殿下、傷痕だらけの婚約者を愛せますか?
その王子は、生まれたときから王者になるべくして生まれた存在だといわれた。
王家の第一王子として生をうけ、やわらかそうな金色の巻き毛とパッチリと開くアメジストのような眼をもち、笑えば天使のようであった。
両親である王と妃より愛され、そして成長するにつれて才能も発揮させていく。
勉強では教師の舌をまかせ、剣術では10の年をすぎたころには師範代から一本を取れるまでになっていた。
その中でも、王子が最も得意としたのは魔術であった。
初級魔術を覚えると、一般の魔術師が習得するのに10年はかかるという中級魔術まで覚えるのに1年とたたなかった。
そして、より派手な魔術を好み、だれに教えられるまでもなく初級魔術を応用させて上級魔術まで使い始めていた。
王宮のものたちは、その天より授かった才能を誉めそやし、王国のさらなる発展を信じた。
しかし、父である王は、次第に増長しはじめたわが子への心配を感じていた。
ある日、国王は12歳となった王子を呼び出す。
王宮の一室で顔を会わせたのは一人の少女であった。
公爵家の次女スカーレットであった。
透き通るような銀色の髪をきれいに結い上げ、スカートをつまみあげながら丁寧なお辞儀を王子へと送る。
その冬の湖のような青い瞳と視線をかわした王子は、あまり少女に対して興味を持たなかった。
このときの王子にとっては、自分の才能をどこまで伸ばせるかということしか興味はなかった。
婚約者といわれても、その心が少女に向くことはなかった。
スカーレットは王子と親しくなろうと、茶会に誘ったりなどするが、忙しいと断わられていた。
ある日、王子が訓練場にて魔術の訓練に励んでいると、スカーレットが姿を現した。
「わたくしもお付き合いさせてください」
「……邪魔はするなよ」
王子の横で、スカーレットは習い始めた初級魔術の試し打ちを始める。
王子にとってそれは弱く、拙いものにしかみえなかった。
「いいか、見てろよ」
王子は少女をおどろかせ自らの力を誇示しようと、上級魔術を超える超級魔術を使おうとする。しかし、王子にとってそれは初めてのものだった。
文献を漁り、理論を組み立てたが、その制御に確たる自信をもってはいなかった。
だが、いままで失敗を経験しなかった王子にとって、やめるということは即ち自らが凡愚だと認めるような屈辱であった。
なにも知らぬ少女はただ王子のことを見守っていた。
魔術の発動。
訓練場の中央に太陽のごとき巨大な火球が生まれた。
「やった……、オレは成し遂げたんだ」
しかし、喜びのつかの間、火球がその形を崩し始め、王子は必死に制御を試みる。
とうとう火球の形がくずれ、とたんに荒れ狂う炎が訓練場をつつんだ。
「熱い熱い熱い! くそ、くそ、くそおっ!」
王子は必死に氷の魔術で己の身を守り、鎮火することに成功。
そして気がつく、となりに居たはずのスカーレットという少女の存在を。
少女はすぐさま治療室に担ぎ込まれ、王宮につとめる医師や薬師による治療を受けた。
生死の境をさまようこと1週間、無事に一命を取り留めることに成功。
その間、王子は後悔で頭を悩ませ続けていた。もしも、自分の失敗のせいで、あの子が死んでしまったらという恐怖が頭を支配していた。
王子は、少女が眠る治療院へと足を踏み入れた。
悔しいが、一言謝ってやろうと思いながら、扉を開ける。
そこにいたのは全身を包帯で巻かれた痛々しい姿だった。
「殿下、ご無事でしたか」
少女は残った左目で王子を見ながら、にこりと微笑んだ。
王子は泣いた。
「殿下、どこかまだお加減がよろしくないのですか」
「すまない、オレが、オレのせいで……」
命にかかわる重症を負わされたというのに気遣うスカーレットの気持ちが、王子の心をがりがりと引っかき続けた。
その後、王家は公爵家へ謝罪を入れた。
それでも、王家の跡取りである王子が無事であったことは不幸中の幸いであった。
問題はスカーレットであった。
王妃となれば大衆の面前に出ることになり、ただれた火傷痕の残すものではふさわしくなかった。
