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第六章  脳科学から見る、いじめの本質。

 脳科学の観点から見ると、いじめはあって当たり前になります。


 それは集団を維持する為に必要な装置であり、それをしないと集団はバラバラになるからです。


 簡単に言えば、フリーライダーの存在を許すと、皆がフリーライダーになるからです。


 実際、暴走自転車などはその典型であり、自転車は取り締まられる恐れが無いと勝手に認識するからこそ、人を平気で轢き殺すような真似が出来ます。


 自分は悪くない、回避義務は歩行者にこそあると身勝手な供述をした、そんな被疑者もいるぐらいですから。


 その一方で、暴走自転車を許さないとか、そんな奴は死刑にしてしまえばいいと平気で思い込めるのも、実はこういった暴走自転車の乗り手になります。


 他人がすると、それを悪と認識します。


 だからこそ、自分のことを棚に上げて暴走している自転車を見ると、どこか怒りを感じるのがこの機能になります。


 身勝手な感覚ですが、これは無意識下で起きている反射的な感覚なので、自分の行為を顧みるということは一切しません。


 むしろ、自分の運転を安全運転の見本とすら、思い込めるぐらいです。


 どうしてかと言えば、人々が勤勉であること、役割を演じることをやめたら、集団はあっという間に崩壊するからです。


 その前提が、自分は勤勉であるはず、自分は役割を演じているはずとの思い込みになります。


 思い込んでいるからこそ、フリーライダーを集団に置ける、一種の裏切り者と認識します。


 このフリーライダーを見つける、あるいは不快に思う機能が脳には備わっていて、それを裏切り者検出モジュールと呼ばれます。


 この機能は嫉妬と結びつきやすく、他者との違いを自分よりも得をしているはずと思い、あいつはフリーライダーと認識するように出来ています。隣の芝生が、より青く見えるようにです。


 これが、いじめ行為の入口になります。


 だからいじめとは、加害者から見るとそれはいじめではなく制裁であり、正義の鉄槌になります。


 するしないではなく、しなければならないという機能が、人間の脳には出来ています。


 しかもいじめを止めるよりも、いじめを積極的に誘導するように脳が出来ていることにあります。


 いじめをすることで脳内ではアドレナリンやドーパミン、果てはエンドルフィンまでもが分泌され、いじめをすることで加害者はとても幸せな気持ちになります。


 これはミルグラム実験で証明されたように、人は人を力で支配することで快楽を得ます。


 特にこのエンドルフィンは、脳内麻薬と呼ばれ、分泌されると凄まじい程の快楽を与えてくれます。


 ランナーズハイとも呼ばれますが、その効果は麻薬の効果の数倍とも言われています。


 脳が未発達な児童なら、この快楽に溺れるのはむしろ自然なことでしょう。


 しかも概ね10歳ごろから始まる第二次性徴期になると、男子児童はテストステロンの分泌が過剰になります。

 

 テストステロンは男性ホルモンであり、この過剰分泌によって身体を急速に男に作り替えます。

 

 しかし脳はまだ未発達のままであるゆえに、ホルモンバランスの乱れからより攻撃的になります。


 むしろ、戦闘態勢になっているのが、男子児童のデフォルトになります。


 困るのはこの状態だと、ドーパミンまでもが大量に分泌されます。


 ドーパミンの大量分泌は、興奮状態を引き起こすのみならず、身体的強化をもたらします。


 格闘家とかアスリートが、試合前とか競技前に頬を叩いたりして身体に刺激を与えるのは、このドーパミンを分泌し易くするためでもあります。


 しかし、未成熟な児童はそんなことしなくても興奮状態に陥りやすく、大人から見るととても愚かな行動を取る、例えば自転車で暴走するといった行為も、彼らから見たら普通の行為になります。


 暴走したその結果、大けがを負ったり、場合によっては死に至る場合もあります。


 人に怪我を与え、重大な障害を与えるかもしれません。


 そこまでいかなくても、かつてあった学級崩壊などは、これが原因のひとつと考えられます。


 つまりその感覚でいじめをするのだから、被害者にとってはたまったものではありません。


 しかもそこに、正義による制裁行為と言う思い込みが加わるから、益々タチが悪い状態になります。


 つまり、脳科学の観点から見たら、いじめはやらないのではなく、やるように出来ています。


 しかも、日本人は他の民族のみならず、同じアジア人と比べても脳内ではセロトニンが少なく、それがいじめ行為にブレーキが掛からない要因になります。


 セロトニンは不安を解消し、興奮状態から理性を取り戻す効用があります。


 それが慢性的に不足しているのだから、不安を助長し、興奮状態は解消されず、短絡的な行動を理性的な行動と認識します。


 つまり、いじめが起きると加害児童は自らの意思で止めることは出来ず、むしろ加速度的に悪い方に突き進みます。


 何故なら、いじめをやればやる程、不安は解消され、とても幸福な気持ちになるからです。


 おまけに様々なコンプレックスやルサンチマンも解消され、承認欲求も満たされます。


 いじめをすることで支配欲求も充足し、もはやいじめはライフワークにすらなります。


 これでは話し合いなんてとんでもなく、いじめの否定は加害児童にとって人生そのものの否定になります。


 人生が否定されるのだから、加害児童側は全力を挙げて反撃するでしょう。


 実際、数々のいじめの事例では、被害児童が声を挙げれば挙げるほど、事態はより深刻になるからです。


 つまり、加害児童のアイデンティティが関係するからです。


 その加害児童のアイデンティティを潰そうとする行為が、実は被害児童がする、声を挙げるという行為になります。


 児童よりも上位の権威者である、教師や大人に相談したことにより、加害児童のプライドが傷つくからですし、重大な裏切りとか背信行為と認識します。


 教師よりも、自分達に直接言えと。


 もっとも、彼らに言ったら言ったで、問題が解決することなんかありえません。


 彼らにとって力こそ、すべてなんですから。


 では、加害児童たちは本当に、いじめを肯定しているのだろうか?


