鏡像迷宮 15
青息吐息。もうじき完結予定です。
聖書にも書いてある。だけど。本当にそうなのでしょうか。
母という女性を好きになるのは、いけないコトなんでしょうか。
エディプス・コンプレックスの話はありふれています。
ちょっと僕の本棚を漁れば、棒に当たる犬みたいに、その手の本に出会う。
でも、さらには普通の顔をした一般小説や公式的な物語にすら、その願望は紛れ込んでいはしませんか。
アルコール依存症者のヒズんだ本棚だけではなくして、キラキラ陽の光がさしこむ書店の本棚にも。
いちいち例を挙げはしませんが。
そう邪推するんです。僕は。
…閑話休題しました。さておき、他愛ない怪談と、失恋譚と、二層を織り成しているタテヨコの糸はもしかしたら重なります。それは、あと少しで。
…順を追って話しましょう。まずは停電のことがありましたね。それは十三時から。昼休憩のあとから、ということでした。
勿論、病棟をガラ空きにするワケにはいきませんから、休憩時間というのは数名ずつのスタッフが交代に入れ替わりで取るんですね。
それから概して、停電日などは土曜日や日曜日に設定している印象があります。病院の機能性を損なう作業ですから、フル稼働しているウィーク・デイを避けるためなんでしょうね。
この日は土曜日でした。土曜日となると、今も申し上げた通り、フル稼働しているワケではないんですね。外来もストップしていますし、とうぜん入院される患者様も限られて参ります。
…まあ、これは場末の小病院だから言えることで、多少マトモな病院ならば、土曜日も外来くらいは開けていたりしますけれどね。
…という理由から、この病院では、当日のシフトもそれなりに人数を絞って組まれていました。業務量のすくない日に人を潤わせても仕方ないですからね。
さて。午前中、ひとりの男性患者様が間代性の痙攣発作を起こして、ホリゾンなる琥珀いろの薬液を静脈注射する、というテンヤワンヤはありましたが、おおむねノンビリ時が流れた。そしてノンビリ昼休憩というダンになります。
…いま言いましたように、スタッフ数は限られています。出勤人数は四名。
…とくにイレギュラーな出来事も起こらなそうなので、午のワリフリとしまして、十一時半から十二時半まで二名が休憩に入り、これが先行組。後行組として、十二時半から十三時半まで二名ずつ入ることと相成りました。
僕と夢野さんは後行組。奇しくも、ペアとなりましたね。
…あるいは配剤なのか。
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コーヒーのシミだらけ。
そんなテーブルの上に置かれた銀色パックの飲用ゼリー。
そればっかりの僕の昼食を見て、
「少食なんだね、栄養つけないと」
と、フンワリただよわせた彼女の吐息が甘い。
といおうか、誰のせいで食が細くなっているんでしょうか。貴女なのです。人の気を知らない、貴女なのです。
…全く。やっぱり女はみんな、誘惑の魔性、あのリリスなのでしょうか。
それにしても笑えるティピカルさの恋煩い。数日、こんなモノしかノドを通していませんでした。
休憩室は手狭です。ソファは一脚だけ。それもチャブ台に毛が生えた程度のテーブルに、ピッタリくっつきそうな塩梅で、しつらえてある。
推して知るべし。スタッフが並ぶのもイッパイイッパイなんですね。
だから。隣あって座った腿と腿が触れ合わんばかりでした。体温さえ感じられそうです。
「いや、俺、さいきんメシがノドを通らなくて。体調は大丈夫なんですけど」
「恋かしら? お母さん、嬉しいなー、カノジョが出来たら不摂生も改善されるかもね。…なんてフザケてる場合じゃないかな。ホントに体のほう、大丈夫なの?」
まじまじと。黒いふたつの泉が僕を覗きこむのでした。それは小さいが深い深い泉です。深淵な、しかし澄んだ暗黒。
…なんとなく言葉の穂を継げない。
天使がやさしく無言を引き取ります。
「…葉山クン、お兄さんと、お父さんとさ、御家族のことが有ったじゃない…、実はね、私もさ…」
「…え、ハイ…」
「ちょっとだけ分かるよ。おこがましいかもだけど。私、子供を亡くしてるの。…だから」
休憩室には小さな小さな洗面台があり、そこには鏡が一枚。
それは僕の背後に位置していました。
僕の天使は青ざめた表情をして…、
…いや、僕の知らない表情をです。
まるで僕の知る天使ではないような、硬い硬い表情を浮かべ、その鏡に見入っているのでした。
さながら透明な僕を見すかすふうに。
…続きます。




