IF早過ぎたラグナロク6話 3級神消失事件2
空を飛んでいけば、エリカの家はそう遠くない。
私は白い羽を広げ、町外れの郊外にただ一軒だけ立っているエリカの家を目指した。彼女は1柱で暮らしているから、万一いなくなったとしても、しばらく誰も気づかないかもしれない――そんな考えが胸をざわつかせる。
緊張を抑えながら、私はその小さな家のドアを叩いた。
「エリカ! いるか? いるなら返事をしてくれ!」
声が予想以上に大きくなったのは、自分がどれほど動揺しているかの証だ。急に消えた3級神たち、行方不明のユーミル――いま神界は不穏極まりない状況に陥っている。エリカまで姿を消していたらと考えると、息が詰まりそうだった。
「何よ? 騒がしいわね」
ドアが開いて、面倒くさそうな顔のエリカが姿を見せる。その無表情に近い反応が、いつも通りだとわかって胸を撫で下ろす。
「無事か。安心した」
彼女の安否を確認できただけで、思わず安堵の言葉が漏れた。エリカは怪訝そうな顔をしている。何も知らない立場からすれば、私の様子は不審に映るだろう。
「……何かあったの?」
エリカが私の慌てぶりから何かを察したように、探るような口調で尋ねてくる。隠し立てする意味はないので、私は素直に「町の3級神たちが一晩で消えた」ことを伝えた。
「そう。それで私を心配してくれた、というわけね」
彼女は納得したようにうなずく。いつも通りといえばそれまでだが、あの冷静な態度を見ていると、余計にこちらが落ち着かなくなる。
「無事でいてくれて良かった……それで昨晩、何か変わったことはなかったか?」
仕事柄どうしても尋問のような口調になってしまう。エリカは少し嫌そうな顔をしたが、仕方ない。
「……特に何もなかったと思うわ」
町から遠いここで暮らしているなら、異変に気づくはずもないか。もともと静かな場所だしな。
「お前は昨晩どこにいた?」
何でもいいから手がかりが欲しい。犯行の可能性がゼロとも言い切れない以上、一応確認しておかなければならない。だが、私の言葉にエリカは眉間に皺を寄せ、不快感をあからさまにする。
「私を疑っているの?」
「いや、念のためだ。お前を疑っているわけではない。そんな多数の神々を消せるはずがないしな」
正直に思っていることを口にすると、彼女が鼻を鳴らすように吐息をついた。
「……家で寝ていたわ」
「それを証明してくれる神はいるか?」
定型の確認に過ぎないが、明らかに彼女の気分を害したようだ。エリカは頬を膨らませて反論する。
「そんなのいるわけないでしょう!」
「すまない。一応確認してるだけなんだ」
私は言い訳がましく弁明しつつ、彼女を宥める。そろそろ詰所に戻らなければならない時間だ。ここで長居しても何も進展はない。
「私は仕事に戻るが、気をつけるんだ。魔族が侵入したかもしれない」
背を向けて飛び立とうとしたとき、ふとユーミルのことを思い出す。ダメ元で訊いておこう。
「……そうだ。ユーミルの行方を知らないか?」
私が振り返って尋ねると、エリカは一瞬ひどく動揺した顔を見せた。ほんの一瞬だけ。だが、そのわずかな表情変化を私は見逃さない。
「し……知らないわ。ここには来ていない」
その一瞬後には、いつもの淡々とした表情に戻っている。私の直感が告げる。彼女は何かを知っている。けれど、今ここで問い詰めても口を割るとは思えない。ユーミルの件はウルド姉様の過去視で調べる予定だ――無駄な問答は避けたい。
「そうか、時間を取らせたな」
それだけ言って、今度こそ町のほうへ飛んだ。エリカがこちらをどういう表情で見送っているかはわからないが、今はそれどころではない。
町に戻っても、失踪した3級神たちの行方については何一つわからなかった。私がウルド姉様のところへ行こうとした矢先、城からの呼び出しを受ける。どうせユーミルの件だろう――そう思いつつ、謁見の間へと向かう足取りは重かった。
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謁見の間では、玉座に足を組んで座るオーディン様と、その隣で厳しい眼差しを向けるフレイア様が控えている。周囲にほかの神は見当たらないため、がらんとした広い空間に私は膝をつき、身を正した。
「それで、ユーミルは見つかったのか?」
オーディン様の低い声に怒気が混じっている。すでに行方不明になって7日経つのに見つからない現状が、彼の苛立ちを増しているのだろう。表情も険しい。
隣のフレイア様も私を睨みつけるようにしている。視線が痛いほどに突き刺さる。
「さっさとウルドの過去視を使えば良いものを……なぜ使わないのです?」
フレイア様がまるで犯神を追及するような声色で詰め寄る。私がまるで罪神かのような気分になる。ウルドの過去視は負担が大きいから、迂闊に頼めないという事情を話しても、彼女は納得しそうにない。
「ウルド姉様の負担を考えると、なかなか頼みにくかったのですが……」
