笑1
オチまでのフリが長いですが、よろしくお願いします。
薔薇模様の銀細工で縁取られた鏡に、浅緑色の瞳と仄かに白い銀の短髪を煌めかせた青年が映る。瀟洒な洋風の自室で遅い朝食を終えた俺は、洗面化粧台の前に立っていた。
溜息をつきながら蛇口を捻ると、透明の水が流れ出た。起床時に洗顔していたが、顔を覆う前にもう一度、洗っておきたかったのだ。
今日はフラーグ学院へ入学予定である、王侯貴族の子息・息女の『事前登校日』だ。
入学前だが、灰色のフラーグ学院の制服を着用する。
上着の詰襟と袖口には、黒色とプラントリー一族の象徴である銀色の二重線がぐるりと刺繍されていた。誂えた新しい制服に袖を通した俺は、仕上げに内ポケットへ二つ折りにしたマスクを入れた。
身支度を済ませるとテーブル上の食器を、車輪が付いた配膳台に移す。
それを廊下へ置き、一端自室に戻って扉を閉めると、回収に来た使用人の足音がした。ガラガラと配膳台を運ぶ音が聞えなくなる迄待ってから、自室を出る。
我が家では夕食以外、各自部屋で食事する決まりとなっている。極力、準備や片付けを行なう使用人と、接触せずに済むように取り図られているのだ。
シーコック国は約2万㎢程の島国である。人口は約50万人、そのうち8千人弱が王侯貴族だ。王侯貴族と平民との違いは髪の色だけではない。
王侯貴族は『王族』を最高位に、『五大貴族』と宰相を輩出する『プラントリー一族』で構成されている。王族は『無効化』、プラントリーは『魅了』という、特殊な魔力を持つ。
そして五大貴族は、それぞれ一族ごとに『水』『風』『火』『木』『土』の魔力を持っている。
五大貴族の魔力は、絵本に出てくる魔法使いの様に、呪文で敵を凍らせたり爆風を起こしたり出来るわけではない。山地で採れる『魔石』に五大貴族が魔力を注ぎ、技術者と職人がその『魔石』を活用して、様々な創造をするのだ。
今、俺が歩いている我が家の廊下も、魔石でできている。土の『魔石』で作られた廊下は、一見大理石だが、実際に大理石は使われていない。しかし、質感や強度は大理石そのものだった。
上階にある姉の部屋へ行く為に、俺はコツコツと靴音をたて階段を昇った。
俺と姉は同い年である。プラントリー一族の末端に近い分家出身の俺、『サイナス・プラントリー』が、本家の宰相の娘である『イコリス』と姉弟になった契機は、十年前の偶発的に発生した事件だ。
十年前、収穫祭の日。噴水広場でイコリスはプラントリーの『魅了』を発現した。
これは絶対有り得ない事だった。
なぜなら王侯貴族達は『初潮』『精通』を迎えた時に初めて、一族ごとに継承している魔力を獲得するからだ。・・魔力を獲得すると一族総出でお祝いするのだが、初潮ならともかく精通した事を周知して祝うのは、ばつが悪いので止めてほしいものだ・・。
とにかく十年前はまだ、イコリスは六歳になったばかりで、特に発育が良い分けでもなくむしろ年齢より幼い位だったので、魔力を発現する筈がなかった。
それから魔力は、おおよそ十二歳前後に獲得され成長と伴に強くなっていくのだが、事件当時、『魅了』に侵された人数は王太子の従者五名を含め、四十八人もいた。さらに心酔の度合いも深く、攻撃性を自制出来ない危険な状態だった。
『魅了』は、明確な意思を持って目標人物へ好意を思わせる表情、つまり『笑顔』を見せる事で効果を発揮する。
プラントリー一族頭首を兼任する、魔力が一番強い現宰相のイコリスの父でも、一度に『魅了』をかけられるのは、せいぜい十数名が限度だ。そして深く心酔させるには、性交に近い接触が必要だと言われている。
したがって極めて異例な事態だったのであるが、噴水広場にいた王太子ファウストの行動は素晴らしかった。
ファウストは離れた場所にいる、イコリスに心酔していない人々の存在を発見すると、瞬時にプラントリー一族の『魅了』に帰結し、シャツでイコリスの顔を隠した。
