第五話「なべて世はこともなし」
どこの世界、いつの時代も輝かしい栄光と奥深い闇が存在する。
奴隷制度とは、そんな闇の大きな要素の一つだろう。
特権階級や富める者がいる反面、貧しく奪われるだけの弱い存在がいる世界では、ある意味必然なのかも知れない。
ある者は重い税を払う事が出来ず、またある者は借財の返済が出来ないために家族を、あるいは自分自身を対価として差し出さざるを得ないのである。
一度奴隷となった者は一生奴隷であり、その持ち主が奴隷から解放するしかそこから逃れる道はない。
奴隷となった者はその瞬間から人ではなくモノとして扱われるのだが、その取引は厳しく管理されていた。
正規の奴隷商人は国の鑑札を与えられ、公に奴隷の売買を許可されていた。当然この鑑札を持たない者がそれを行う事は違法であった。もしそのような者がいれば、財産は全て没収された上でその本人と家族も奴隷とされた。
奴隷の需要は多岐にわたり、屋敷の下僕や店舗の小間使いのような真っ当な用途から、普通の人間が立ち入るのを躊躇うような裏通りに店を構える風俗店のような場所まで、年齢・性別・容姿……あらゆる要素で振り分けられ、その奴隷に見合った役割が与えられるのだ。
ごく一部の幸運な者を除いて、それは自分の好みや信条の反映されない過酷な現実であった。
更に、このような通常の奴隷とは異なる三つの例外的な奴隷が存在した。
例外の二つは犯罪奴隷と戦争奴隷である。
犯罪奴隷とは言わずもがな、犯罪を犯したものを奴隷にする事である。極めて悪質、又は重大な犯罪を犯したものはこの犯罪奴隷に落とされるのだが、該当者には男女の区別なく鉱山での過酷な労働が課せられる。労働に対する給金は僅かながら存在するが、支払われるのは、生きてここを出る時とされていた。
無事に刑期を勤め上げれば解放される事になっているが、かつてこの刑を受けて生きて出たのは僅か三人のみと言われている。その三人のうち二人は、程なく犯罪を犯して最上位刑である死刑に処せられた事を考えると、犯罪奴隷に落とされる事は死刑宣告と同義と捉えられていた。
また戦争奴隷とは、戦時捕虜のうち本国に引き取られず残され奴隷に落とされたものを指す。
犯罪奴隷との違いは、働きに対して相応の給金が支払われ、それによって自分を買い戻すことが可能な点である。職種は先に触れた鉱山労働か、兵士として働くかの二択ではあるが、その死亡率は50%前後と犯罪奴隷よりはマシだが、過酷な状況である事には変わりなかった。
多くの国でこの慣行が通例化しているが、一部の小国では鉱山などの奴隷化に見合う労働が無いことから、そのまま処刑される事もあったし通常奴隷と同じく売買される場合もあった。
そして、もう一つの例外が違法奴隷である。
人族を含め、人族から亜人と呼ばれるエルフやドワーフ、各種獣人などを誘拐し、金持ちや一部の貴族など好事家へ違法に売買する奴隷商人たちが存在するのだ。その違法奴隷を扱う商人達は、正規の鑑札を持たない者がほとんどで、官憲の目を掻い潜り商売を行なっているとの事だったが、一部には正規の奴隷商人が悪事に手を染めているという噂も実しやかに囁かれた。
もっとも、噂だけで確たる証拠があるわけではなかったが。
この違法奴隷のほとんどは年若い女性をターゲットとしたものだが、中には若い男の子に劣情を抱く特異な性癖の顧客も存在するらしく、男女含めて毎年数百人程の違法奴隷が生まれているとも言われている。もちろん、違法奴隷の取り締まりは各国とも行なっているが、その実情は国によってかなり異なるものとなっていた。
ティラーナ聖王国においては、徹底した調査と友好国との連携によって、ほぼ違法奴隷を撲滅する事に成功したと言われている。その過程で、大貴族を含む複数の貴族家が断絶に追い込まれ、いくつかの商家もその例に倣った。
