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第二章  学校の本質について

 いじめが発生し、人々がそれを認識してもなお、関係者がいじめを止めようとしないのは何故か?


 それどころか加害児童側に荷担し、被害児童を追い詰める目的は一体何か?


 仙台市で起きたいじめの事例では、教師が先頭に立っていじめを主導しました。


 これは別に特異な事例ではなく、過去にも似たような事例がありました。


 有名ないじめ事案としては、葬式ごっこなんかがあります。


 保育園を対象にした全国調査でも、不適切保育の事例がかなりの数で見つかり、言葉を飾らなければ虐待がある保育園がかなりの数に上ったのも、つい最近分かったことです。


 虐待をした保育士の人を見ると、ごく普通の人にしか見えません。


 むしろ、普通の人だからこそ、虐待をするかもしれません。


 学校ではいじめを、保育園では幼児虐待をすることが、ごくごく当たり前のことなんです。


 特養ホームでの虐待だって、隠しカメラを設置して初めて発覚するような事例もあり、特に認知機能が衰えた老人を虐待することで、介護士のストレスを発散していた事例もあります。


 それをおかしいとか、ダメじゃないかと言う方が、どうかしているとなるのが、こういう外側には一切見せない、閉鎖された組織では起こりやすいと言えます。


 ジャニーズ性加害問題や、まだはっきりしていない宝塚歌劇団問題も、構造はまったく同じでしょう。


 正邪を決めるのは、法律でも道徳でも倫理でもない。


 その場の空気なんだと。


 それがこの社会の現実であり、冷たいまでのリアルになります。

 

 わいせつ教師なんて、むしろ目的がはっきりしているだけ対応は簡単ですが、こといじめに関しては、理由がはっきりしていない以上、もうどうにも出来ません。


 むしろ、加害者側に加担する方が、授業がスムーズに進むからです。


 子供を教育し、導くべき教師が何をやっていると思われるかもしれません。


 しかし、このいじめ自体が日本の教育の本質であるので、その意味では学校は子供たちをきちんと導いています。


 集団の一員として。


 よく空気を読み、弱い者には迫害を、強い者には忖度をする。


 所属する集団の為なら、何をしてもいいし、しなくてはいけないと教え込んだのです。


 それは、どんな組織でもです。


 東芝不適切会計事件のように、どう考えてもこれはダメでしょうということが分からないし、むしろいいことをしたと思うようになりました。


 つまり、違法行為を喜んでするのではなく、違法行為を忘れ去る、あるいは存在しないことにするのです。


 それが出来るようになるために、学校という組織は存在しています。

 

