プロローグ〜転生トラックのテンプレで念仏となえてみた
テンプレでスタートして、徐々に離陸してまいります。
「ままー!」
幼女がふらふらと交差点に進み出る。
前を行く母親らしき女性は、乳母車の中を気にして、そのとき一瞬注意がそれていた。
轟音をたてて巨大なトラックが迫りくる。
(転生テンプレ、キター♪───O(≧∇≦)O────♪)
なろう小説をたくさん読みあさっていたため、この決定的な瞬間に、つい反応してしまった。
とっさに幼女を突き飛ばし、横断歩道の上に倒れ込む。
大きなタイヤが視界一杯にひろがる。
幼い頃からのできごとが、物凄いスピードで脳裏に再現されていく。
この末期の走馬灯をながめている時、信心深いばあちゃんがいつもとなえているフレーズを、つい口にしてしまった。
「南無阿弥陀仏・・・」
すると、なんだかキラキラする連中がサッと降りてきて、両脇をつかんで宙につりあげられた。
足元のはるか下で、ブレーキ音とか、グチャっとなにか潰れる音とか、擦過音とか、衝突音なんかがいろいろ聞こえてきた。
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さて、もし、こいつが目にした情景を、熱心な門徒や、日本美術の専門家あたりが横から眺めることができたならば、
「おお!まさしくご来迎!」
と感涙にむせんだことだろう。
しかし、こいつにはまったく信仰心がなく、熱心な門徒の祖母が読む経文や念仏、「しょーしんげ」を横で聞いて、耳だけでなんとなく覚えていただけだったので、「ご来迎」のありがたみなど、全くカケラも感じなかった。
こいつは、やがて、なにやら圧倒的に偉そうなキラキラしたお方の前につれてこられたのだが、
「そなた、ここで仏道修行に励むことを望むか?」
と問われると、ロクに考えもせず、きわめて安直に、
「いやあ、遠慮します。それより、転生チートもらって、異世界に転生したいです」
と答えてしまった。
キラキラしたお方は、
「よろしい、望みをかなえよう」
とのべ、わずかにみじろぎすると、こいつはその場から姿を消した。
せっかく西方極楽浄土に往生し、阿弥陀如来に見えることがかなったというのに、なんとももったいないことである。
阿弥陀仏の眷族勢至菩薩は、相方の観音菩薩と顔を見合わせると、蜘蛛の糸が切れて再び地獄におちゆくカンダタをながめるお釈迦様のような眼差しで、
「やはり、縁なき衆生は度しがたし」
とつぶやき、一瞬だけこいつを哀れんだ。
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さて、こいつは「なろうテンプレのトラック転生」が実現するからには、前世の記憶をたもったまま現代日本の知識を生かしてチート無双できると、勝手に期待していた。
しかし、そうは問屋がおろさない。
仏教の教えでは、魂は存在せず、人間(をはじめとする全ての心ある生き物=有情・衆生)の心や体を構成する五種類の構成要素(五蘊)は死と再生(転生)のプロセスが進むにつれて、全て解体してしまう。
阿弥陀如来の誓願のちからで、極楽浄土にくるまではなんとか自我らしきものをたもっていたこいつの記憶は、「乾闥婆」の姿で次の生へとむかうわずかな間に、すっかり消滅してしまった。
【用語解説】
※浄土
仏・菩薩たちが、人間をはじめとする全ての有情(=こころを持つ生き物たち)を「速やかに救う」ために形成した特殊空間。阿弥陀仏が主宰する極楽浄土、弥勒仏が主宰する兜率天、観音菩薩が主宰する補陀落浄土、薬師仏が主宰する瑠璃光浄土、「久遠の釈迦牟尼佛」が法華経信者のために主宰する霊山浄土などがある。
これらの仏たちは、日々生きていくのが精一杯で、「悟りをひらくために出家して修行する」ことはもちろん、なにか「出家者を支える功徳を積む」ことも困難な人々に対して手をさしのべ、信仰心と、念仏、唱題などの、誰でもたやすく実践できる簡単な行を行うだけで、これらの人々を自身の主宰する浄土に迎え入れるのである。
いずれかの仏の浄土に迎え入れられることを「往生」という。
往生した人々は、この安楽な境地で、釈迦が指し示した悟りへの道、すなわち輪廻から離れ、苦しみから脱する(=解脱)する方法
・煩悩を止滅する
・釈尊の説いた教えを繰り返し沈思黙考し、法を理解する。
を、ゆったりと追求するのである。
すなわち、主人公は、とてつもなくもったいないことをしたことになる。
※識
仏教における「こころのしくみ」は「唯識」哲学や「倶舎論」などで解説されている。生き物の精神活動は、八つの「識」に分類されるが、色声香味触の5識(色覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)は肉体とともに失われる。
肝心の「記憶」であるが、パソコンでいえばハードディスクにあたる「脳」と、RAM (ランダムアクセスメモリ)にあたる第6識の「法」(=表層心理)と第七識(末那識,深層心理)の二つの「識」が司っているが、脳は肉体の死とともに機能を停止し、法識と末那識も、死後、49日のうちに完全に解体し、消滅する。
そして、唯一、前世の業を次の生に伝える第八織(阿頼耶識)には、「前世の記憶」を保存する機能はない。
※乾闥婆
死んでから次の生までの期間を「中陰」といい、死んでから次の生までの状態を「中有」といい、また死んでから次の生にいたるまでの姿を「乾闥婆」ともいう。