第1話 3級神エリカの日常1
私の名前はエリカ、発明の女神だ。
年齢は分からないけど、多分若い。
身分は3級神。
主神、1級神、2級神、3級神の順に階級がある。
人間でいえば、王、王族、貴族、庶民という感じだろう。
つまり、私は神族の中では一番の下っ端ということになる。
特別なことと言えば、私が1級神の女神ノルンによって生み出されたということぐらいだ。
そのおかげで、ノルンの系列の運命の女神たちと交流がある。
その事を良く思わない神たちもいるみたいだが、私は気にしない。
私は神界アースガルドに住んでいる。
雲の上に浮いている、大陸の上にだ。
神は基本的にそこに住むことになっている。
私の家は、主神の住んでいる城が遠くに見える平原にある。
他の神たちの住居から離れた場所にあるので、訪ねてくる神も少ない。
でも、それでいい。
私は発明の女神。
単独で大抵のことができる。
だから、他の神の助けなど必要ない。
孤高に生きるのだ。
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私の朝は早い。
日の出前に目を覚まし、平原をランニングする。
私は黒い長髪で、極東の島国の民族衣装である着物を着ている。
生まれた時からずっとこの姿だ。
他の神の生まれ方は知らないが、私はこの形のまま生み出された。
そして、変わらずそうあり続けている。
着物に草履だから、走りやすくはない。
他の神のように、靴の方がずっと走りやすいだろう。
だけど、私はこれでいい。
これが私の在り方だから。
空を見上げると、白い空が広がっている。
理屈はわからないが、この神界の空はいつも白い。
人間界の空は青いらしいが、私はまだ見たことがない。
日が上ってくると、平原の先にある主神の城の姿がはっきり映った。
石造りの立派な城。
ここからでも重々しい威圧感がある。
住んでいるのは主神オーディン。
3級神である私にはあまり縁のない場所だ。
もっとも、生まれたばかりの頃に一度だけノルンと共に謁見で訪れた。
その時、オーディンは私を路傍の石のようにしか見なかったし、傍にいた女神フレイアには睨まれた覚えがある。
派閥争い――後から聞けばそんな理由らしいが、正直どうでもいい。
私が城に行くことはもうないだろう。
ノルン以外の1級神と会う機会もない。
偉そうな連中とは、できれば関わらずに生きていきたい。
ランニングで体が温まってきたところで、呼吸を落ち着かせる。
これから向かうのは近所――というほど近くもないが、同じ平原に住むトールという名の爺さんの家だ。
毎日欠かさず、彼と模擬戦をするのが私の日課になっている。
「黒髪の女神よ、元気そうじゃのう」
トール爺さんは長い白髪と立派な白ヒゲをたくわえた、筋骨隆々の老人だ。
見かけは穏やかながら、その佇まいからは凄まじい威圧感を感じる。
私は詳しくないが、それなりに“有名な神”らしい。
いずれにせよ、毎朝私の訓練に付き合ってくれるありがたい存在だ。
彼の武器はハンマー、私の獲物は刀。
私は2本の刀を差しているが、今朝も訓練用の1本を抜く。
けれど、その前に少し言葉を交わすのが慣例になっている。
「爺さん、戦いましょうか?」
「東の果ての民族衣装を着た女神よ、お主は発明の神であろう? 鍛える必要があるのかのう」
「あるわ。私は強くならなければいけないのよ」
強くなりたい――私がそう思う理由は、まだはっきりとは言葉にできない。
けれど、この渇望はずっと私の奥底にある。
まるで、生まれた時からそう刷り込まれているように。
守るべき“何か”があるのだという思いが、わずかに胸を締めつける。
「……最近の若い者の考えることは、ようわからん。わしも年を取ったものじゃのう」
爺さんはヒゲをいじりながら、しみじみと呟いた。
その姿を見た瞬間、私の中で闘志が燃え上がる。
ここで何も得ずに終わるわけにはいかない――そんな感覚だ。
「じゃあ、いくわよ」
「言っておくが、全斬丸は禁止じゃからな」
何でも斬れる私の愛刀……以前、爺さんのハンマーをあっさり両断してしまい、根に持たれている。私の自慢のチート武器だ。
頑固な彼は今でもあのときの事を思い出して嫌そうな顔をする。
「……わかってるわよ」
私はしぶしぶ、もう1本の刀――訓練用の不壊丸を抜く。
斬れ味はまるでないが、絶対に壊れないという私の発明品。
訓練専用の武器としては申し分ない。
両足に力を込め、地面を蹴って一気に間合いを詰める。
狙うは爺さんの首――迷いなく振り下ろした斬撃は、鋼鉄のハンマーでぎりぎり受け止められた。
金属同士がぶつかった衝撃が平原に短い音を響かせ、私の腕にビリビリと余韻が走る。
(思った以上に重い……!)
軽く距離を取り、すぐさま足元を狙って横薙ぎに斬りつけるが、今度は爺さんが驚くほど軽やかに跳んで回避する。
その筋肉隆々の身体からは想像できない身のこなしだ。
「ふんっ!」
爺さんがハンマーを勢いよく振り下ろす。
雷が一瞬、ハンマーの表面で閃光を放つのが見え、私は即座に身を沈めて回避する。
地面にドスンと重い振動が走り、土くれが飛び散るのを感じる。
訓練用の一撃とはいえ、まともに食らえばただでは済まないのは明らかだった。
(やるわね、爺さん……!)
もし私が全斬丸を使っていたなら、最初の斬撃でハンマーごと首を落とせただろう。私の必殺技の一つ『首斬り』だ。もう一つの『みじん斬り』と合わせて、本当の意味での必殺技なのだ。
だけど、ここでは使えない。
歯がゆい反面、その制限こそが私を奮い立たせる。
この戦いが、今日も私を少しだけ強くするはずだ。
しばらく互いに間合いを探りながら、激しい攻防が続いた。
しかし、どちらも決定打を与えられないまま、ついに時間切れとなる。
トール爺さんは平気そうだが、私の額にはじっとり汗が浮かんでいた。
「可愛らしい見た目と違って、殺気が凄いのう。どれだけの戦場をくぐり抜ければ、そんな風になるのじゃ? ヴェルザンディなどは目じゃないぞい」
爺さんは疲れた声を出しつつ、ひげを撫でる。
あまり無理をさせても悪いし、ここまでにしておこう。
ヴェルザンディ――運命の三女神のひとり。
金髪の女騎士めいた女神だが、実際はそれほど強くないと私は思っている。
それでも2級神だから世の中は理不尽だ。
「爺さん、またね」
「もっと年寄をいたわって欲しいものじゃ」
私は満足感に軽く笑みを浮かべ、軽い足取りで自宅へと向かう。
朝のルーティンはこれで終わり――やるべきことはまだ他にもあるけれど、 まずは一度休息が必要だ。
それにしても、あの爺さんは一体何級神なのだろう?
こんな辺鄙なところに住んでいるのだから、同じ3級神だよね……。
(でも、あれだけの雷撃を使いこなすなんて)
そんな疑問を抱きながら、私は今日も一日を始める。
強くなるため、そして“何か”を守るため――その理由を探し求めながら。