王は王子を呼び出した。
そこには傲慢なほどの自信に満ちた少年ではなく、ただ自らの過ちに打ちひしがれた姿しかなかった。
そして、告げた。スカーレットとの婚約を破棄することを。
王子は抵抗し、拒絶した。
「もしも、彼女の傷を癒すことができたら、結婚を許してください」
王子は自らの才能にまだ自信があった。
魔術は万能であり、少女の体を元に戻すこともができると。
だれもなしえなかった治癒術を成功させるために、研究に没頭する。
しかし、その自信は半年後にはなくなった。
後には、ぽっきりと自尊心が折れたただの少年の姿があった。
ヘンリー王子とスカーレットが15の年になると、王立学園へと入学する。
そこでは、多くの貴族の子弟が通い、交流をもつようになる。
容姿に優れ、才にあふれ、さらに事件後には謙虚さも持つようになった王子は、皆から尊敬されていた。
一方で、スカーレットは、長く伸ばした前髪で顔を隠し、ひっそりと王子の後ろにつき従う存在となっていた。
学問の成績についてもぱっとせず、さらにその醜い火傷痕についても知れ渡っていた。生徒たちはあんな女が婚約者にふさわしいのかと陰口を叩いていた。
王子自身も、自らの過ちの象徴ともいえるスカーレットを避けていた。
その心を知ったスカーレットも王子から距離をとるようにした。
スカーレットにとっても、いまだに王子が自分と婚約をつづけていることが疑問であった。何度か、父親に婚約破棄を頼んだこともあったが、王家が認めなかった。
ある日のこと、王子が手紙を開けようしたところで、紙の端で指先を切ってしまった。
自分の間抜けな行為にいら立ちを感じながらも、まあいいかと放置しようとした。
「殿下、傷を放置しては病気が心配です」
スカーレットは殿下の手をとり絹のハンカチを押し当てる。
「……こんな傷、ほうっておけばよい」
乱暴に手を振り払うが違和感に気づく。その指先にあったはずの傷が消えていた。
王子は驚きながらスカーレットの顔を見る。
「なにをした? まさか、……治癒術を使ったというのか?」
少女は手を押さえながら、あいまいな微笑みを浮かべるだけであった。
「ならば、そなたのその傷痕を治せばよいではないか」
「それは、できません。わたくしが癒せるのは他人のものだけです」
「……そうか」
王子は神の底意地の悪さに舌打ちをしたかった。
だが、このとき気づいていなかった。少女が普段より火傷痕を隠すためにはめている白い手袋の指先が、血の朱色で染まっていることに。
それはちょうど、王子がケガをした場所と同じであった。
それから、少女は学園で誰かがケガをするたびに癒していった。そして、ウワサは広まり、傷痕を治せないかと頼んでくるものもでてきた。
その中には、スカーレットのことを馬鹿にして陰口を叩いていたものもいた。
しかし、スカーレットは快くその頼みを引き受けていく。
いつしか、スカーレットは聖女と呼ばれるようになり、学園外からも依頼が舞い込んでくるようになった。
一時は貴族議会でも、スカーレットの婚約破棄について度々議題に上っていた。
しかし、いまでは、スカーレットを擁護する意見も出始めた。
王子にとって、それは、自らの力によって認めさせたいことだった。しかし、ほかならぬスカーレットによって成されてしまった。
王子はますますスカーレットから距離を置くようになった。
スカーレットも舞い込む治療のために、学園から姿を消すことが多くなった。
あるとき、スカーレットが出向いた先で小さな女の子の傷痕を移したときだった。傷を隠そうと着込んでいたローブの裾から傷痕が見えてしまった。
「おねーちゃん、痛くないの?」
「大丈夫よ。だって、あなたが痛そうな顔しているほうがよっぽど辛いもの。心の傷だけは治せないからね」
女の子はスカーレットの言葉にきょとんとした顔をするが、両親が治ったわが子をみて嬉しそうにしているのをみて、笑顔になった。
スカーレットと王子は距離をおいたまま時間は流れていく。
