冬の償い
「おや……随分と遅かったじゃないか」
もう魔法も解けちまったよ、と魔法使いは、朗らかな笑みを浮かべる。だが、その姿はあまりにも悲惨なものだった。
身体は所々が凍りつき、身動きをとることすら出来ないでいた。そして、片方のまぶたは閉じたまま氷に覆われてしまい、目を開けることも出来くなっている。
「あの……わたし……」
ここまで走ってきたせいか、それとも後ろめたさを感じるためか、冬の女王はとぎれとぎれに言葉を紡ぐ。
だが、その言葉は魔法使いによって遮られた。
「少し……昔話をしようかねえ」
「えっ……?」
「おや、年寄りの話なんて聞きたくもないかい?」
「そんなことは……」
その言葉を聞いて、魔法使いは満足気に微笑むと、一呼吸置いて喋りだした。
「じゃあ、聞いておくれ。そうさねえ……あれは、僕が初めてこの国にやってきた時だったねえ――」
こうして魔法使いは語り出す。この国の真実を、魔法使いの、罪を――
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むかしむかし、綺麗な桜の満開も、暑すぎるくらいに照りつける太陽も、艶やかに落ちる紅葉も、厳しさの中に優しさを見せる雪も、何にもなく、この国が今よりもずっと退屈だった頃のことです。
旅人はここまでの退屈な旅路に辟易していました。いつも通りの旅なら、キラキラと光る真っ青な海や、透き通った水晶が積もる洞窟。見た事もない果物がたくさん実るジャングルなど、毎回違った素敵な出会いが訪れていました。
しかし、今回の旅は退屈なものばかり。どこまでも続く野原に、いつも変わらない明るさの太陽。まるで絵本のおんなじページを何度も見ているようでした。
ようやく辿り着いた国も、ここまでの旅と同じく退屈なものでした。
気温も湿度も天気もいつもおんなじで、人間に一番適しているものが続いていました。
食べ物も、どの国でも食べられる様なものばかりで、そこにはなんの面白みもありませんでした。
まさに、人が生きていく上で最も快適な空間。でも、それは人間の好奇心や探究心、知識欲を考慮しない場合の話です。人々はとにかく退屈だったのです。
その光景を可哀想だと思った旅人は、今まで旅をしてきた中でも、とびきり美しかった「四季」の話をしてあげることにしました。
旅人の口から紡がれる色とりどりの「四季」。そんな旅人の話を聞いているうちに、国民、そして国王はすっかり羨ましくなってしまいました。何とかその「四季」を再現する事は出来ないか。
そうしてみんなの頭に浮かぶのは、この国一番の魔法使い、「魔女」です。
魔女は何百年も前からずっとこの国の外れに住んでいて、とてもすごい魔法を操るのです。
国の人々、そして旅人は、皆で魔女の元にお願いに行くことにしました。
国の外れ、森の中に魔女はいました。
口々に四季を語る国民達。
そしてそれを再現して欲しいという国王。
最初は旅人を訝しげに見つめ、渋っていた魔女でしたが、国王の熱意に押され、とうとうその首を縦に振りました。「どうなっても知らないよ」という言葉を残して。
程なくして、旅人達は王城のすぐ近くにある森の広場にやって来ました。国の人々、そして旅人の期待を一身に背負い、魔女は呪文を紡ぎだしました。
やがて、地面が盛り上がったかと思うと、そこから塔が生え始めたのです。塔はどんどん高くなってゆき、王城を通り越して雲まで届きそうな程になってしまいました。
これまでの旅でも様々な魔法を見たり、教えてもらったりした旅人でしたが、ここまですごい魔法は数える程しか見たことがありませんでした。
「すごい! これはどんな魔法なんですか?」
旅人は魔女に訪ねます。
「ああ? これはただの塔さね。あんたの言う「四季」って奴はこれからだよ。ほら」
魔女は手を差し出し、急かすように小刻みに振りました。疑問を持ちながらも旅人が手をとると、一言、魔女が何かを唱えるとそこはもう塔の上でした。
「それじゃあ、これから魔法をつくるよ。もう一度、その「四季」ってやつを聞かせな」
初めてのことに興奮していた旅人でしたが、魔女の言葉にはっとなり、再三にわたって四つの季節、その素晴らしさを語りました。魔女は、その一つ一つを聞き漏らさないように耳を傾けます。
「……なるほどね。春、夏 、秋、冬といった四つの「季節」が切り替わる。それが四季ね……まあ、何とかなるだろうさ」