幼さゆえ稚拙な所もあったが、『魅了』に侵された人々へ諫める言葉をかけたり、警察を呼ぶ指示を、自身ではなくイコリスにさせる判断は見事だった。
プラントリー一族の『魅了』に対抗出来るのは、同じ魅了を持つ血縁者と『王族』だけだ。五大貴族も魅了に罹りにくいが、一時的な心酔は免れない。
血縁者以外で完全に『魅了』を打ち消し影響を受け無いのは、『無効化』の魔力を受け継ぐ王族のみである。
王族の『無効化』は、あらゆる魔力に有効だ。五大貴族達の魔力にもその力は通用し、魔力を帯びた魔石の効力の消滅が可能だ。
けれども王族が『無効化』を獲得するのは、他の貴族と同じ『初潮』『精通』を迎えてからなので、イコリスと同じ歳のファウストは、まだ『無効化』を使えなかった。
魅了に侵された人々の心酔を、解除出来ない年齢だったのだ。
駆けつけたケーナイン警察隊隊長に、ファウストが進言して出動させた国王直属の『親衛隊』は、『対魅了専門特殊部隊』であった。
結成以来、対魅了処理は訓練のみで、平時は王族の警衛警護等をしており当時の出動が初陣だった。
ファウストの父、国王6世は、変則的に幼いイコリスが魅了を発現した不慮の事故とせず、親衛隊が出動するまでに至った被害は甚大とし重く捉え、国民や王族の脅威とした。
また、王族は生来、プラントリー一族の『魅了』には罹らないのだが、『無効化』をまだ持たない王太子に強力な『魅了』で害したとして、国家反逆に通ずると厳しく断じた。
それによりイコリスは頭部全体を覆う鉄仮面を被せられ、地下牢に幽閉。
宰相をはじめプラントリー一族の官僚達は謹慎、その家族も外出を禁じられた。イコリスに銀貨を与えた叔父の『アルティーバ』は兄である宰相の補佐の職を解任、拘禁され取り調べを受けた。
幽閉されたイコリスは収穫祭以後、『魅了』の発現は一度もなかったにも関わらず、王命により地下牢で魅了の魔力調査実験がしつこく繰り返され、親元に戻れたのは3ケ月過ぎてからだった。
噴水広場で親衛隊に捕縛された時から、イコリスは従順だった。元来、明朗快活で素直な性格だったが、明らかに故意ではなかった幼い子供に対しては過剰な処分を、全て大人しく受け入れていた。
帰宅後も鉄仮面を外す事は許されずに魔力調査実験と軟禁は続き、弱音を吐かないイコリスは心を摩耗していった。
両親は娘があまりにも不憫で、国王に処遇の緩和を訴えた。王太子ファウストからも国王へイコリスの負担を軽減するよう懇願があり、まだ6歳という年齢に配慮される事となった。
そのひとつがサイナス・プラントリーの宰相家への養子縁組である。
魅了が効かない血縁者で歳が近いのは遠縁の俺だけだった。ゆえに俺が同年代で気が置けない唯一の存在として抜擢されたのだ。
魅了を獲得するまでの5年間、共に遊び学ぶのは勿論、『魅了』の調査実験も一緒に受けてきた。
初潮・精通を終えた後は、フラーグ学院への入学に向け過酷な魅了の制御訓練を重ね、義理の姉弟と言うより二人で苦楽を乗り越えた同志となっていた。
数奇な事情で姉になったイコリスの部屋に辿り着いた俺は、扉をコンコンと叩いた。
「イコリス、俺だよ。」
「はーい。どうぞー。」
軽快な返事を受け扉を開けると、フラーグ学院の制服を着たイコリスがスカートをひらめかせて振り向いた。
白い丸襟のブラウスと長い銀色の髪が、部屋へ差す陽光に反射して眩しい。
灰色の上着は丈が短く、襟元は大きく開いている。腹部に二つ並んだ金ボタンが、胴のくびれを強調していた。
プリーツ状のスカートの裾と上着の袖口は、銀と黒の二重線で縁取られている。
しばらくイコリスの制服姿を眺めた俺は、先程から感じていた違和感の正体に気づいた。
「なんか、胸、大きくなってない?」