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「でも、本当に蜜夏さんが困ったことになったら、俺の居場所言ってもいいから。今なら自力で倒せるし」
「棗くんならできそう……」
「体育の授業で柔道やったんですけど、先生から筋がいいって褒められたんですよ。だから大丈夫」
棗は、自分はもう大人だから大丈夫だと思っているだろうが、人間そう簡単にトラウマを克服できるものではない。
蜜夏を困らせないため、心配させないために表面上は強がっているだけだ。棗なら克服するかもしれないけれど、自分の奥深くにある『恐怖』を完全に忘れることは難しい。もしかしたら蜜夏だって、彼の『恐怖』になってしまうかもしれないのだ。
「あ、ここがバイト先です」
「本当におれが入っても大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。うち、通常メニューとフォーク用のメニューがあるんですけど、料理の種類は同じなんです。だから蜜夏さんが頼んだものは俺がこっそりフォーク用の料理に入れ替えますから」
「そう…?じゃあ、お言葉に甘えて……」
棗のバイト先だというおしゃれなカフェに入ると、蜜夏と同い年くらいか少し上くらいの男性がテーブルを片しながら爽やかな笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ!って、棗くんか。表から来るなんて珍しいね」
「お疲れ様です、店長。知り合いを連れてきたので……ソファ席使ってもいいですか?」
「もちろん。今日はお客さんも少ないからゆっくりどうぞ」
「あ、ありがとうございます、お邪魔します」
「あはは!お店なのでごゆっくりお邪魔してください〜」
「じゃあ俺は着替えてくるんで……蜜夏さんはこの席に座ってて」
通されたのは店内奥のゆったりとしたソファ席。フォークに転換してから外食もしなくなったので、久しぶりの飲食店に若干緊張していた。
壁にはセンスのいい小ぶりな絵が飾ってあって、店内は白で統一されているおしゃれな空間なのにどこが居心地の良さを感じる。
壁に飾ってある絵に妙に目を惹かれてじーっと見ていると、先ほど笑顔で出迎えてくれた店員が水を運んできてくれた。
「その絵、うちの常連さんが描いてくれたんですよ」
「へぇ!そうなんですね」
「学生時代からよくコンテストとかで入賞してたって言ってました。今は自分でアトリエを持ってるらしいです」
「おれにも学生時代から絵を描いていた友人がいて、その友人とタッチが似てたので…懐かしくてじっと見ちゃいました」
「じゃあその友人さんとこの画家さんは話が合うかもしれませんね」
豪快な油絵ではなく繊細なタッチで描く油絵は、学生時代にケーキに転換した友人が得意なスタイルだった。
高校を卒業してからお互いに忙しかったので長らく連絡を取っていないけれど、今度久しぶりに会うのもいいかもしれないなと、壁に飾られた絵を眺めながらぼんやりと思った。
「それで、あの。つかぬことをお伺いしますが……」
「なんですか?」
「もしかして"もも先生"ですか?」
「えっ!あ、えっと…はい」
「やっぱり。棗くんに無理やり聞き出したのは僕なので怒らないであげてください」
「そんな、怒るとかはない、ですけど……」
「ふふ、それならよかった」
人に話すなんて、と少しは思ったが先回りされてしまったので、棗に小言は言えなくなった。
「あ、僕は店長の栗原琥珀といいます」
「栗……」
「へ?」
「す、すみません。最近モンブランをよく見るので……」
「ああ、秋ですもんね」
「って、そうじゃなくて!話を遮ってすみません」
「そうそう、夏休みにめちゃくちゃバイト張り切ってたんです、棗くん。それで、夏休みの最後の週に一週間バイトの休みをくださいって言われて。ものすごく嬉しそうだったのと、保護者面するつもりはないですけど兄心みたいなもので、少し心配もあったから事情を聞いたんです」
「そうだったんですね」
「聞いてみたら"もも先生"が泊まりにきてもいいって誘ってくれたから、って。もも先生って誰だよ!信頼できる人なのか!?って思ったんですけど、棗くんがあまりにも嬉しそうな顔してるもんだから、それなら泊まりにいっておいでって送り出しました」
この言い方からすると、琥珀は棗に両親がいないことや施設で暮らしていることを知っているのだろう。
蜜夏以外にも心を開ける大人が彼の側にいたことにホッとすると同時に、少しだけ心の奥底がモヤっとした。
「棗くんって学校で人気者らしいんですけど、バイト先を秘密にしてるんですよ。だから学校の友達も一人しか連れてきたことがなくて」
「もしかして、古藤くんですか?」
「そうそう、古藤一護くん。だから今日、棗くんが人を連れてきて驚きました。それでなんとなく、あなたが"もも先生"なのかなと思ったんです」
「さすが、飲食店の店長さん…すごい観察眼ですね」
「人を見る目はあると言われます」
琥珀から牽制されるかと思ったが、そういう敵意のようなものは感じられない。どちらかと言えば『安心』のような雰囲気を感じ取って、蜜夏はホッと息を吐いた。
「蜜夏さん、注文聞きましょうか」
「あ、えっと…全然メニュー見てなかった」
「僕が話しかけちゃったからですね、すみません」
「いえ、そんなことはないです……!おすすめはなんですか?」
「うちのおすすめは煮込みハンバーグか、ラザニアですかね」
「じゃあ、煮込みハンバーグで」
「了解です。蜜夏さんに出すものなので俺が作ってきます」
「おお、久しぶりのキッチンだね、棗くん。張り切ってる〜」
「……店長、蜜夏さんに余計な話はしないでくださいよ?」
「分かった分かった」
まだ木曜日だからか店内にはぽつりぽつりとお客さんがいるだけで、店内は満員というわけではなかった。耳馴染みの良いスローテンポなBGMと店内の落ち着いた雰囲気が妙に心地いい。
水を運んできた琥珀は店内が落ち着いているからか、蜜夏の向かいの席に腰掛けてにこりと笑みを向けた。
「もも先生は、棗くんのことをどう思っていますか?」
「ぶはッ」
向かいの席に腰掛けたと思ったら、微笑みながらすごい質問をされたので蜜夏は飲んでいた水が変なところに入って咳き込んだ。
蜜夏が『もも先生』だと知っている時点で棗の気持ちも知っているかもしれないと思ったけれど、まさかどストレートに聞かれるとは思っていなかった。