魔女は早速呪文を紡ぎます。これまでとは違い、長い、長い詞でした。まるで何かに訴えかけるように唱え続ける魔女。魔女が一節唱えるたびに、暖かくなり、暑くなり、涼しくなり、寒くなりました。そしてそんな幻想的な様子をぼんやりと眺めていた旅人。
旅人にとって永遠にも思える時間でしたが、そんな時間もやがて終わりを迎え、ついに魔女はその口を閉じました。
「ふう。久しぶりに、少し疲れたねえ。さて、それじゃあ最後の仕上げさね。戻るよ」
今度はしっかりと魔女の手を取り、元の場所へと戻ると、突然居なくなった二人に慌てふためいている国の人々がいました。人々は二人が戻ってきたと気づくと、ほっとした表情になりました。
「今、魔法を唱えてきたよ。名前は、そうさねえ……「四季の胤」にしようか。まあとにかく、この魔法はまだ未完成なんだ。完成させるためには……あんた達でいいや、ちょっとこっちに来な」
突然魔女に指名され、戸惑う4人の少女達でしたが、魔女はそれを無視し、一言呪文を唱えます。
「よし、これで完成さね。これからは、あんた達4人が「塔の守り手」、「季節の女王」だよ」
あんたが春、あんたが夏、あんたが……といったふうに、人差し指を突き出す魔女に、痺れを切らした国王は話しかけます。
「あの、魔女殿、私共にも分かるように説明して頂けませんでしょうか」
その言葉に、魔女はどこか呆れた様にため息を一つ吐きました。
「はあ……いいかい、この魔法はね、今あたしが選んだ4人、その4人が塔に入り、そこで過ごすことで「季節」を再現できるというものさね。この子なら秋、この子なら冬、といったふうにね。塔の中ではお腹がすかないようになるから、そこは安心しな」
魔女の説明に国の人々は興味津々です。
「そして、塔には必ずあんた達4人の中から誰か一人入ってないといけない。他の奴は入っちゃいけないよ。そんな事をしたらたちまち季節に晒される事になるだろうね」
段々と雲行きの怪しくなってきた魔女の言葉に、国の人々、特に4人の少女達は心配そうに続きを聞きます。
「もしも塔から誰もいなくなったとしたら、その時点でこの魔法は制御出来なくなり、この国には災厄が訪れるよ。あたしには知ったこっちゃないけどね。さ、初めは「春」さね」
魔女の説明を聞き終えた国の人々は、にわかに騒ぎ出します。どういう事なんだ、災厄なんて聞いてない、と。
そんな人々の怒りの矛先は、魔女……ではなく、旅人に向きます。
当然です。魔女に意見などすれば、魔女は魔法を操り、たちまちのうちにみんなをネズミに変えてしまうでしょう。
お前が来たからだ、お前さえ来なければ。国の人々は喚き散らし、旅人は立ち尽くすばかりです。
その時、遂に災厄の前兆が起こります。
快適な暖かさだった太陽が、急激にこちらに近づいてくるのです。
国の人々は、暑くて暑くてたまりません。旅人への怒りなどすぐに忘れ、この災厄を収めるべく、「春の女王」となった少女を皆で担ぎあげ、塔に放り込もうとするのです。
春の女王は、これからの自身の孤独を感じ取り、精一杯の抵抗を見せますが、大人の力には勝てません。
「はぁ……だから言ったんだよ。ほら、いくさね」
魔女は国の人々を、まるで冬のような冷えた目で見ます。
魔女は旅人の手を取ると、一呼吸の内に広場から抜け出し、魔女と旅人が最初に会ったあの国の外れの森に到着しました。
国が変わったのはそんな折でした。まるで塗り変わる様に周りの景色が彩られてゆき、木々からはポツポツとピンクの花が咲き出します。
気づけば、辺りは暖かな気持ちのいい陽気に包まれ、もう、今までの退屈だった国の面影はどこにもありませんでした。
そんな幻想的ともいえる空間に旅人が酔いしれていると、魔女が口を開きました。
「あんた、これからどうするんだい? この国を出たいならあたしが送ってあげるけど」
先程の国の人々達に向ける目とは違う、まるで春のような暖かな目でした。
「どうして、僕にだけ優しくしてくれるのですか?」
思わず、旅人は疑問を口にします。
「ああ、あんたは他所様だしね。それに、アイツらのわがままにはほとほと辟易してたのさ」
魔女は語りました。
今よりさらに昔、この国が平和とは無縁の、戦の絶えない国だったことを。
この国を、あの退屈で快適な場所にしたのは他でもない魔女であったということを。