学園の卒業を控え、スカーレットは卒業パーティーのためのドレスの仕立てを頼んだ。
仕立て屋の女性が、サイズを測ろうとスカーレットの下着姿を目撃する。
「ひっ!?」
その姿は壮絶だった。無数の傷痕に痣、縫合の跡、変色した皮膚、まるで人間のようには見えなかった。唯一無事だったのが、顔の左半分だけだった。そこだけに、本来の彼女の白い肌と青い瞳が残っていた。
「さ、採寸を始めさせていただきます」
「よろしくお願いします」
王宮にも出入りすることのある仕立て職人である彼女は声の震えをなんとか押さえ、仕事に徹しようとした。
だが、スカーレットの言葉にさらに驚くことになった。
彼女が注文したのは襟ぐりの大きくひらいたドレスであった。
職人の女性はもっと肌の露出を控えたものを提案するが、スカーレットはこれでいいと答えるだけだった。
そして、卒業パーティーの日。
会場には、第一王子が卒業するとあって、上位貴族ならび国王も参列していた。
王子は既に会場に来ていた。
彼は苛立っていた、本来であればパートナーであるスカーレットと共に会場入りするはずが、どこにも見つからなかった。そのため、時間となり仕方がなく会場へと足を運んだ。
着飾った貴族の子弟たちが、学友たちとの別れを惜しむように会話に花をさかせる。
会場のざわめきが突如として凍りついた。
なにごとかと思いながら王子は、周囲の人間と同様に会場入口へと目をむけた。
そこにいたのは、ドレス姿のスカーレットであった。
数えきれないほどの傷痕によって人間とは思えない姿に、会場中の人間が息を飲む。
「皆様、このような姿を見せし、お騒がせして申し訳ありません」
彼女が前へ足を出すと人が避け、ぽっかりと空白地帯ができあがる。そして、彼女は王子の目の前までやってきた。
「ごきげんよう、殿下。遅れてしまって申し訳ありません」
スカートを引ききれいな所作でお辞儀をするスカーレット。だが、それだけにその姿の異様さが目立っていた。
「殿下、お別れをいいにきました。わたくしは修道院へと参ります」
「……なぜだ」
王子はかすれた声でそれだけしか口にできなかった。
「このような醜いものが国を代表する王妃になってはなりません。もっと、ふさわしい方をお選びください」
それでは、と言い残しスカーレットはその場を後にしようとスカートをひるがえした。
しかし、その腕をつかまれ動きが止まる。
「……殿下、お離しください」
「だめだ。許さない」
王子はスカーレットを手繰り寄せて、その腕の中につつんだ。
「あの日からずっと謝りたかった。だが、そんな薄っぺらな言葉では、オレがそなたにした償いにならない。だから……」
王子はそっとスカーレットの顔に手を添えた。すると、その顔についていた傷痕が消える。
「オレがその傷を引き受ける」
王子の大理石のような滑らかな肌に醜い傷痕が刻まれていく。
「本当はパーティー前に会って傷を引き受けるつもりだった。そのために、そなたがつかう術を解析し習得したのだから。自分で使ってみて初めて知った……これが治癒術などではないことを……」
「いけません! 殿下! この傷がないと……でなければ、あなたの苦痛の元を隠すことができない」
スカーレットも王子の肌に手を添えて、傷痕を取り戻していく。
王子によってつけられてしまった火傷痕を覆い隠すように。
そこに、国王の言葉が響く。
「ヘンリー、そしてスカーレットよ」
国王を前に居住まいを正す二人。
「婚約の破棄は認めん。そなたたち二人には、これからも国を支えてほしい。苦しみも幸せも分かち合ってな」
国王は隣の王妃を見つめる。その瞳には、長年の信頼関係の積み重ねを感じさせる深い色が浮かんでいた。
王子とスカーレットも見つめあい、そして
―――お互いの傷痕を分かち合った
結婚式にて、二人は民衆を前に宣言した。
『私達はお互い手をたずさえて、どのような困難も喜びも分かちあっていくことを誓います』
後に、この言葉は国民の間でも、結婚式における誓いの言葉となっていった。