"シェリ・ケーキ"……おれの、最愛のケーキだって分かった」
「そう、だったんだ……」
「昔さ、朔斗がケーキだって分かった時に、フォークに食べられるために生まれてきたのかなって泣いてたでしょ?おれも、自分がフォークになってると分かった時、同じように絶望した。おれはケーキがいないと生きていけなくて、そのケーキをいつか……って」
「蜜夏……」
「棗くんは自分がケーキだと自覚していて、でもおれがフォークに転換する前から"一目惚れした"ってずっと言ってくれてて。一緒にいるようになったのはおれがフォークになってからだけど、最近やっと、それだけのために一緒にいるんじゃないって、覚悟と自覚ができたところ」
朔斗は大事な友人なので、顔を見て直接この話をしたかった。
蜜夏がフォークで朔斗がケーキなら、普通は縁が切れる。特に朔斗のほうがフォークと一緒にいるリスクは高いので、もう蜜夏と会えないと、友人ではいられえないと言うならそれを受け入れようと思っていた。
「……蜜夏はずっと、強いよね」
「え?」
「前はボクシングとかやってたから物理的な強さもあるけど、人に寄り添える強さも、自分を肯定できる強さも持ってる。僕はそんな蜜夏が羨ましかったし、蜜夏みたいになりたいってずっと思ってた」
「おれは別に、強くないよ……棗くんとの関係は流されちゃったし、自分がフォークだって肯定するのにも時間がかかった」
「それでも、決められたんでしょ?それに、うん……愛されてる人は綺麗になる。蜜夏は僕を綺麗だって言ってくれたけど、僕は蜜夏のほうが何倍も何倍も、綺麗に見えるよ。いい人と出会えてよかったね、蜜夏。フォークになったとしても蜜夏なら大丈夫。親友の僕が保証する」
そんな朔斗の言葉に蜜夏は瞳を潤ませると、ぽたりと涙が頬を滑り落ちた。
朔斗が優しい笑みを浮かべながら涙を拭ってくれて、蜜夏の中につっかえていた何かが消えていくのが分かった。
「真珠さんって、ケーキですよね?」
「え、なんで?」
朔斗と食事をしたあと、バイト終わりの棗を施設に送るため二人は車に乗って移動していた。助手席で自分のリュックをぎゅっと抱きしめながら、棗が面白くなさそうな顔でこちらを見つめてくる。
ちょうど赤信号で停まったので棗を見ると、可愛らしく拗ねた顔をしている彼にきゅっと胸が締め付けられた。
「春に、ももせんせーがフォークだって分かった時期に、友達にケーキがいたって話してた。だから今日の人はそうなんだろうなと思って」
「そうだったっけ?」
「そうだった!俺が食べてほしいって迫っても頑なに食べてくれなかった時期」
「ああ……あの時はどうにか棗くんを諦めさせようと必死だったから」
「だからその時、ももせんせーの側にケーキがいるんだなって嫉妬したから、俺はよく覚えてる」
「しっと、って……」
「ヤキモチ」
「言い換えなくても、分かるけど……」
蜜夏はよく、棗が女の子に囲まれているのを見ていたから、心の底では『嫉妬』という気持ちも抱いたことがある。というか、今日がその『嫉妬』を具体的に自覚したところ。それよりも前に棗は名前も姿も見えない『ケーキ』の存在に嫉妬していたと言い、それがなんだか妙に嬉しく感じた。
棗が朔斗に嫉妬していたことが分かって、蜜夏は心の中がむずむずした。
「でも、学生時代の友達って言っただけで分かるもの?」
「うーん、同族嫌悪…いや、嫌悪ではないですけど……直感?で分かった感じです」
「へぇ、そうなんだ……もしかしたら朔斗もシェリ・ケーキだからかも」
「え?そうなんですか?」
「今まで知らなかったけど、学生時代から付き合ってるフォークのシェリ・ケーキなんだって。もしかしたらシェリ・ケーキ同士は何となく分かるとか、そういうことなのかな」
「それはあるのかも……よかった、あの人がももせんせーの最愛の人じゃなくて」
「……最愛の"ケーキ"ね」
「同じことだから」
施設の近くまで来て、何となくただの道端で車を停めた。今日の午後に学校で棗に会ったし、学校で別れた後もカフェでバイトしている棗と会っていたのに、あと少しだけ一緒にいたいというわがままが湧き上がってきた。
「ん、みつかさ……?」
車を道路脇に停めたあと、蜜夏は助手席にいる棗の唇を奪った。
蜜夏から棗に口付けるのはもしかしたら初めてかもしれない。いや、正確に言うと、フォークの本能ではなく『蜜夏自身の意思』を持って、棗とただのキスがしたかったのだ。
「た、ただ、したくなっただけ……」
食事目的ではない、ただのキス。
それがしたかったのだと言ったはいいけれどすぐに照れて俯いた蜜夏は、顔だけではなく耳や首すらも赤く染まっているだろう。今が夜でよかったと心底思っていると、ぐいっと抱き寄せられた。
「まじで、すごく、めちゃくちゃ嬉しいです」
本気でそう言っているのが分かるくらい、棗の声には熱と甘さが込められていた。
棗に抱きしめられて彼の肩口に顔を埋めながら、蜜夏は棗との時間がずっとずっと続けばいいのにと心から願った。




