第6話 引きこもりのウルド2
「さあ、どんな術を教えてくれるの?」
「ま、まず火の神術からだ。み、見てろ」
ウルドが庭で片手を構えると、彼女の周囲の空気が歪んだように見えた。その指先から小さな火がぽっと灯る。だが、それは瞬く間に大きく膨らみ、まるで生き物のようにゆらゆらと形を変える。
「やるわね……」
それは火の玉のように庭の中央でふわふわと漂っている。炎の色は鮮やかなオレンジから青みがかった色に移ろい、どんどん熱気を増していく。
「か、火力は、し、神力を注げば自由に上げられる。あ、扱いには気をつけろ」
ウルドが手を下げると、それまで燃え上がっていた火玉は消え去った。空気に漂う焦げた匂いだけが残る。
「じ、じゃあ、お、お前もやってみろ」
促され、私も火の神術を試してみる。指先に意識を集中させ、神力を送って……。
「……ちっさ!」
私の指先に一瞬だけ火が灯ったが、すぐにしゅっと煙のように消えてしまった。何度やってもダメだ。
「お、お前、さ、才能ないな……」
ウルドの呆れた言葉に、私は悔しさよりも諦めが勝る。もとより神術が好きではないし、3級神だからそんなに神力も高くない。火の術だけでなく、試しに風や水の術にも挑戦してみるが、どれも中途半端なそよ風や水の玉しか出せない。
「まあ、私は剣士だし、しょうがないか……」
「お、お前は発明の女神だろ」
私の呟きに、すかさずウルドの突っ込みが入る。
「神術なんて戦闘向きじゃないでしょう」
私がそう言うと、ウルドは不機嫌そうに唸った。
「そ、そんな事ないぞ。し、神術は戦闘にも使える……」
「神術を使う前に、首を斬っちゃえば終わりじゃない」
冗談半分に笑いながら、私は全斬丸を抜いてウルドに切っ先を向けた。前に2級神を訓練で倒した経験もあるから、つい調子に乗って挑発してしまった。
ウルドの神力は10万、神力だけで比べるなら1万倍の強さ。私の力で倒せるのか試してみたくなったのだ。
「み、身の程をわきまえさせてやる!」
ウルドの怒声とともに、空気が一瞬で張り詰めた。私は走って、彼女の首めがけて斬りかかる。距離は十歩ほど。普通なら斬撃を避ける術などない。
しかし、地面がゴゴッと震えたかと思うと、盛り上がるように土の壁がせり出す。刀は土塊をあっさり切り裂くが、ウルドの姿は見えない。
「どこ行った?」
砂煙が上がるなか、背後から破裂音。
「あつっ!」
火球が私の背中をかすめ、庭の一角が爆炎に飲まれる。振り返ると、上空に赤い毛玉……ウルドが浮かんでいた。
「ちょっと! 本気でやる気なの?」
返答はない。代わりに再度火球が飛んできて、地面に炸裂する。土煙と炎の熱で喉が焼けるようだ。
「ウルドー!! 今日の訓練はこれくらいにしましょうよー」
叫んでも、彼女は火球を次々と撃ってくる。むしろ段々大きくなっているようにさえ見える。ウルドの位置はジャンプして届く高さだが、間違いなく火球の餌食になる。
「これは……ダメね」
勝てる気がしない。私は屋敷の外へ飛び出し、逃げようと決断する。
ウルドは上空から執拗に追ってきた。隠れても、過去視の能力で居場所を特定された。過去からたどれば、私の現在地など手にとるようにわかるのだろう。市街地でも容赦なく火球を放ち、土のゴーレムや水の龍を召喚して私を襲う。
「どこまでやる気なのよ!」
ゴーレムが拳を振り下ろし、地面が砕ける衝撃が足元を揺るがす。火球で周辺の建物が一瞬に燃え上がり、水の龍が噛みつこうとしてくる。掠めるだけでも相当なダメージだ。熱と水飛沫、土の破片が入り乱れ、一歩踏み外せば大怪我は免れない。
「こうなったら、世界樹まで逃げるしかない!」
私は平原を駆け抜ける。世界樹までは私の家から1万歩の距離だ。そこまでは時間はかからないはずだ。息が切れ、肺が焦げるように痛い。振り返ると、赤い毛玉が空を飛び、こちらを逃すまいと睨んでいる。
「ちょ、超神術!」
聞こえたウルドの声に、顔を上げると、上空に巨大な火球がゆっくり形成されていた。私の体の10倍以上はある。周囲の空気が歪んで熱を帯び、肌を焼く痛みがじわじわと迫ってくる。
「噓でしょ? あんなの当たったら骨まで残らないでしょうが!」
森の入り口を見つけ、私は猛ダッシュ。ウルドだって世界樹は攻撃できないだろう――その一縷の望みに賭ける。
しかし、森に入ってからも自動追尾してくる巨大な火球は容赦なく追いかけてきた。大樹がバチバチと燃え、辺りが真っ赤に染まる。枝葉が焼け落ち、地面から熱気が吹き上がってくる。
「自然破壊は良くないわよ!」
叫んでもウルドに届くはずもない。ひたすら炎と煙の中を駆け抜け、ようやく世界樹の泉が視界に入った。
「よし……!」
私は泉に飛び込み、身体を沈めた。
(さすがに、ここまでは来ないでしょ)
ウルドの火球がいつ落ちてきてもおかしくない緊迫感に、全身がまだ震えていた。冷たい水が焼けた肌を包み込むと、少しだけ安心できる。
火球と土壁、ゴーレムや水の龍に追われた恐怖がまだ消えない。自分の浅はかな挑発のせいでここまで追い詰められたのかと思うと、ため息をつきたい気分だ。
