プロローグ
私は最大の危機を迎えていた。
場所は主神オーディンの城の謁見の間。
広大な石造りの空間は張り詰めた空気に満ち、私の鼓動すら壁に反響するように感じられる。
その冷たさはまるで、私の運命を決定づける“裁き”がすぐそこに迫っていることを示しているかのようだった。
私は後ろで手を縄によって拘束されて、座らされている。
立つことすら許されず、硬い床の感触が足に突き刺さるように痛い。視線を動かせば、左右にはずらりと神々が並んでいた。威圧感が胸を圧迫する。
オーディンとは10歩の距離で、対峙していた。
わずかそれだけの距離しかないのに、まるで深い闇が隔てているように感じられる。
彼は銀色の短髪で、私の数倍はある巨体だ。
まるで山脈が眼前にそびえているような圧倒的な存在感。
右眼に眼帯をして、豪華な玉座に座り、鋭い左眼で私を睨みつけている。
その一点の曇りもない視線が私の心を射抜いてくる。
神々の王として、威厳のある姿だった。
冷厳で、どこか非情な風格が全身に漂っている。
私の左右には列をなして、神々が見守っている。
ひそひそとした声が途切れ、皆が私を凝視する。まるで獲物を追い詰めた捕食者のような視線に、背筋が凍る思いだ。
中には見知った顔もあった。
しかし、彼らは何も言わず黙っている。もしかしたら助けてくれるかもしれない、という淡い期待は微塵も感じられない。胸が締めつけられる。
玉座の間は大理石を使った豪華な作りで、寒々しい印象がある。
いかにも神々の威光を示すための空間だが、その麗しさは私にとっては無機質で残酷に映る。
おそらく何十という神々が集まって、事の成り行きを見守っている。
殺気立った空気すら感じるのは、気のせいではないだろう。
今日は御前神判が開かれていた。
人間でいうところの裁判に当たる。
だが、この“裁判”に公平な弁明の機会が与えられるとは、とても思えない。
裁かれるのは私。
城の宝物庫に侵入して、宝物を盗み出した嫌疑をかけられている。
その内容は荒唐無稽としか思えない。
当然、身に覚えなどはない。
にもかかわらず、この場に引きずり出されているという事実が、すでに私の言葉など通じない現実を物語っていた。
私はしがない3級神で、発明の女神だ。
神といっても、取るに足りない存在……。
3級神というのは、神の中で最も低い身分だ。
人間でいえば、一般庶民ということになるだろう。
その事実が、私に向けられる軽蔑の眼差しを一層鋭くしている気がする。
そう考えれば、1級神は王族、2級神は貴族ということになる。
もちろん神は人間とは違うので、厳密には違うけど。
そんなことを今さら思い出しても、ますます現状の絶望感が募るだけだ。
今朝目を覚ましたら、私の家に数柱の神々がやってきた。
寝ぼけまなこで玄関を開けた瞬間、何が起きたのか理解できなかった。
私に盗みの嫌疑が掛けられている、と言われた。
意味が分からない。
そして城に連行されたのだ。
最初、私は事情を説明すれば、すぐに釈放されると思っていた。
だが、それは甘い願望にすぎなかった。
しかし、事態は予想を超えて、決定的な証言まで出てきてしまった。
何もわからないまま、私は一気に追い詰められていく。
私は本当に無実なのに。
叫びたい思いがこみ上げるが、誰も取り合ってくれない。
人間の世界では、冤罪によって罪のない人々が不当に処刑されてしまうことがあると聞いている。
権力争い、利権、その他の理由によって、そういう事が起きているらしい。
愚かな話だと思っていたが、まさか神の世界でも同じことが起こるとは……。
静寂の中で、私の心臓の鼓動だけがはっきり聞こえる。
神といっても、全知でもなければ全能でもない。
主神のオーディンにしたって、戦闘能力が高いだけの神だ。
当然、真実を見抜く力など持ち合わせていない。
だから、誤った判断をすることもあるのだろう。
冷徹な瞳を向けるオーディンに対して、ひそかな苛立ちと絶望が交錯する。
「では、処分を言い渡す。3級神エリカは死刑とする。なぜなら・・・・・・」
オーディンの声が、玉座の間を震わせるほど響く。
その言葉は私の頭上に重くのしかかり、喉の奥から悲鳴が漏れそうになる。
オーディンによって神判が下された。
何の感情のこもっていない声、表情。
見え透いた冷淡さに、血の気が引いていく。
心の底から、3級神などどうなってもかまわないという態度だ。
私にはどうすることもできない——いや、何とかしなければいけないのに。
死刑、と言われた瞬間に動悸が激しくなった。
心臓が壊れてしまうのではないかと思うほど高鳴る。
これが恐怖というものなのだろうか?
戦闘以外で死と直面することになるなんて。
本当の命の危機、それを目の前にして呆然としていた。
頭の中が真っ白になっていく。
私は本当に無実だ。
それだけは絶対に揺るがない事実。
だから、誰かが私をハメたに違いない。
容疑をかけられたときから、ずっとそう思っている。
誰が?
私は胸の動悸と眩暈に耐えながら、周りを見回す。
苦しさを感じながら、それでも必死で目を凝らす。
主神オーディンか?
それとも、玉座の隣に立って冷笑を浮かべている女神フレイアか?
もしかしたら、列に並んでいる女神ウルド?
いや、この場にいないあの神かもしれない。
頭に次々と疑わしい顔が浮かぶが、誰もが面を伏せたり、薄く笑んだり、無関心を装ったりしている。
私は次々と疑わしい神々の顔を思浮かべるが、現状を打破することはできない。
居並ぶ神々は、私を犯神だと決め付けているように見える。
鋭い視線が、私の存在そのものを否定するように刺さる。
軽蔑したような、見下すような目が並んでいた。
誰も私を信じてくれない。
誰も。
「私は本当に無実なのよ!」
声が震える。それでも叫ばずにはいられない。
私の心からの叫びは、玉座の間に虚しく響き渡った。
響きはしても、何の手応えもない。
醜い悪あがき、そう神々は思っているようだった。
ちらりと見える、嘲笑めいた口元に胸が痛む。
突き刺さる冷たい視線。
かろうじて呼吸をしている私を、さらに押しつぶすように取り囲む。
こんな所で、私は終わってしまうの?
まだ何も成し遂げていないのに。
探し物が何かも、わからないままで。
失った記憶も取り戻せていないのに。
どうして、こんな事になってしまったのだろうか?
その謎を解くためにも、私は短い神生を振り返ることにした。
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