相11
《毒親注意》《暴力注意》
父と母が病室へ訪れたのは、姉が永眠した後だった。
私と父母との縁が切れたのは、姉が息を引き取る瞬間に二人が間に合わなかったからではない。姉がいたからかろうじて繋がっていた家族が、姉の死で壊れたのだ。
黙っていれば良いものを、葬儀が終わった斎場で母が祖母を責めだした。自分の落ち度に非難が来る前に、先制攻撃したかったようだった。
祖母が食べさせた有機野菜のシチューで、姉はインフルエンザに罹ったんだと母は怒鳴った。それなら一緒に食べた祖母も高熱を出す可能性が高いはずだが、深い悲しみでうなだれている祖母に、インフルエンザに罹った兆候はなかった。
祖父は冷静に祖母の現在の体調を説明してから、母の仕事の終業時間は16時なのに携帯の電源を切っていて連絡がつかなかった事を指摘した。
「私はゆきひの為に毎日働いていたのよ。少し位、私の時間があっても良いでしょっ。」
「・・かるらは学校が終わるとすぐ家へ帰って、掃除と夕食の準備をしていたんだ。遅く帰るあんたの代わりにかるらがいつも・・ゆきひと・・。ヘルパーの勤務日も、いつの間にかあんたが自分勝手にかえて・・・。」
「調子が良さそうだったからよっ。・・ゆきひがかえて良いって言ったんだからっ。私のせいじゃない、インフルエンザになるなんて分からないわっ。」
祖父の訴えに母は顔を赤くして反論した。
「・・どうして医療事務なのよ。介助士や栄養士とかあるじゃない。ゆきひをサポートする資格を取れば良かったのに・・。」
耐えきれずに祖母が前々から思っていた事を口にした。
「この子はゆきひの為にお医者さんとコネを作りたかったのよ。ほら、お医者さん同士の情報とかが分かれば、藪医者に当たらないじゃない。」
母を一人で育ててきた、私の母方の祖母が口を出してきたが、詭弁だった。
母の勤める病院は、姉の病とも、かかりつけの総合病院とも関係が無い、中規模整形外科病院だった。
私は、長い巻き髪をまとめもせず体にぴったりとした喪服を着たこの祖母が、大嫌いだった。
かつて、病に倒れた姉を、昔は可愛かったのにはずれだと母に言ったからだ。その時、母は怒って抗議する事も無く、祖母と普通に会話を続けていた。私はそのやり取りを聞いて、母という人間を正しく認識する事が出来たのだ。
祖父が母方の祖母の詭弁を一蹴すると、顔を赤くした母が、またわめきだした。すると突然この修羅場に、マスクをつけた黒髪ショートの女性が割って入ってきた。
「以前、ゆきひさんの母親が入っていたテニスサークルのコーチの妻です。御式に間に合わず、挨拶遅れまして申し訳ございません。この度はご愁傷様です。」
そう言うと祖父に香典を差し出し、頭を下げた。
「・・ご丁寧にありがとうございます・・。」
姉が病に臥す契機になったのはテニスサークルのバーベキューだ。困惑しながら祖父が礼を言う。
「本来は夫が来るべきだったのですが、昨日からインフルエンザで休んでおりますので、私が参りました。」
マスクをつけた女性は母を睨みつけながら話す。
「近いうちに不貞行為の内容証明が届くと思いますので、ご確認ください。・・失礼します。」
瞬間的に事態を把握した祖父母は激高した。
母は不倫相手とのバーベキューへ姉を連れて行き、食中毒になったのだ。そしてその不倫相手は今、インフルエンザに罹っている。
「ちょっと、かるらちゃん、止めて。みんな見てるのに、あんなこと言って・・。」
巻き毛の祖母が、言葉を失っている私を母の方へ押し出した。
自分は被害者だと騒ぐ母が、私の足元へ黒い鞄を落とした。その拍子に鞄の蓋が開き、中から見覚えのある字が書かれた封筒がこぼれた。
葬儀に来てくれた『わくフラ』仲間の看護師さんが、父母に何かを渡していたみたいだが、姉が家族一人ずつに宛てた手紙だったようだ。私が6通の封筒を拾い上げると、余りのことに愕然とした。母宛ての封筒以外、糊付けした封が剥がされていたのだ。
亡くなった我が子からの自分への言葉よりも、自分以外の家族へ何と書いたのかを知る方が大事だったという母の考えに、私は理性を失った。
乱暴に母宛ての封筒を破り開けて、便箋を読む。『病気になったのはお母さんのせいじゃないよ。私にだけじゃなく、お父さんやかるらちゃんにも優しくしてあげてね。お父さんのおばあちゃん、おじいちゃんと仲良くしてね。』といった内容が優しく諭すように書かれていた。この手紙を読まなかった母は、現在、姉の思いを見事に踏みにじっていた。
私は母を罵倒した。
お手洗いへ避難していた父が呼び戻されていたが気に留めず、不倫相手に現を抜かしていたからお姉ちゃんの死に目に会えなかったんだと叫んだ。仕事が終わっても不倫していたから、直ぐ家に帰らなかったんだろうと大きな声で責めたてた。
その瞬間、私の視界が暗くなった。
思いっきり頭を叩かれて、並べてあった椅子の上に吹き飛ばされたのだ。私は強く脇腹を打ちつけて虫のように身を縮めた。
私を殴り飛ばしたのは父だった。
母は父が自分を庇ったと思い、呻き声が漏れ出る私の前で瞳を潤ませて父を見ていた。
そんな母の視線を遮る影が、横から走り出てきた。
「裁刃さんは悪くないんですっ。私のせいですっ。」
どこかで聞いた声だが知らない女性だ。父に駆け寄り叫び、そして母と罵り合いだした。女性は父の勤務先の後輩らしかった。
「誰か、救急車を呼んでくれっ。」
「かるらちゃんっ。大丈夫?かるらちゃんっ。」
駆け寄ってきた祖父母の顔が、頭部の打撃による眩暈でちゃんと見えなかった。椅子への衝突で肋骨も骨折していて返事が出来ない。
親戚と斎場のスタッフが玄関口へゆっくりと私を運び出した。
父と後輩女性は救急車のサイレンが鳴り響くまで、わめき散らす母を相手取り、道ならぬ恋の悲劇の主人公として主張を繰り広げていた。