 立派な社会人として育て、あるいはその前段階で様々な教育をする学校がこんなことをするのはおかしな話に聞こえます。


 しかし、必要だからそうなったのであって、必要無ければそんなことはしません。


 どうしてそうなったのかと言えば、学校の存在理由、つまり手段と目的が変わってしまい、あるいは変質したからに他なりません。


 何故なら、学校の目的がそれだからです。


 我々はそんな学校の存在に疑問を持たず、あって当たり前のモノとして認識しています。


 しかし、元々学校は、児童の識字率の向上や教育水準の平準化が目的であり、道徳的とか人権意識とは、実は反対の存在になります。


 個性を無くす、民主主義的な人権意識を減らすのが、日本の学校の主たる目的だからです。


 人権意識を育みましょうとか、共生社会を実現しましょうは、建前に過ぎないからです。


 いや、それはすべて後になって要求された、学校の存在理由のひとつとして利用しているに過ぎません。


 そもそも学校とは、明治維新以降急速に進んだ近代化に合わせる為に設置され、その究極の目的は富国強兵の尖兵になります。


 当時の日本は教育水準が各地でバラバラであり、しかも地域独特の言葉、つまり方言のままでは、上官の命令を遂行するどころか意味すら理解出来ないからです。


 だから都会人と地方人を分け、あえて差別することでアイデンティティを醸成したのです。


 方言は恥ずかしいと。


 しかも殖産興業の推進から、大量の工場労働者を必要とする産業界からの要請で、義務教育制度は急速に進みました。


 それでも統一化が出来ず、教科書検定によってなんとか全国一律の教育が進みました。


 言葉を合わせ、思想や概念も統一しました。


 日本の学校とは、そんな歴史があります。


 体育の時間などがその典型で、私の子供の頃は体罰は普通であり、夏でも水を飲むことは禁止でした。


 学校行事の参加は強制であり、組み立て体操による事故は、全国で毎年数千件に及んでいます。


 別に文科省が組み立て体操をを推奨している訳ではなく、ただ地域の見世物的なサーカスに過ぎません。


 そう、学校は子供を見世物にしているのです。


 それでもそれが行われるのが、軍隊式である協力一致の為であり、そして地域における連帯意識の向上に他なりません。


 だが、どうしても同調出来ない者が、一定数存在します。


 学校はそれでも出来るように、あるいは出来るまで指導します。


 本人の適性や、自由意思は無視して。


 逆に出来る子は普通に、出来ない子もまた、普通になるようにと。


 それでも出来ない者は、行事に参加せずに学校を休むように指導します。


 なにもこれは運動のみの話ではなく、全国学力テストで出来ない児童に、参加しないように促すのと同じ発想になります。


 そもそも、全国学力テストの目的は、全国の児童の学力調査が目的なのだから、ある特定の児童にテストに参加しないように促すのは、本来の趣旨から逸脱しています。


 だが、学力テストの結果は、学校や地域の名誉が掛かっており、個人などどうでもいいのです。


 そう、学校の名誉は地域の名誉、そして地域住民や地域の名士にとって、大事なツールになるのです。


 これがいじめが発生する、土壌を育むことになります。


 何故なら、学校側が見ているのは生徒児童ではなく、地域住民の目だからです。


 そして教師は、概ね集団に溶け込み、立派な教師になるべく初志に誓ったことなど雲散霧消してしまいます。


 ただ教職員室の空気を読み、親たちによるクレームを恐れ、児童を一種の機械にする。


 学校や教師の思い込む正しい解を児童に押し付け、個性や適性を可能な限り無くし、否、すり潰すことによって平均的な日本人を社会に出す。


 それを望むのが地域であり、この国だからです。


 そしてそれが、安全な日本を担保すると、彼らは信じて疑っていません。


 そして児童は、概ね大人の思うような存在になります。


 そして空気の読めない者、同調しない者を叩くようになります。


 そんな馬鹿なと言われるかもしれませんが、それを証明した実験が、米国で行われました。


 ザ・サード・ウェーブ実験と呼ばれる、忌まわしき実験になります。


 詳細は省きますが、ナチスやナチスに従ったドイツ国民を馬鹿にし、米国人なら決してナチスを容認しないと言い切る生徒達に対して行った実験です。


 結果は、実に簡単に出ました。


 子供たちは口ほどにもなく、あっさりとナチスに染まりました。

 それどころかこの実験は、外部にまで広がりました。

 どうしてかと言うと、教師ですら止めることが出来なかったからです。

 自分に絶対に服従せよと始まった実験にも関わらず、絶対者が止めることが出来なかったのです。


 それで教師は、君たちのリーダーは誰かと問い、彼らは先生ですと答えました。

 しかし教師は、違うと答え、君たちのリーダーはこの人であるとあるモノを見せつけました。

 ヒトラーの肖像でした。


 それで子供たちの洗脳は解け、実験はなんとか終了しました。


 集団によって歪められた価値観は、人の意識や正義を変質させます。


 ちょっとした実験でさえ、人々をその価値観に染め上げ、あっという間にナチス親衛隊もどきを作り出したのです。


 ファシズムを嫌悪しているはずの、米国の若者ですらこのあり様です。


 学校のような閉鎖的な空間では、歪んだ価値観を醸成し易く、そこにある正義は、ナチスの唱える正義に早変わりするのです。


 ましてや、個性を重んじない、同調することを強要するような学校では、人権意識など働くはずもなく、そこに長年在籍する教師ですら、簡単に悪に染まります。


 無意識にです。


 いじめを愉しむ教師、わいせつ行為をする教師、体罰を趣味とする教師など、狂っているとしか思えないような教師が存在しますが、彼らがもし学校以外で働いていたら、果たしてそのような行為をするだろうか?


 出来るはずはありませんが、その手前ならいくらでもするでしょう。


 セクハラ、パワハラなどのハラスメントや、ブラック企業の理不尽な上司は、その典型だからです。




 それを証明したのが、アドルフ・アイヒマン効果実験、通称ミルグラム実験になります。

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