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あの日の電話

作者: 小野宮木

 あれは私がまだ「女子中学生」という括りに入っていた頃の話。

 中学三年生の冬。

 親に隠れてした、屋根裏部屋での君との電話。

 冷たく埃っぽい木の地べたに裸足のまま座って。

 会話が途切れた時は、自分の白い息をぼんやりと眺めていたっけ。


 あの電話は、何度目の電話だったのだろう。



「言ったやろ。俺は絶対に離れていかんって」


 電話口から、ちょっと笑ってそう言う君の声が聞こえる。

 電波が悪いせいか、少しノイズが入っていた。


「んー」


 思わずうめき声を漏らす私。

 君のその言葉は嬉しくもあった。でもやっぱり苦しかった。

 君は確かに私の味方だ。多分言葉の通りこれからもずっと私の傍にいてくれるんだろう。

 優しくて、仲間というのが大好きな君のことだから。

 けどねわかってる。

 恋人としての君は、もうここにいないんだ。



「もしもーし」


 数分前にかかってきた電話は、君からだった。

 いつも通りの君の声に、ちょっと安心した私がいた。


「もしもし?」


 私はいつもの調子で応対した。けど実は胸のざわつきは収まりきっていなかった。

 ほんのちょっとの間の後、私は再び口を開く。


「あのね…。えっと、話があるって?」


 数時間前、メールでの何気ない会話の後。君から話があると送られてきていたのだ。

 それから「11時以降電話できる?」と。

 私は軽く、おっけー!と返信したが、内心不安でたまらなかった。

 実は何となく、どんな話かはわかるような気がした。

 最近の君の素っ気なさとか、何か悩んでいるような表情に、気付いていたから。


「そうよね、急にそんなん言われたらびっくりすると思う」


 真剣な話のはずなのに、君の声は何気ない世間話をする様なトーンだ。


「そのな」


 君がそう言った瞬間、私ははっと息を呑んだ。

 時間が止まった様な気がした。

 胸の奥が、ずきんと疼いた。


 お願いその先は言わないで。


 言わないで。


 心の奥底で叫んだのは、誰。



「あのですね、終わりにせんか、ということをですね」



 数分前、切り出されたのは君との別れ。

 曖昧な言葉で綴られた、冗談交じりのその言葉。

 そんな言い方をしたのは、優しさもあったんだと思う。

 そしてきっと、悪者になるのが怖かったんだろうね。


 でも知ってるでしょ。私は君のことがどうしようもなく好きなんだってこと。

 悪者なんかにするわけないじゃない。

 悪いとこも、良いとこも関係なく、君のことが大好きなんだもの。


「うん」


 どう返せばいいのだろうかと私は戸惑った。

 君の言葉はどこまでも曖昧だったし、答えをばしっと出せるようなものではなかった。

 でも君の出した答えを拒んでいる訳でもなかった。

 君が何をどうしようともそれは君の自由だから。

 私が引き留めていいものではない。


「あのな、付き合っとる意味がよく、わからんようなったんよ」


 私の相槌を催促だと受け取ったのか、君はまた少しずつ語り出した。

 言葉を選びながら慎重に、でもって大胆に。それがまた君らしくてなんだか心がざわついた。


「友達でもよくない?って思ってな」


 確かに私たちは付き合って一ヶ月の間、何かをしたわけでもなかった。

 友達でいる時と変わったのは、毎週水曜日に学校から一緒に帰るようになっただけ。


 でもね、私は嬉しかったんだよ。

 君の彼女だっていうことが。

 君の彼女として、彼氏としての君の時間を独占できるのが、ただただ嬉しかったんだ。


「あと、俺の気持ちの整理がついてないってのもある」


 でた。君が私を振る理由、2つ目。


 ねえ知ってた?

 人はね、本当の理由は後から言うんだ。


「友達としての好きなんか…そういう好きなんか、その…境がね」


 君は最後まで言わなかった。


 でも君の言いたいことは痛いほどよくわかった。

 ずっとずっと、悩んでたから。


 私の好きは「そういう」好きだってことはよくわかってるよね?

 でも君が私に言う「好き」は、いつも私を混乱させた。

 私の「好き」はストレートだった。純粋だった。

 けど君の「好き」には、色とりどりの綺麗な絵の具が混ざっていた。


 いくら綺麗な絵の具でも、混ざればそれがどんな道をたどるかは予測できない。

 綺麗な色が完成することもあるけど、信じられないくらい汚い色ができることだってある。


 君の言う「好き」の魅せる何色もの色に、私はいつも目がくらんだ。

 綺麗な絵の具の色が何層にも重なって、私の前でいくつもの姿にその身を変えた。


 得体の知れないその色に、ころころと明度を変えるその色彩に、私の心はぐちゃぐちゃにかき乱された。


「あーわかる」


 わかってた。

 君の「好き」はそういう好きではなかったこと。

 それはそれは痛いほどに。

 だからこそ悩んでた。苦しかったんだ。


春野(はるの)さんのことが嫌いになったわけじゃないんよ?むしろ好きだし、そのこれからも友達として仲良くしたいって思ってる」


 彼はまだ私を苗字にさん付けする。

 言ったのにな、私。(すみれ)って呼んでって。


「前にも言ったけど、気まずい感じにはしたくないんよ」


 覚えてるよ、電話で言われたあの言葉。


 …こんなこと言いたくないけど、俺たちはいつか別れる。でもな、別れても友達でおろう?俺はな、大切な人をこれ以上失いたくないんよ。


「うん。そりゃーね」


 そう返すのがいっぱいいっぱいだった。胸がつまって声がかすれた。


「まあだから、付き合ったことはなかったことに……なかったことにって言ったらあれじゃけど軽く流すっていうか」


 なかったことに、なんて言われたら、普通の女の子は傷つくものだと思う。

 けど私はなんとなしに君の言葉を受け止められた。君が言いたいことはよく理解できるから。

 付き合ったってことを意識ぜずまた仲良くしよう、そういうことでしょ?

