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棗が蜜夏の家に滞在して早3日。
蜜夏はすでに限界を越えそうになっていた。
「はぁぁぁぁ〜…っ」
「どうした、蜜夏。めちゃくちゃ重いため息だな」
「ああ、響也……」
出勤して自分のロッカーの前で思わず大きなため息をつくと、同い年の同僚である蜂須賀響也が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。
「蜂須賀先生が話を聞いてやろうか〜?相談と予約料は前払いで!」
「お金取るのかよ……じゃあいい、自分で解決するから」
「うそうそ、嘘だって!友人の悩み相談は無料!」
白い歯を見せてニコッと笑う響也は、背が高い典型的なイケメン男子だ。
人当たりも良くて話しやすいし、響也に話を聞いてもらえたら何とかなりそうだなとさえ思えるほど聞き上手なのだ。
蜜夏も仕事で行き詰まった時の相談はよく響也にしているし、二人はプライベートでも会うほど仲がいい。
ただ、今の蜜夏の『悩み』を響也に話すわけにはいかなかった。
「無料相談は理想的だけど、今回は大丈夫」
「はあ?そんな重いため息ついといて大丈夫は嘘だろ」
「いや、えっと……悪い意味で悩んでるとか、そういうのじゃないから」
「もしかしてお前さ……好きな人でもできた?もしくは彼女?」
「え!?」
「最近なんとなく楽しそうだし、物思いに耽ってること多いぞ。そういうときは大体顔が赤いし、微笑んでる」
「微笑んでる!?」
響也からそんなことを指摘され、蜜夏は両手で自分の頬を隠すように覆った。
彼から指摘されたように物思いに耽っていた覚えはないし、顔を赤くして微笑んでいる自覚もない。
無意識に職場でもそんなに緩んだ顔をしていたのかと思うと恥ずかしくなって、穴があったら入りたい気分だった。
「だから、恋人ができて浮かれてるのかなーって思ってたんだけど。でも蜜夏からそういう話を聞いたことないし、自分から話してくるまで待ってたんだよな」
「いや、いやいやいや!恋人とかできてないし!微笑んでないし!浮かれてないしっ!!」
「あはっ!お前、焦りすぎじゃない?そんなの、恋人ができましたって言ってるようなもんじゃん」
「んな……っ!」
何度も自分に言っているが、棗は決して恋人ではない。
響也が言うように『浮かれている』とか『微笑んでいる』とかの自覚がないので、そういうときに『誰』のことを思い浮かべているのかも分からないのだけれど、すぐに顔が思い浮かんだのは棗だ。
響也に言わせたらそれが『答え』じゃないかと言われるだろうが、蜜夏はぷるぷる首を振って棗の顔を頭の中から追い払った。
「その顔は図星なんだろ?水臭いなぁ、蜜夏。俺たち長い付き合いなのに彼女ができたのを黙ってるとか」
「だから、彼女じゃないってば……!」
「あ、彼氏のほう?」
「違うッ!」
彼女ではなく彼氏?と聞かれ、図星をつかれた蜜夏は反射的に大声で否定してしまった。
思ったよりも大きな声が出てしまったのでパッと口元を手で塞ぐと、蜜夏の大声に驚いていた響也は次の瞬間には優しい顔をして笑っていた。
「別に、今時珍しくもないだろ。蜜夏にそういう"大切な人"ができたならいいことだと思うけど、俺は」
「……だから、違うって」
「はいはい、違う違う」
「分かってないだろ、それ!」
実は蜜夏と響也は大学生時代からの付き合いで、大学一年生の時に出会って仲良くなったのだ。
それからずっと付き合いが続いているし同じ職場なこともあり、親友のような存在。蜜夏のことをよく知っているといっても過言ではない。
蜜夏が恋愛経験が少ないことも彼は知っているのでこういう話をしたこともなかったし、響也は純粋に蜜夏に『そういう相手』ができたことが嬉しいのだと鼻歌を歌っている。
ケーキとフォーク以外で同性で付き合いがあるのは最近ではもう珍しいことではないけれど、蜜夏は男同士だから悩んでいるわけではない。
高校生と大人だから、悩んでいるのだ。
「スキンシップ多いんだよ、無駄に……」
朝、洗面台の前に立って歯を磨いていたら、布団を敷いているリビングから寝ぼけ眼の棗がやってくる。蜜夏の体を後ろから抱きしめて身をかがめ、肩に顎をのせながら「おはよ、ももせんせぇ」と低く甘い声で囁くのだ。
そのまま棗は寝癖のついた髪の毛をすりすりと蜜夏の首筋に当てては、寝起きで無防備な棗がふわりと微笑む。
それなのに顔を洗うとシャキッとして、彼は朝食を作ってくれるのだ。
食事はいらないと言ったけれど、フォーク用の栄養剤を混ぜて作ってくれるからか、美味しく食べられる。
蜜夏は棗の味でしか満足できない体になったと思っていたけれど、棗が作ってくれた食事は『味』がするのだ。
「おいしい?ももせんせ」
蜜夏にそう聞きながら頬杖をついて愛おしそうな目で蜜夏を見つめる、はちみつのようにとろけた瞳。
朝食と夕食のたびにそんな顔を向けられるし、年下パワーを最大限使って蜜夏を『誘惑』してくる棗の態度が最近の悩みである。
「スキンシップが多いって惚気かよ。今日飲み行く?」
声に出ていた……!と後悔しても時すでに遅し。
蜜夏の顔を覗き込む響也はニヤニヤしていて、そんな彼の額をぺちんっと軽く叩く。
長年の友人からこんな話を聞かれること自体恥ずかしいのに、飲みに行って根掘り葉掘り聞かれるのも絶対に嫌だ。
響也に話せる関係でもないし、それに――
棗が家にいる一週間は、ちゃんと真っ直ぐ家に帰ると決めているのだ。
「……飲みに行くのは来年の3月以降で」
「なんだよそれ!もしかして束縛激しいタイプの恋人?」
「話せたら話すよ、いつか」
そう言って話を逸らした蜜夏を響也は首を捻って見つめていたが、気づかないふりをした。




