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最終章  いじめの処方箋

 いじめを無くすという考えは、まず現実的ではありません。

 いじめを無くすということは、原発安全神話のようになり、原発に事故が無いようにいじめは無いという前提で人々は思考して行動し、いじめの概念そのものを凍結してしまいます。

 

 それが如実に表れた事例が、大津いじめ自殺事件になります。


 いじめなんか無いと断言し、せせら笑う学校長には怒りを感じたものですが、今にして思えばあのせせら笑いは、幻想の共同体に対して見せた、精一杯の誠意の表れだったのでしょう。


 つまり、自分は共同体を裏切らないと。

 

 冤罪事件でも捜査関係者が冤罪を認めないのは、彼らが馬鹿だからではなく、それが共同体に対して見せた、勇気と忠誠なんだと思われます。


 その代表的な例が、東海第二原発を所管する、日本原電になります。


 東日本大震災において、津波の襲来を受けながらも過酷事故を避けた原発が、女川原発とこの東海第二原発になります。


 詳細は省きますが、東海第二原発は密かに津波対策を講じていて、しかも短期的な工事、中期的な工事とバージョンを上げていき、ついにあの3.11の直前に工事がほぼ完了しました。


 そしてあの日、2011年3月11日14時46分。


 三陸沖で発生した巨大地震によって、三陸沿岸には大津波が押し寄せましたが、東海第二原発はかろうじて津波を防ぎました。


 問題はその日本原電が行った津波対策工事を、津波対策工事ではないと今でも認めていないところにあります。


 不思議な話しですが、工事内容は明らかに津波対策ですが、日本原電は認めていません。


 では、我々が何故、それを津波対策と知ったのか?


 実は裁判で、日本原電は証言しました。


 これらの工事は、すべて津波対策ですと。


 当然、裁判では宣誓して証言するのだから、嘘は言えません。


 だから日本原電側は嘘を吐けずに、正直に証言しました。


 裁判では証言したのに、どうして公式に認めないのか?

 

 それが原発ムラに対しての義理であり、共同体に対する勇気と忠誠の証になるからです。


 東電を中心とする、原発ムラでは原発は安心安全でなくてはならず、せいぜい奥歯にモノが挟まった言い方しか出来ませんでした。

 

 相互に空気を読み合い、なあなあで済ました結果が、福島第一原発事故やかろうじてメルトダウンを防いだ福島第二原発の結末を導きました。


 では何故、日本原電はこっそり津波対策を行ったのか?


 それは原発事故の現実を、至近距離で見たからです。


 実はその前に起きた、日本初の臨界事故があったからと推測します。


 東海村JCO臨界事故として知られる、前代未聞の事故でした。

 

 この事故によって、東日本は壊滅するかもしれないと言われた程、大変な事故でした。


 詳細は省きますが、日本原電は東海村に在り、長年原子力発電に携わってきた企業ですから、知らない訳はありません。


 原子力による過酷事故の怖さを、身を以って知っている存在です。


 しかし、原子力ムラの意向もあり、空気を読まないといけません。


 だからといって、何もしない訳はありません。


 だから、こっそり津波対策を講じていました。


 逆に言えば、それだけ共同体には逆らえないし、うまくやらないといけないという文化が、我々日本人にはあると言えます。


 いじめも同じで、被害者がいじめ対策を大っぴらにやると反発や隠ぺいが起こるので、この日本原電のようにうまくやらないといけません。


 非常に辛い話しですが、それが現実なんです。


 いじめという共同体の意思に逆らう訳ですから、うまく知恵を働かせ、しかし共同体には逆らう意思を見せない、むしろ自分はみんなのサンドバッグを演じる。


 それしか、生き延びるコツはありません。


 だから逆に、いじめになる手前、いじりの段階でそれ以上酷くならないようにする、いじりに留める努力が必要です。


 それは当事者にしか出来ない話しですが、その一方で、いじめの被害者はそういった行為が苦手でもあります。


 つまり、いじめの被害者にならない為にはコミュニケーションスキルが求められ、その能力が低いからこそ、いじりがいじめに発展してしまいます。


 さらっと、流せないからです。


 子供たちが常日頃からスマホをいじるのも、あるいはエンタメ番組を閲覧して情報収集するのも、共同体内での立ち位置を確保する為にあります。


 大人も同じで、同じような娯楽に興じることで共同体内の立ち位置をキープします。


 それが出来ない者は、会社には不要な存在です。


 あとは社畜になって過労死するまで働くといった、非人間的な状況に陥るでしょう。


 異世界ファンタジーではおなじみの設定ですが、しかし現実にそれがある以上、異世界に逃げる選択肢はあり得ないはずです。


 それは、過労死を容認するからです。


 そしてそのやり方や文化は、我々が子供の頃から培い、訓練してきた賜物でもあります。


 だからこそ、いじめは無くならないし、学校が隠ぺいします。


 これが本当に嫌なら、幻想に過ぎない共同体をぶっ壊すしかありませんが、そもそも幻想に過ぎないのだから、ぶっ壊すも何もありません。


 空気を掴もうとするようなモノですし、どんなに頑張っても空気を掴むことは不可能になります。


 いじめがどれほど厄介であり、我々にとって必要悪であるかが、読んでくれた方にはある程度受け入れることが出来ると思います。


 いじめダメと言っている人ほど、いじめ行為をやっているものですから。


 それも、無意識にです。


 それでもいじめが許せないのなら、自らを支配することです。


 ありもしない共同体に、自らを委ねないことにあります。


 だって、これからはAIが我々に取って代わろうとしているんですから、存在しない共同体にいくら尻尾を振っても、もう何もしてくれません。


 だって、存在していないんですから。


 だから我々は、そんな共同体とはおさらばし、もっと自由になるべきであり、そこから新しい発想、新しい何かを作るべきです。


 その第一歩が、いじめは馬鹿らしいとすることではないだろうか。


 いじめをする者をあざ笑い、馬鹿にし、そして居場所を奪う。


 いじめは損であると、自覚させます。


 それこそが、共同体の意思であると。


 それが、私の書いたいじめの処方箋になります。



 ありがとうございました。




 ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

 いじめが報道される度に見る、関係者の言い訳とかそもそもいじめなんか無いと言い切る姿勢を見ると、ああ、こういう学校だからこそ、いじめが起きるんだと思いました。


 いじめは人類の生存戦略に無くてはならない感覚が暴走して起きた、いわば旧人類の残滓と言えます。

 いい加減、こんな無駄なことをやめ、互いに切磋琢磨する時間を持つ方が、よほど建設的と思います。


 それでも、いじめはなくならないでしょう。



参考文献

「いじめの構造」          内藤朝雄著    講談社現代新書

「ヒトは「いじめ」をやめられない」 中野信子著    小学館新書

「「空気」の研究」         山本七平著    文春文庫

「服従の心理」           S・ミルグラム著 河出文庫 

「組織は合理的に失敗する」     菊澤研宗著    日経ビジネス人文庫

「いじめの構造」          森口朗著     新潮新書


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