7
キスマークなんてものをつけた棗の腕の中でドキドキしながら次の言葉を考えていると、不意に棗の頭が蜜夏の肩口に押し付けられる。
ちらりと棗に視線をやると、彼は蜜夏を見上げながらとろけるような笑みを向けていた。
「ももせんせーって、もうすぐ誕生日ですよね」
「え、なんで知ってるの?」
「去年、女子が祝ってるの見て知った。夏休み明けに」
「確かに、言われてみればそうだったかも……」
「でも今年は"金曜日"だね」
するり、棗の太い指が蜜夏の指に絡まってきた。
ただの握手や手を繋ぐようなものではなく、指の一本一本を確かめるようになぞりながら絡んでいくそれに、ぞわっと背筋が粟立つ。
棗の言う『金曜日』は今まで二人が秘密の食事を続けてきた曜日。
今年の誕生日が金曜日だからって別に特別でも何でもないけれど、二人の中で金曜日というものがえらく神聖なものに昇華してしまっている気がする。
「ももせんせーは知らないと思うけど、実は同じ誕生日なんだよね」
「誰が?」
「俺が」
「えっ!」
「8月23日でしょ?32日とかだったらハチミツだねーとか言われてたの、聞こえてた。俺も昔から言われてたんだよね」
そう言いながら棗がくすくす笑っていて、蜜夏は衝撃的な事実にただただ驚いていた。
まさか身近に同じ誕生日の人がいるとは思っていなかったし、それがしかも棗だなんて出来すぎた偶然にも程がある。
蜜夏がフォークで、その蜜夏のために生まれたといっても過言ではない『シェリ・ケーキ』と出会っただけでも普通ではありえないことなのに、まさか誕生日まで一緒だなんて。
「運命にも程がある、って思った?」
「……っ」
「でも、俺も運命だと思った」
ギシッと音を立てながら蜜夏の体は、あっという間に棗に押し倒されていた。
いつもニコニコしていて、でもどこか飄々としていて掴みどころがないと思っていた棗から笑顔が消え、真剣な顔をして蜜夏を見下ろしている。
絡み合った指はそのまま、さらに強く握られると手のひらにじわりと汗が浮かんだ。
なんとなく、離してほしいとは言えない。
棗は話し方が優しいので相手に逃げ道を作ってあげているように聞こえることもあるのだけれど、蜜夏に対しては『イエス』以外を言えないように言葉を選んでいる気がする。
『イエスと言わされた』のが頭の中では分かっているし、棗がわざと逃げ道を塞ぐような言い方をしているのも分かっているのに、それに抗えないのも『運命』なのだろうか。
「明後日、美味しいご飯用意するから早く帰ってきてくださいね」
「そんなの、いい、のに……」
「俺がしたいだけ。ケーキは何が好きですか?」
「え、っと……ショートケーキ、とか」
「ああ……じゃあ俺のこともショートケーキと同じ味がします?」
「なんで?」
「それぞれ、ケーキの味も個体差があるって聞いたことがあります。でも俺は"蜜夏さんのための"ケーキだから、蜜夏さんの好きな味がするのかなって」
棗に言われて始めて、確かにそうかもしれないと認識した。
店で売っているフォーク専用の食事の味はチョコレートやキャラメル、チーズなど様々な味があって、どれもきちんとその味がする。
ただ棗の味だけは、どこにも見つからないのだ。
生クリームをふんだんに使い、スポンジにはバターをたっぷり使って、甘みの強い大ぶりなイチゴを贅沢に使ったような、極上のショートケーキの味がすることに気がついた。
フォークにとって極上の、最愛のケーキはフォーク好みの味がするのか。
そんな話は医師からも聞いていなかったので初めて知った事実だ。
蜜夏がそれに気がついて恥ずかしそうにしていると、今まで見下ろしていた棗の口元がニヤリと弧を描いて、唇の端にちゅっとリップ音を立てて口付けた。
「俺も蜜夏さんにキスした時、俺の好きな味がしたらいいのに」
「な、な、な……っ!」
「……ふはっ!もう何回もしてるのに、まだ照れるの、あまりにも純粋すぎじゃありません?」
高校生から『純粋』だと笑われる26歳なんて、世界中探しても自分しかいないだろう。
顔を真っ赤にしてぷるぷる震えている蜜夏を棗はぎゅっと抱きしめ、甘えるようにすり寄られると蜜夏はもう何も言えない。
彼の境遇を知っているから、普段甘えられない分も甘えさせたいという気持ちもあるけれど、棗にこうされるから絆されるのだ。
これがもし棗じゃなければ、ここまで蜜夏の気持ちは動いていないだろう。
「で、当日なんですけど……社会人になっても当日は友達からお祝いされたり、飲み行ったりとかあります?」
「いや、おれは……そんなに友達も多いほうじゃないから。まあ、仲のいい同僚からは飲みに誘われるくらいかな……」
「今年、その同僚さんには悪いですけど、誘われても行かないようにしてください、俺がいるんで」
「……嫌だって言ったら?」
「クリニックまで迎えにいく」
「なるほど、脅しだ」
「高校生の可愛いおねだりって言ってくれません?」
誕生日に飲みに誘ってくれる同僚というのは、言わずもがな響也のことだ。
ただ、響也から恋人がいると疑われているので、その話題が鎮火しない限り飲みにいくのは危険である。
今年は家に棗がいるけれど、誕生日なんて言ったら気を使わせるだろうし、わざわざ話さなくてもいいことだと思っていた。
今年はひっそりと誕生日を迎えようと思っていたのだが、高校生というのは去年耳にした話題さえも覚えているほど記憶力がいいものか。
若いというのはすごいなと思うと同時に、今年の誕生日は棗がお祝いをしてくれて、しかも同じ誕生日である彼のお祝いもできるなんて……と、蜜夏は少しだけ気分が高揚した。
「棗くんは何のケーキが好きなの?」
「気使わなくていいですよ。教えたら蜜夏さん買ってきそうだし」
「う……それくらい教えてくれてもいいじゃん」
教えないよと言う棗に唇を尖らせて拗ねて見せると、彼は「そんな顔、反則じゃん……」とぶつぶつ呟きながら蜜夏の首筋にぐりぐりと頭を押し付けた。
「……ガトーショコラとかじゃなくて、チョコクリームを使ったケーキが好きです」
「へぇ!ショートケーキとは真逆の色だ」
「ですね。当日は買ってこなくていいですから……気を使わないでくださいね、絶対」
「……大人だから高校生のいうことは聞きません」
「大人なんだから聞いてよ!」
お互いに笑っていると、ふと棗と目が合う。
目が合った瞬間にそれまでリビングに響いていた笑い声が止み、ごく自然と唇が重なる。
仕事から帰ってきて空腹を感じていた蜜夏はショートケーキのような甘さに満たされて、もっとほしいとねだるように彼の首に腕を回した。