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隙あらば恋人の詳細を聞いてこようとする響也の猛攻を避けながら一日を乗り切り、蜜夏はぐったりしながら帰路についた。
「あ。おかえり、ももせんせー」
玄関から音がしたからか、棗がリビングのドアを開けてひょこっと姿を現した。
味覚は特殊になったけれど嗅覚は失われていないからか、リビングからは夕食のいい匂いが漂ってくる。
棗がエプロンをしているので彼が今日も料理をしてくれていたのだろう。
蜜夏が帰ってきたのと同時にお風呂が沸いた音もして、普段は仕事から帰ってきてフラフラになりながら浴槽の掃除をしてお湯を溜めたり、味気のない食事をするのが習慣になっていた。
それが棗がこの家に来てからというものの、全てが終わっている状態が続いている。
彼がこの家に来た当初『家事くらいしか取り柄がない』と言っていたけれど、家事ができるというのは立派な才能だ。
「もも先生、疲れた顔してるね。今日忙しかったの?」
「……」
「ん?」
「なつめくん……」
「なあに?」
玄関に突っ立ったまま思うように足が動かない蜜夏に近づく棗の服をくいっと引っ張って見上げると、彼が蜜夏を見下ろしながらごくりと唾を飲み込んだのが分かった。
「なつめく……ご褒美、ください……」
「へっ?」
今まで蜜夏は、自ら棗の甘さを言葉にしてねだったことはない。
でもなんだか今日はダメだ、脳がどろどろに溶けきって思考が停止している。
棗の服を掴みながら『食事のご褒美がほしい』と懇願すると彼は目を見開いて驚いていたけれど、すぐにふんわり微笑んで頷いた。
そして蜜夏の髪の毛に指を差し込んで優しく梳きながら、額に甘く口付けた。
「大分お疲れだね、蜜夏さん。今日も暑かったし……」
「ん……」
靴を脱いだ蜜夏の体を軽々と抱き上げた棗はそのままリビングに向かい、ソファに座る自分の膝の上に蜜夏を乗せた。
疲れが滲む蜜夏の目元を指先が優しく掠めて、その指はそのままふにふにと蜜夏の唇を弄んだ。
「蜜夏さんに必要なのは塩分じゃなくて糖分かな?」
「っは、なつめく……」
「……ふは、蜜夏さん…めちゃくちゃ可愛い顔してる」
「んぇ……?」
棗がくすくす笑っているのは、蜜夏が棗の大きな手に頬を擦り寄せているから。
しかも棗の手を逃さないように蜜夏は自分の手を重ね、もう片方の手は棗の手首を掴んでいる。
甘い匂いに誘われるようにすりすりと頬擦りしている蜜夏を、棗は目を細めて嬉しそうに見つめていた。
「今日は甘えたさんですね。どうしたの?」
「ちょっと……つかれただけ」
「そっか。大人は大変だね、誰にも甘えられないんだから」
「うん……」
蜜夏は職業柄『頼られる』ことが多いが、自分が誰かに頼ったり甘えることはここ数年めっきりなくなってしまった。
家族とも離れて暮らしているし、恋人もいないので甘えられる人がいない。
冷静に考えてみれば高校生に抱きしめられながら甘やかされているほうが恥ずかしいのだけれど、今の疲れ切った蜜夏にそんなことまで考えられなかった。
ただただ棗の手のひらからいい匂いがして、砂糖のような甘さに『誘われる』。
今日ばかりは棗に責任転嫁するわけにはいかないが、今日だけは彼の甘さに誘われたいし、溺れたい。
ただ、棗から『いいよ』と言われるまでは勝手に『食事』はできないのでじっと待っていると、棗の親指が蜜夏の唇に押し付けられた。
「――"いいよ"、蜜夏さん。頑張ったご褒美です」
棗の親指が唇を柔らかく割ってきて、蜜夏の舌にじゅわりと甘い味が広がった。
彼の手を両手で支えながら太い指を舐めると、砂糖が舌の上で溶けて喉を通って体の中に入ってくる。
棗が作ってくれる料理は不思議なことにいつも美味しいけれど、やはり『彼』は別格だ。
こんなことを繰り返していたらダメだと頭の中では分かっているが、中毒になっているかのように止められない。
「……美味しい?蜜夏さん」
控えめに棗の指を堪能していた蜜夏がその質問に頷くと、彼は満足そうに笑う。
蜜夏が棗の指を堪能してとろけている様子を見ながら、彼は空いているもう片方の手で蜜夏の細い腰を引き寄せ、剥き出しの首筋に唇を這わせていく。
朝、寝癖がついている棗の髪の毛が首筋に当たってくすぐったいと思うのと同じように、さらさらの髪の毛が肌に触れると、今はぞくりとした感覚が背筋に走った。
棗の熱い唇が触れるところ全てが火傷しそうだなと思っていると、鎖骨に近い皮膚がじゅっと音を立てて強く吸われた。
「ん……っ!?」
「……我慢できなくて、つけちゃいました」
棗が唇を離したところを見ると、内出血の痕。
それが『キスマーク』だと認識した途端、蜜夏は棗の指を離して肌を真っ赤に染め上げた。
「な、なななにを……っ!」
「そんなに強く吸ってないから、数日で消えると思いますよ」
「そういう問題じゃな、くて……!」
「少しだけでいいから、この期間だけでいいから、俺のものっていう印がほしくて」
蜜夏の胸元に主張している印を棗がつぅっと指先でなぞる。
びくっと体を震わせると彼は小さく笑い、もう一度キスマークに唇を押し付けた。
棗の甘さを感じていた時とは違って、そこからじわじわと体中に熱が広がっていく感覚がする。
外側からも内側からも棗の『フォーク』にされているようで、蜜夏はどきどきと脈打つ心臓を落ち着かせる方法を知らなかった。