「この国の連中は自分勝手さね。せっかくあたしが平和な国にしてあげたって言うのに、そんな事すぐに忘れてその上を望む。だから、少し懲らしめてやっただけさね」
とはいえ、この魔法は解く気もないし、もうあたしにも解けないんだけどね。二ヒヒ、と笑いながら、魔女はそうこぼします。
対して旅人はというと、言いようのない罪悪感に囚われていました。
自分が四季を語らなければ、国の人々は魔女に詰め寄ることは無かった。そうすれば、魔女があんなことをすることも無かったのです。
旅人は思考を巡らせます。そんな旅人を魔女は見つめ続けていました。
やがて、旅人はひとつの言葉を紡ぎます。
「魔女さん、僕を弟子にしてください」
その言葉に、魔女は面食らったように少し目を見開きます。
「おどろいたねぇ……魔女に弟子入りすることが、どういうことなのかわかってんのかい?」
「……はい!」
旅人は様々な国を旅し、そこで違う魔女に会ったとも、話を聞いたこともありました。
――魔女に弟子入りすると、決して死ぬことの出来ない身体になる。
それは、言い様によっては素晴らしいこと。
ですがその真実とは、退屈がずっと続くということです。
国を作り替えるなどということは、この魔女にしか出来ないことなのです。
全ての魔法使いは自身の国から離れることは出来ません。
そして、死ぬことも出来ない。
つまり、ずっと同じ事を繰り返さなければならない、ということです。
それがどんなにつらいことか。
退屈嫌いの旅人にはよく分かります。
「……本気のようだねぇ」
ですが、旅人はもう決めました。
残りの人生を、この国のために使用すると。
それが、旅人に出来るただ一つの償いだと。
「じゃ、ついてきな。色々と教えてやるさね」
「はい!」
こうして、旅人は魔法使いになりました。
魔法使いは、自身の魔法によって生命を隠した魔女に変わって、この国を、そして塔の守り手を、見守り続けているのです。
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「まぁ、こんな感じさね。僕は、君に償いをしないといけないのさ」
冷え切った顔に暖かな表情を宿らせて、魔法使いは全てを語りきった。
「そんな! それって、旅人さんは、魔法使いさんは全然悪くないわ! 悪いのは、この国の人たちじゃない!」
冬の女王は泣きそうな顔で、そう叫びます。
「……まぁ、そういう考えもあるさね。でも、僕は塔へ閉じ込められた少女達がどうしようもなく哀れで、申し訳なくて、心がきゅーっと、締め付けられる様な気持ちになったんだ」
冬の女王を哀しそうな目で見つめる魔法使い。その顔には未だに拭えない後悔の念があった。
「それでも……魔法使いさんは……」
「いいんだよ、これは僕が決めたことなんだから」
魔法使いの身体にひびが入ってくる。それはゆっくりと、だけど次第に大きくなっていく。
「それより、もうすぐお別れかねぇ。魔女の魔法は、僕のなんかよりずっと強大だから、僕の生命なんてすぐに崩れてしまうんだ」
「そんな! わたし、まだ魔法使いさんに話したいことがいっぱい……そうだ! 雪って白くて、ふわふわで、とても冷たいのね! それに、雪でだるまさんを作ったり、そり遊びも楽しかったわ! 帰った後も、部屋の中がとても暖かくて、息を吐くと白くてすごいのよ! 全部、全部魔法使いさんのおかげなの! あとは、あとは……」
冬の女王は、拙い舌を最大限に使って言葉を紡ぐ。
魔法使いは慈愛の笑みでそれを聞いていた。
「……ふふ、冬を楽しめた様で、よかったさね」
「ちがうの、魔法使いさん……行かないで……わたしを独りにしないで……」
魔法使いは、最期の力を振り絞って、冬の女王の頭に手を乗せる。
その手は芯まで冷え切っていたのに、冬の女王には、不思議と暖かく思えて――
「願わくば、あなたにもう一度、冬が訪れますように」
魔法使いのひびは次第に大きくなり、やがて魔法使いは綺麗な氷の結晶となって、崩れていきます。
あとに残るのは、凍りついた涙の水たまりと、独りになった冬の女王だけでした。
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閉ざされた冬の塔が再び開けられるのは、また別のお話です。
だけど、いつか、この国の冬が溶けて、暖かい春がやって来ることがあっても、冬の女王の心が解けることは、決して、決してありませんでした。