私の言葉を最後まで聞かず、オーディン様が口を開く。
「しかし、ユーミルは余たちには必要な存在だ。過去視を使っても探す価値はあると思うがな」
オーディン様は表情を崩さず、私を促す。確かに、この状況では過去視に頼るしかないかもしれない。けれど、私は3級神たちの失踪のほうが気になって仕方ない。両方をウルド姉様に頼むのはかなりの負担だろうが、避けられないかもしれない。
「はい、ユーミルに関しては過去視を頼もうかと考えていました」
「判断が遅いわ! ヴェルザンディ」
フレイア様が苛立ちをあらわにし、玉座の隣から私を見下ろす。その声は冷ややかで、苛烈さを感じさせる。昔から彼女は女神に厳しく、男神に甘いところがある。オーディン様を意のままに動かそうという姿勢が透けて見える。
「聞くところによると、町の3級神たちが一晩でいなくなったそうじゃない? あなたの怠慢でしょう。言い訳はいいから、さっさとウルドに過去視をさせてユーミルを見つけ出しなさい。そして3級神の件も、すぐに解明しなさい……あとロキを最近見かけないから、そっちもウルドに探させなさい。彼女が消耗したところで、死ぬわけじゃないでしょう?」
好き放題に言ったあと、フレイア様はオーディン様をちらりと見やる。オーディン様はその視線を受け、曖昧にうなずいた。
「そうだな。フレイアの言う通りだ。できるだけ早くユーミルを見つけ出すのだ」
オーディン様は優柔不断なところがあり、最近は特にフレイア様の意見に従うことが増えている。彼らの関係をどうこう言うつもりはないが、少なくとも私としては命じられた仕事を果たすしかない。
「はい、かしこまりました」
そう答えて私は一礼し、謁見の間を後にする。正直、消耗が激しい。遠見の能力を酷使した疲労もあり、精神的にも限界に近い。だが、3級神たちが突如消えてしまう大事件が起きているのだから、ここで弱音を吐くわけにはいかない。
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ウルド姉様の屋敷に着くころには、夕暮れの空が赤く染まっていた。姉様は基本的に研究に没頭していて外に出ない。屋敷には雑草が伸び放題で、壁は蔦に覆われ、まるで廃墟のような様相だ。
「ウルド姉様、いらっしゃいますかー!」
門の前で大声を上げると、しばらくして長い赤髪で全身を覆われた姉の姿が現れた。片目だけがぎょろりとこちらを見つめている。
「お、おお、ヴェ、ヴェルザンディ。ど、どうした?」
その声からして、私の必死さを感じ取ったのかもしれない。姉様は客間に通してくれたが、そこは蜘蛛の巣と埃まみれの椅子が置かれたままのすさまじい様子だ。私は仕方なく、そこに腰を下ろす。
すぐに本題に入る。
「実は町の3級神が一晩で全員いなくなったのです」
「……じょ、冗談だろ? あ、ありえん」
彼女は最初こそ信じようとしなかったが、私が状況を話すと渋々納得していく。オーディン様からの命で過去視を使ってほしいと切り出すと、彼女の表情がわずかに強張った。
しばし沈黙が流れ、姉様が重い口を開く。
「……め、命令なら仕方ないな。さ、昨晩の3級神の区画を見ればいいんだな?」
「はい、お願いします」
彼女は静かに目を閉じ、何かに集中し始める。私も遠見を使うときはこんな様子なのだろう――長い沈黙が流れ、やがてウルド姉様が目を開いた。
「……わからん」
その言い方にただならぬものを感じて、私はすぐ問い返した。
「突然、全員消滅したのですか?」
「い、いや、ひ、1柱ずつ消されている」
意外な答え。ならば、犯人の姿が見えてもおかしくないはず。
「誰がそんなことを?」
「そ、それが、わ、わからん」
彼女の過去視でも犯神が見えないなんて……。私は言葉を失う。
「と、突然、ど、胴体から首が取れて、ち、血を流して消えていった」
「意味が……わかりません。いったい何が起きてるんです?」
「ま、魔族かどうかは知らん。だ、だが、誰もいないのに殺されるなんて……と、透明化かもしれん」
透明化――ロキが持っていると噂の能力だ。とはいえ、ロキ本人が犯神とは限らないが、疑いは拭えない。
「と、とりあえず、ろ、ロキに話を聞いてみろ」
大きな収穫だ。姉様の能力でここまでわかったなら、一歩は進めそうだ。息をついて礼を言おうとした瞬間、もう一つ頼み事があるのを思いだした。
「……姉様、もう一回お願いします。ユーミルの行方を7日前からさかのぼって見ていただけませんか?」
彼女の顔には嫌そうな色が走る。7日も遡るとなれば相当に消耗するだろう。けれど、オーディン様も強く探すように言っている。私は頭を下げるしかなかった。
「……わ、わかった。や、やってみる」
姉様は渋々承諾し、再び目を閉じて集中に入る。さっきより長い時間をかけ、静寂が支配する部屋に不吉な気配が漂う。やがて髪の奥に隠れていた目玉が大きく開かれた。
「……ゆ、ユーミルは殺された。こ、殺したのはエリカだ」