(はあ……逃げてきたはいいけど、ウルドには完全に嫌われたようね。元から好かれていなかった気もするけど)
ボーっと目をつぶっていると、突然髪を引っ張られた。
「痛っ!」
頭皮がピリリと痛み、思わず水中で目を開く。誰かに強引に引き上げられ、バシャッと派手な水音が響いた。顔を出せば、濡れた視界の先に見えたのはスクルドの怒気を含んだ表情だ。
水面に顔を出すと、スクルドがいた。
真剣な表情で、何かに怒っているように見える。
スクルドの小柄な身体からは想像できないほどの力で髪を握られ、私は思わず抵抗する。だけど、やっぱり2級神は格が違う。振りほどけない。
「あんた、神聖な泉で何してるのよ!?」
彼女は荒い息を吐きながら、私に詰め寄る。髪を引っ張られた痛みがいまだに頭をズキズキと刺激してきて、少しムッとした。とはいえ、今の状況を考えると強く反論する気力もない。
「水浴び……的な何か……かな?」
何とも頼りない声が自分の口から漏れた。勢いよく問い詰めるスクルドに対し、適当な言い逃れをするのが精一杯だ。
「どうして、自信なさそうな感じなのよ? 大体、あんたの今日の予定は神術の訓練のはずでしょうが!」
スクルドの語気が強い。叱責する口調で、こちらをねめつける。その背後には神聖な世界樹の大樹がそびえ、まるでスクルドの怒りを後押ししているように見える。
(ウルドからは命を狙われ、スクルドからは説教されるなんて……)
スクルドは呆れた顔で私を見つめる。
彼女の眉はピクリと動き、張り詰めた空気が痛いほど伝わってくる。自分でもわかってる。神術の訓練に来たはずが、なぜかこんな逃亡劇。説教されるのも当然だ。
「ふっ、才能が無いって言われて追い出されたのよ」
私は開き直るように言葉を吐いた。全身が水浸しで重いし、ノルンやウルドの期待を裏切った気まずさもある。こんな言葉でしか自分を保てない。
「あんたは、よくそれを自信満々に言えたわね?」
スクルドが呆れ半分に返してくる。その視線には軽蔑よりも「何してるの、あんた」という呆然とした気持ちが色濃い。
「神にも向き不向きがあるのよ」
「それはそうだけど……ねえ」
スクルドは神々しい世界樹をちらりと見上げ、何か思案するように視線を遠くにやった。
スクルドは何かに気付いたようで、遠くを見つめる。
「森が炎上しているように見えるんだけど」
私が逃げてきた森は真っ黒い煙を上げ、広範囲にわたって燃え上がっている。ウルドの攻撃を受け続けた結果だ。まさか世界樹の近くまで火の手が迫るとは思わなかった。
「自然発火って怖いわよね。雷が落ちたりしても起きるらしいわよ」
苦し紛れに言い訳してみるが、スクルドが納得するわけもない。彼女の視線がグッと鋭くなり、私の頬に視線の刃が当たるように感じる。
「こんなに一直線上に綺麗に燃えるはずないでしょ! どう見ても……」
続くスクルドの言葉を待たずして、私は目を伏せる。スクルドに完全に疑われている。私がウルドを挑発したせいで、彼女が私を追いかけ、結果的に森が燃え広がっている――それは事実だから仕方ない。
「超神術……」とスクルドが呟く。
一瞬、胸がドキリとする。
完全に自分へ向けられた殺意を思い出して、背筋が冷たくなる。スクルドがこちらをまっすぐ見つめる視線もかなりキツいが、まだ火球に焼かれるよりはマシかもしれない。
このわずかな間にも、森は燃え広がり、灰を舞い上げている。スクルドは眉をしかめたまま、私を問い詰めるように見下ろす。
(誤魔化すのは無理かな?)
「はあ……、またあんたがウルド姉様を怒らせるようなことしたんでしょ!」
「ちょっと訓練しただけよ」
私の言い分は明らかに苦しい。そもそも訓練ならばこんな大惨事にはならない。スクルドも察しているだろう。
「あんたには、きちんと女神としてのあり方をきちんと教えないといけないようね!」
スクルドが苛立ちを露わに言い放つ。
「えっと、間に合ってるから」
私はそう返事をして、逃げようとした。しかし、スクルドの力強い手が私の腕を掴むと、小柄な外見からは想像もできないほどの力でグイッと引っ張ってくる。
スクルドが掴む肩が驚くほど強い。
振りほどけそうにない。やはり2級神の力はダテじゃない。
「今日はみっちり教えてあげる!」
スクルドの声音は完璧に“説教モード”だ。私を責め立てる気満々という感じが伝わってくる。先ほどまでウルドの火球をかいくぐり、死に物狂いで逃げてきた身としては、もうヘトヘトなんだけど……。
引きずられるようにして、私は連行されていった。
スクルドの手のひらから伝わる体温が、ウルドの激しい炎とは違う種類の熱さを感じさせる。説教という名の苦行が待っているのだろう。それもまた逃げ場はなさそうだ。
(まあ、ウルドの火球よりはマシ……かな?)
思わずそんな弱音を心で呟きながら、森の燃えかすが舞う空をちらりと見上げる。まだあちらこちらで火の手が上がっている。スクルドが無理やり私を連行する姿は、はたから見れば滑稽かもしれない。
けれど、すでに体力もメンタルもボロボロの私は抵抗する余裕などなかった。今夜は本当に長くなりそう――そんな予感がしていた。