 無実の人を攻撃し、排除する行為をヨシとしているのか?


 いじめの専門家がいじめが発生した学校に乗り込み、生徒たちと様々な議論を行いました。


 いじめをどう思うのか?


 その問いに対して、児童たちからは意外な反応が返ってきました。


 いじめは卑怯だ。


 いじめは許せない。


 いじめは、絶対にダメだと。


 これは他校で起きたいじめの事例について行った討論でしたが、概ねいじめは否定的な意見ばかりでした。


 いじめを肯定するような意見は、ひとつもありませんでした。


 しかし、問題はそこからでした。

 

 では、あなた方のしている行為は、いじめではありませんかと水を向けると、状況は一変しました。


 反論に次ぐ反論でしたが、まともな反論はひとつもありませんでした。


 それを要約すると、我々のしている行為は、いじめではないと。


 さっき、君たちのしているような行為を、いじめとそう言っていたではないか?


 そう専門家が指摘しても、違いますの一点張りでした。


 いやいや、さっきまで君たちは、いじめはダメって言っていたではありませんかと言っても無駄で、あとはそっぽを向かれたそうです。


 大人は信用出来ないと、きっとそんな感じでしょう。


 騙されたと、思ったかもしれません。


 そもそも日本人は、慢性的なセロトニン不足が理性や思考を奪い、矛盾することを平気で主張してしまうようになるからです。


 他人がすることと、自分達がすることは、似ていてもまったく違うからです。


 いじめはダメは常識であるが、それは自分のしている行為とはまったく違うと。


 自分達がしていることは、集団の存亡が掛かっており、それこそ生きるか死ぬかぐらい重要なんですとなります。


 それに対して他校で起きているいじめは、自分達とは一切関わりなく、それこそ他人事だから綺麗事や建前を平然と言えます。


 いじめはダメ、いじめは卑怯であると。


 彼らが何故そう言うのかといえば、そう言えば大人達が喜ぶからです。


 つまり、本心からの発言ではなく、ただ見映えがいいからそのように発言しています。


 いじめ、絶対ダメと。


 そして大人たちの前でこう言えば、褒めてもらえるといった成功体験を元にしています。


 発達障害の子と一緒に仕事をしたことがありますが、その子は自分の仕事を極端に嫌がるものの、自分の仕事以外を積極的にしようとしてきます。


 つまり、お手伝いです。


 これは仕事はすることが当たり前であり、褒められるよりも叱られることや咎められることで学んだ失敗体験からくる感覚になります。


 だから、仕事からどうにかして逃れようとします。


 逆に人のお手伝いをすることによって褒められたり、感謝されたりする成功体験が、その子をして仕事を忌避させ、それこそ余計なことに手を出すようになります。


 これと同じで、いじめ絶対ダメとか、友達とは仲良くと言えば皆が褒めてくれるからそう言っているのであって、本心は別にあります。いや、本心なんてものは、最初から無いのかもしれません。


 だから第三者の視点での発言ではなく、無責任な野次馬的にいじめダメと言っているに過ぎません。


 子供は優しいなんて、幻想にすぎません。


 優しい子供が、虫を殺したりSNSで酷い書き込みをするはずはありませんし、KY叩きなんかしませんが、大人たちの前では優しいのでしょう。


 では、彼らがどうしてそんなことをするのかと言えば、実は彼らにもよく分かっていません。


 ただ、彼らは優しさと厳しさを状況に応じて使い分け、大人を騙そうとします。


 巧妙に本音を隠し、可愛い子供を演じます。それも無意識にです。


 それが児童の生存戦略であり、普通のことになります。


 では、何でそうなのか?


 話せば分かるのか?


 困ったことに彼らのその本音は、実は言語化が難しく、言語化が難しいゆえに対処法がありません。


 話すも話さないもありません。彼らは、言葉を持たないからです。


 だから話し合いは、するしないではなく、そもそも不可能なんです。


 しかも、児童にとって社会的にダメなことは実行すれば快楽が伴い、その快楽が制御出来なくなって暴走すると、いわゆる不良化になります。


 当初は正義による制裁がいじめの理由でしたが、それが行きつくと怪物に成り果てるのです。


 いじめをすることを、目的とします。


 こうなると、最後は社会の敵と認識されます。


 大津いじめ自殺事件の加害児童は、進学先の高校で問題を起こしたそうです。


 普通に生きることが、どうも出来なくなったようです。


 では、一体どうすればいいのか?



 海外の事例を紹介します。

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