 君は言葉の使い方が下手っぴだ。

 そのせいでいつも周りとすれ違いを起こしてるのはよく知ってる。


「うん」


 そう言ったとたん、私の視界はぼやけた。


「ごめん、泣きそう」


 あは、と私は笑って言った。


 …また、ダメだった。

 友達期間二年八ヶ月。片思い期間三ヶ月。それで得たのは、恋人期間たった一ヶ月とちょっと。

 今までの好きだった人との別れ、それは全部、相手からだった。


「泣かんでー!」


 君は申し訳なさそうに言った。


「俺は、春野さんとこうなれてよかったと思ってるよ。だって、前よりずっと仲良くなれたじゃろ?知らんかったこといっぱい知れたし」


 君は至って穏やかに語る。

 私は、今までの笑いがいっぱいだった日々を思い出して、ふふふと笑った。

 それと同時に、一筋の涙が頬を伝った。

 ほんとに、たくさんのことを知れたよね。新しい君を知るたびに、また一つ君を好きになった。


「俺をこんな好いてくれる人がおるって知れて、すごい嬉しかった。生きとってよかったなって思えた」


 私の「好き」が君を幸せにできてたなら、それはとても嬉しいことだよ。


「春野さんだけじゃなくて、こんな俺のこと好いてくれる友達がいっぱいおって、本当に俺は幸せ者だなって毎日思っとる訳ですよ」


 ああ、好きだ。

 心から溢れ出る思いは、喉まで出かかって止まった。

 代わりに出た言葉は、本当の気持ちを粉々に砕いて、上っ面だけを被せた様な言葉。


「いいね…そういう生き方」


「うん、ありがと」


 君は嬉しそうに言ってくれた。


「私もね、思っとるよ。ほんと、大輔と会えてよかった」


 それは紛れもない本心だった。

 君と出会えたから、今の私があるんだよ。


「…」


 電話口の向こうの君の心が、ちょっぴり揺らいだのを感じた。


「……ああもう、それは、嬉しい限りよ」


 君の声は、ほんのり甘い響きを帯びていて。


 もう、やめてよ。

 突き放すならば、もっと徹底的に突き飛ばして。


 そう叫ぶ心の声は、実は建前だってこと、わかってる。


 ほんとはもっと甘やかしてほしい。

 ちょっとでもいいから、私に「そういう」好きを見せてほしい、って。


 ふてくされた自分の裏側には、甘えん坊で寂しがりな自分がちらちらとその姿をのぞかせる。


「うん、だからさ、この前、一緒に遊びに行こうって言っとったやつも全然遊びに行っていいけん」


 デートとして取り付けた約束は、男友達との遊びという形に姿を変えた。


「うん」


 でもどんな形であれ、大好きな君と一緒に過ごせるなら私は満足だった。


「これからもね、学校でもどんどん話しかけてもらってもいいし、電話とかもばんばんかけてもらっていいけんね、俺暇人じゃけん。いつでも相談乗るけん」


「うん」


 認めよう。嬉しい。


 そして楽しみだよ。


 これからの君との付き合いが。

 友達としての関わりが。


 正直に言うと楽しみで仕方ないよ。


 だって実はね、私は別に、君の彼女じゃなくてもよかったんだ。

 ただ大好きな人の居場所になれたらいいなって思っただけで。

 その居場所は友達でもよかったんだ。


「ありがとう」


 この感謝の気持ちは、君へだけの気持ちじゃない。


 世界へ、ありがとう。


 彼の彼女にならせてくれて。

 彼の友達にならせてくれて。

 彼と巡り会わせてくれて。

 彼を生まれてこさせてくれて。


 私をこの世界に生まれさせてくれて。


「振った人間が言われていい言葉じゃないよ」


 困った様に君は言った。

 そういう謙虚なところも大好きなんだよな。

 私は思わず笑ってしまった。


「んー、でもやっぱさみしいなー」


 何気なく言った一言。

 それに対して、君は言ってくれたんだ。




「おい、言ったやろ。俺は絶対に離れていかんって」


 うん、前電話で言ってくれた。

 君が離れていってしまいそうで怖いと言った私を、君は安心させてくれた。


 嬉しいよ。それはそれはとんでもなくね。

 でもやっぱり苦しいんだよ……。




 その後もしばらく話したけど、どんなことを言ったのかはよく覚えてない。



 ただただとりとめのないことを話して、笑って。いつもと変わらず。



 こうして私たちは恋人という関係性を終わらせた。



 それから月日は経ち私たちは中学を卒業した。

 同じ高校へ進学し、大学は別々になって…

 それから就職して…。




 青春は瞬く間に過ぎ去っていった。


 語りきれない数の物語が生まれては、私の思い出のひとつとなった。




 もちろん、君との間にも本当にたくさんのことがあったね。



 君に好きな人ができて、私が応援したり。


 私に好きな人ができて、君に応援されたり。


 君が私に告白して、振られちゃったり。


 私が彼氏に振られて、君に慰められたり。


 もう一度付き合ったり、別れたり…。


 どれもかけがえのない思い出なんだ。





 私は知っている。読者はハッピーエンドを求めてるって。


 そう実は、私たちにはハッピーエンドが待っていた。





 今、私の隣で眠っているのは、誰?


 一歳になったばかりの息子を抱き、安心しきった寝顔を見せるそのひとは。








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