3
蜜夏に頭を下げたままの桃原をじっと見つめながら、この人はどんな話をしたいのだろうかと想像する。
こういう場合は大体、自分が過去にやってしまった過ちを謝りたいとか、自分のせいでその人が不幸になっていないか確認したいだとか、結局は自分が安心したいための言い訳や自分は悪くなかったのだという弁解をしたいことが多い。
なんとなくだけれど、桃原もそうなのではないかなと『心理カウンセラー』としての蜜夏は想像した。
「……もし会えたとして、なんの話をしたいんですか?あなたは彼の何を知りたいんですか?」
「それは、あの…過去のことを謝罪したいのと、今の棗くんがどんな生活をしているのか知りたくて……」
ビンゴ。こういう人の考えることは分かりやすい。
「あなたが棗くんに何をしたのか知ってます」
「……っ」
「おれが棗くんと知り合いだとして、彼の過去を知っているのに会わせると思いますか?」
「ですが……」
「想像してみてください。あなた、先日お会いした時に息子さんと一緒でしたよね。あれくらい小さい子にあなたは"フォーク"として乱暴したんですよ。それで、加害者が息子さんに会いたいって言ってきたら会わせますか?」
蜜夏の言葉に桃原は傷ついた顔をしたけれど、言ってることは何も間違いではない。当たり前のことを言っているだけなのに、どうして桃原が傷ついた顔をするのか意味がわからなかった。
この件で傷ついていいのはたった一人、棗だけである。
棗に乱暴をした桃原も、棗のことを捨てた母親も、今更傷ついたり償ったりしても意味がないのだ。
「答えられないということは、それが真実だと分かっているからです」
「……あなたは棗くんの何なんですか?」
棗の親族だとは思えない若い男からそう言われたら、確かに多少イラッとするものだろう。
棗の誕生日を覚えていたということは、多分棗の今の年齢も分かっているはず。見るからに成人している蜜夏と未成年の棗の関係を怪しむのは当然だし、一時期でも彼の保護者になろうと思っていたのなら尚更、疑ってくる気持ちも分かるけれど。
ただ、そんな男に何回も頭を下げにくる桃原の意志と行動が伴っていないなと、蜜夏は小さく苦笑した。
「カウンセラーです」
「は……?」
「心理カウンセラーの先生なんです、おれ。棗くんとは仕事の関係で出会いました」
間違ったことは言っていない。
事実をかいつまんで伝えると、桃原は棗が『心理カウンセラーの元に通っている患者』だと捉えたのだろう。
先ほどまで蜜夏の言葉にイラついた態度だった桃原の顔が、さぁっと青ざめた。
「それで桃原さんの話を聞いたんです」
「そう、ですか……」
「だからおれは、あなたに棗くんを会わせるつもりも、あなたの言葉を伝えるつもりもありません。あなた自身に罪悪感があるという理由だけで、もう彼を苦しめないでください。棗くんの人生に二度と関わらないことが、あなたにできる唯一の罪滅ぼしです」
きっぱりそう言い放つと、桃原はぐっと唇を噛んで肩を落としながら蜜夏の元を去っていった。
皺一つない綺麗なスーツを着ているくせに猫背で帰っていく桃原の背中を、蜜夏は冷ややかな視線で見つめた。彼は家に帰れば家族が出迎えてくれて、今日のことも、棗のことも、すっかり忘れてこれから先の未来を生きていくのだろう。
「……自分勝手だよな、本当に」
「ああいうのを自己中って言うんだよね」
「本当にそう。ああいう人嫌い」
「俺も」
「………ん?」
桃原の姿が見えなくなるまで丸まった背中を見つめていると、後ろから聞こえた第三者の声と会話していることに気がついて、蜜夏の背中に冷や汗が伝った。
バッと後ろを振り向くと私服姿の棗が立っていて、蜜夏と同じように桃原の背中が遠ざかっていくのを見つめていた。
「な、な、棗くん!?いつからここに……っ!」
「うーん、ちょっと前。エントランスで話してるのが見えたから、隠れてました」
「ていうか、なんでここにいるの!?」
「バイト前なんだけど、仕事帰りのももせんせーのこと一瞬でも見れたらいいなと思ったから来ちゃった」
「あ、明日会えるのに……」
「あと一日、待つのが長くて」
柔らかく微笑む棗に顔を覗き込まれると、ぎゅうっと心臓が締め付けられた。
そんなことを言われたらひとたまりもない。この26年の間に自分が誰かにそんな言葉を言ったこともなければ言われたこともないので、思わずきゅんっとしてしまった。
「ご飯まだなら、うちのカフェ来ませんか?」
「え?」
「夜メニューも出してるんですよ」
「でも……」
「ももせんせーの分は俺が特別に作ってあげるから」
棗の甘い誘惑に勝てるわけもなく、蜜夏は解錠しようと取り出した鍵は再び鞄の中へ舞い戻った。そして二人でマンションを出て、並んで歩きながら棗のバイト先を目指した。
「あの人、もしかして蜜夏さんに付き纏ってる?」
「付き纏っているというか……何回かエントランスで待ち伏せされたくらい」
「ふーん、面倒な人だね。警察に相談したらよかったのに」
「自分でなんとかできるかなと思ったから」
「確かに、蜜夏さんが何か言ったからあんなにしょぼくれて帰っていったの?」
「うん」
「……なんて言ったの?あの人に」
桃原が帰った道とは反対方向に歩きながら棗がそう聞いてくる。
別に隠すことでもないのだけれど、棗の気持ちを確認しないまま追い払ってしまったという小さな罪悪感が蜜夏の中にはあるのだ。
「棗くんに会わせてほしいって言うから、もう二度と関わらないのがあなたができる唯一の罪滅ぼしだって。棗くんが会いたかったなら余計なことをしてしまったけど……」
「俺に会いたいとか言ってた?図々しいな、あの人。会うわけないじゃん、好きでもないし実の親でもないのに……面倒なことさせてごめんね、ももせんせー。次また来たら施設のこと教えていいから」
「そ、そんなことしない!おれは絶対、あの人に棗くんを会わせないよ!」
思わず大きな声が出てしまって、口元を手で覆う。
すれ違う人たちがみんなこちらを見ていて棗も驚いた顔をしていたけれど、蜜夏の言葉の意味を理解した彼はすぐに嬉しそうに微笑んだ。
「そんなふうに言ってくれるの、嬉しい。ありがと、ももせんせ」
棗がひどく嬉しそうに笑うものだから、蜜夏の心臓はいくつあっても足りないほど、強く強く締め付けられた。




