相8
《毒親注意》
幼い頃は、2つ下の私に母親を取られる危機感で素っ気なくされた事もあったが、それは僅かな期間で、素直で家族思いの姉は私を可愛がってくれた。
そんな優しい姉が小5の夏、母親と行ったバーベキューで食中毒に罹ると、入退院を繰り返しほぼ寝たきりになってしまった。
私は父親と父方の祖父母と共に、浴衣を買いに出かけていて、姉とは別行動だった。
姑と折り合いが悪かった母が、姉を連れ母の通うテニスサークルのバーベキューへ参加し、姉だけが食中毒となり後遺症が重症化したのだ。
姉はベッドで過ごす時間が多かったが、体調が良い時は勉強したり、私とボードゲームやテレビゲームで遊んだりする事が出来た。
だが学校へ行って教室で授業を受けるのは難しく、大量の点滴による治療やリハビリを頑張る日々を過ごしていた。
姉が倒れてから1年が経った頃、私は祖父母が買ってくれた浴衣を祖母に着せてもらい、地元のお祭りへ友達と出かけた。
外出できない姉にお祭りの雰囲気を味わってもらおうと、私はお土産を買うことにした。屋台で焼かれるとうもろこしやタコ焼きを我慢しラムネをチビチビ飲んで、型抜き以外はせずに友達が遊ぶのを横で見るだけにとどめ、残りのお小遣いを姉へのお土産の購入代にまわした。
しかしお土産を持って家に帰ると、顔を真っ赤にした母が浴衣の襟首を引っ張って私を倒し、結っていた髪を掴み怒鳴りつけた。
「お前に人の心は無いのか」「祭に行けない姉を見下して楽しいか」「無神経にも程がある」そう罵られた私は、泣きながら母に土下座をして謝った。
私に姉を見下す気持ちは無かったが、私が無神経で配慮が足りなかったのはその通りだと理解できた。・・・後に、母の誘導で理解を強いられていた事が明らかになるのだが・・・。
姉は泣いて謝る私を少しも責めず、私の未熟なりに姉へ込めた想いを汲んで、お土産を部屋に飾ってくれた。
当時の私は子供ながらに『もっと姉の気持ちに寄り添おう』『姉に心配を掛けない為にも母親の怒り狂う様子を見せないように頑張ろう』と決意した。
・・・母の機嫌を損ねない努力が母を増長させてしまうとは、あの頃の私は思ってもみなかった・・・。
暗い記憶を思い出し、私は俯いたまま参道を通り過ぎようとした。その時、目の前がぐるりと回転して膝をついてしまった。
私の様子にいち早く気付いた鳥居の前に座っていた老人が、私に駆け寄り屋台の店員達に指示を出す。彼はお祭りを取り仕切っている立場の人だった。
境内の木陰へ運ばれ、冷たいスポーツ飲料を飲むと体は直ぐに楽になった。軽い脱水症状に、急落した精神状態が追い打ちしたようだ。
西日がさす境内にそよぐ風は、大木に茂る濃緑の葉や苔むした地面で湿り気を帯び、私の熱の籠った体を冷ましてくれた。
スポーツ飲料が疲弊した体に吸収され全快した私は、的確な処置を施して休ませてくれた周囲の人々へお礼を言うと、回復を笑顔で喜んでくれた。
お祭りの仕切り役の老人にスポーツ飲料代を渡そうとしたが、即座に断られた。更に、若い者に家まで送らせるかタクシーを参道脇まで回らせようかと、気っ風良く帰りの足の手配も申し出てくれた。
自宅は2百メートルも離れていないので遠慮する事を仕切り役の老人に伝えながら、私は亡くなった祖父を思い出して胸の奥がじんわりと温かくなった。
祖父は身勝手な両親から私を引き取り、過保護になってしまった祖母を諫めつつ母の悪意から守ってくれた、懐が深い人だった。
私は老人に再度お礼を言い、木陰へ運んでくれた店員達には、お礼代わりに屋台に並ぶ鼠マスコットのお面やサイリウムの腕輪セットを買って帰宅した。
マンションに着いた私はタイマーで稼働していたエアコンの冷気に包まれ、体調を再び崩さなかった事に安堵した。
リビングは日当たりが良い明るい部屋なので、夏はエアコンが切れていると5分でサウナ状態になる。
(タイマー起動させておいて良かったー。)
そう思いながら飾り棚に置いてある二つの写真立ての前に、買った鼠マスコットのお面とサイリウムの腕輪セットを並べた。
写真立てには、祖父母と姉の写真が入っていた。周りにはちりめんの朝顔飾りとダミー金魚が泳いでいる金魚鉢を置いている。
季節によって周りの飾り付けを変えているので、お面やサイリウムは子供っぽいが、より夏らしくなって楽しいコーナーになった。
姉は十六歳になる前に、感染症が悪化して亡くなった。
食中毒で倒れてから続いた闘病生活で体の成長が遅かったために、写真立ての中の笑顔はあどけない。
祖父母の姿も体を壊す前なので、二人ともふっくらしている。
祖母は私が短大卒業後、大学事務の仕事に慣れた頃に病死した。祖父は私と夫の結婚式を見届けると、安心するように祖母の元へと旅立った。
飾り棚の上に飾った写真は、姉と祖父母だけだ。私の大切な家族との思い出に、父母はいない。
姉の葬式で、縁を切ったからだ。




