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「ここ、掃除が甘いじゃない!」
「も、申し訳ありません、お嬢様!」
シュワルツ伯爵家に奉公に来ているクラーラ・クラインは、伯爵家の令嬢で跡取りのジルケディア・シュワルツに謝罪する。
急いで掃除をしようとするが、どこにも汚れは見当たらない。言われた場所を拭いてみても、雑巾が新たに汚れることはなかった。
「本当に愚図ね。やっぱり家格が低いと程度も知れるわ」
「申し訳ありません……」
「私が懇意にしている侯爵家の令息への手紙も出していなかったわよね!? お使いも満足にできないの!?」
手紙を出す手配をするのは別の使用人の役目。
ジルケディアが手紙を書くことは滅多にないため、失念してしまったのだろう。
ジルケディアの書く字は非常に拙かった。
そのことを他人に指摘され、不貞腐れてから手紙を出さなくなって二年が経とうとしていた。
本来、手紙を出す手配をするはずだった使用人が失念するのも無理はない。
しかも、意中の相手以外に宛名の文字と自分の名前を見られるのは恥ずかしいからと、直接持って行くように命じる我がままっぷり。
しかし、口答えをすることは許されない。
ジルケディアに嫌味を言われてもクラーラは黙って耐えていた。
クラーラの生家は男爵で、一応、男爵令嬢なのだが、貧窮しているため奉公に出ている。
クラーラの生家、クライン男爵家は法陣結晶――通称“宝石”を生成させる高い能力を有していたことで、爵位を賜った家系だった。
法陣結晶――通称“宝石”は魔術に使用する魔法陣などの法陣を溶け合わせ、結晶化させたもの。
結晶化で一体化しているので加工もでき、魔術用の杖や護身用のネックレスの材料として使用される場合が多い。
法陣に細かく書き込めば、魔力を流すだけで想像通りに発動させることも可能。
それ故に、わずかな不備でも十分に機能しないことがある宝石の生成は、非常に高度な技術を要する。
熟練の術師であっても習得できないことが多いため、宝石を生成する存在は少ない。
クライン男爵家でその能力を持つ者は初代とその子息である二代目まで。以降、宝石を生成することのできない子孫によって、緩やかに衰退していった。
経済的に困窮した状況にクラーラの父親、今代のクライン男爵は三人の子どもの内、一人を奉公に出すことに。
息子は跡継ぎとして必要、末娘は五歳にも満たない。消去法で十六歳のクラーラが出されることになった。
クラーラは親、兄弟、わずかに残ってくれている使用人と離れたくはなかったが、実家の状況を察することのできぬほど子どもではない。泣く泣く奉公へ出ることを承諾した。
クライン男爵はせめて縁のある奉公先へと、初代が爵位を賜るきっかけとなったシュワルツ伯爵家へ。
元々豪商のシュワルツ伯爵家は宝石を売買する店を出しており、その中にクライン男爵家の初代が生成した宝石もあった。
店に出品されたことにより、クライン男爵家の初代が評価されたのだ。
そういった背景からか、シュワルツ伯爵の家族はクラーラに対して他の使用人よりも高圧的に接し、クラーラもまた逆らえずにいた。
自分たちの都合の良いように扱うため、雇用契約すら交わしていない。
奉公に来て数ヶ月ほどだが、いつも小さな失敗を嘲られ、虐めを受けている。
初代の頃から縁のあるシュワルツ伯爵家と、良好な関係を築いていると信じて疑わないクライン男爵。初代が爵位を賜るきっかけとなったこと、娘の奉公を快く受け入れてくれたことに恩義を感じている。
奉公先で娘がこのような仕打ちを受けているとは思いもしないだろう。
クラーラは家族に心配させまいと、手紙では嘘を書き綴っている。
「男爵だけど、私の家庭教師が来るのだから念入りにしてちょうだい。一応、元宮廷魔術師らしいし」
「承知いたしました……」
シュワルツ伯爵は多くの富を有している。
次に狙うのは、高品質の宝石を生成できるという術師としての地位だ。
宝石を生成させる高い能力を有していたクライン男爵家出身のクラーラに辛く当たるのも、これが原因の一端であるのかもしれない。
シュワルツ伯爵も夫人も宝石を商品としてしか見ておらず、宝石を生成するために勉学に励もうなどと思わない。努力せず、楽に地位が欲しいなどと宣っている。
幸いなことに、娘のジルケディアは興味を示したので家庭教師を付けることに。
上手くいけば、ジルケディアが王太子妃になることだって夢ではない。
このイエルシュタイン王国では、王太子妃の選定方法が少し変わっている。
候補者に召喚で使用する魔法陣の“宝石”を生成させ、召喚された存在の希少性や位、力で決めるのだ。
国が厄災に見舞われた折に、宝石から召喚された獣によって救われた歴史がある。
攻撃魔術や呪術の使用は使い慣れない者からすると扱いが難しいため、命令一つで従う召喚獣は非常に重宝する。
加えて、召喚で使用する魔法陣の宝石は、召喚の詠唱や法陣を書く能力の無い者にも使用できるので、これほど力強いことはない。
非常事態に備え、確実に召喚法陣の宝石を生成することが出来る者を王室に引き入れることを目的に、王妃、及び王太子妃の必須能力として慣習化された。
要求されるのは、より希少で、高位で力のある存在を召喚する質の高い宝石を生成させる能力。
最も高品質の宝石を生成することができれば、身分に関係なく誰でも王太子妃になることが可能。
王太子と結婚することを夢見る女性は皆、宝石を生成する技術を磨いているのだ。
ジルケディアが王太子妃になれば跡取りの問題が出て来るが、後でどうとでもできる。
親戚から養子をとり、娘と同じように教育すれば同様に術師としての地位が手に入る。
娘に宝石を生成させる為に家庭教師として呼んだ元宮廷魔術師は、商売で築いた人脈から情報を得て契約。
出自が男爵家で家格が低く、無能であるという悪評が広まっている点が気になった。しかし、“元宮廷魔術師”という経歴を持つ者自体、珍しいので目を瞑ることにしたのだろう。
術師として無能であっても、教師として優秀である場合がある。
“元宮廷魔術師”という立派な経歴を持つ者を家庭教師として招聘するあたり、シュワルツ伯爵の並々ならぬ意気込みを感じる。
平民は魔術に興味を持つことは少ないため、使用するものは日常生活が便利になる簡単な魔術のみ。
宝石の生成についても、王太子妃に選ばれる女性はたった一人。可能性が低い上に難しい、宝石の生成について勉強する意義が見つけられないのだろう。
一方、貴族は王室に仕える場合が多く、魔術に精通していると出世が期待できるため、高度な魔術を扱う者が多い。
その延長で、宝石の生成について勉強する者もいる。
その中でも“宮廷魔術師”は特別だ。
宝石を生成させる術師の家系にもかかわらず、実家が衰退したことによって、そういったことに縁遠かったクラーラ。
両親も祖父母も簡単な魔術しか扱えず、身近に高度な魔術を扱える者がいないせいか、元宮廷魔術師に密かに興味を持っていた。
宮廷に仕えていた憧れの魔術師に会える。
クラーラは気付かれないよう、懸命に手を動かした。