聖王国では、人族も亜人種も等しく人権を認められており、違法奴隷の調査においても、見つかった奴隷は同じように保護されて家族の元へ返された。
しかし、聖王国以外では一部の小国家を除いて亜人種の人権は認められておらず、そのような国では人族以外の違法奴隷については、ほぼ黙認されている状態であった。
大陸の北方には獣人族の国があり、事あるごとに各国へ獣人の人権確立と違法奴隷の取り締まり強化を打診しているようだが、各国の反応は緩慢であった。そのため、獣人国と各国は表面的には一定の友好関係を保っているように見えるが、聖王国を除く国々とは潜在的に敵対していると言ってよかった。
また、亜人種をあからさまに蔑み、奴隷化を推奨している国が存在する事も、事態を深刻化させていた。それが【神聖ミケーネ帝国】である。
帝国は人族至上主義を掲げ亜人種を奴隷化する事を寧ろ推奨していたため、獣人国と直接国境を接している場所は、常に一触即発の緊張状態が続いていた。
しかしながら、2国の間には未だ複数の国家を挟んだ状態であり、直接国境を接する部分は全体としてはそう大きくはなかった為、決定的な軍事衝突までは至っていなかった。
また、帝国としても現状複数の国家を相手に戦争を起こす事は、如何に軍事大国とはいえおいそれとは踏み出せない問題であった事から小康状態が続いていると言ってよかった。とは言え、いつお互いに対する暴発が起こってもおかしくない状況には変わりなく、あからさまな敵対関係にある2国の間には緊張状態が続いていたが、その二つの国の間にまるで防波堤のように横たわる国があった。その名をシモン共和国と言い、今まさにおかしな二人とその他一人が彷徨っていた森こそ、その国の辺境にあったのである。
あれから間もなく、二人と一匹は森の入り口にある小さな町にたどり着いた。
数日ぶりの人里でようやく人心地のついた黒猫主従とイリスは、小さな宿屋にその居を構えた。
こんな田舎の宿屋では風呂など望むべくもなかったが、桶に入れてもらったお湯でここ数日の垢と汗を落とすとようやくに落ち着く事が出来た。食事についても田舎料理ではあったが、新鮮な素材を使った野鳥の焼き物や野菜のたっぷり入ったシチューと硬い黒パンで十分に満足できた。
アリスはそれに加えて田舎独特の火酒を呷っていたが、久しぶりの事だったためタロも特に何も言わなかった。
腹も満たされ、部屋に戻って幾分か落ち着いたところでイリスが口を開いた。
「アリスはこの後どこへ行くの?」
「特に決めていません。私とこの子は気の向くままにあちこちを放浪してるんです」
アリスの答えを聞いたイリスは変な顔をした。
アリスの言葉には色々変なところがある。
そもそも、放浪をしていると言う割には服装はメイド服だし、パッと見16-7歳ぐらいかと思うが、ビックリするぐらい美人なのに猫だけ連れて一人で放浪生活をしてるとか意味が分からない。そして何より、彼女が見せた戦闘力はとても十代のか弱そうな娘が身につけるそれでは無かった。なので、イリスは恐る恐るこんな事を聞いてみた。
「……その、アリスはどこかの国の特殊工作員とかじゃないの?」
馬鹿馬鹿しいと思いながらも思わず聞かずにはいられなかったイリスだが、いざ口にしてみるとその荒唐無稽さに思わず恥ずかしさが顔に上ってきた。
「あ、いや、ゴメン。バカなこと聞いた。そんな事あるわけないのにね」
そう言って苦笑を浮かべるとアリスを見やった。
だがその視線の先のアリスは真剣な表情でイリスを見つめていた。
「なぜ気づいたのですか?」
自分で問いかけたくせにそんな返答が返ってくるとは思っていなかったイリスは、その答えを聞いた瞬間ビシッと固まってしまった。そして、ゆっくりとまるでゼンマイ仕掛けの人形のようにぎこちない動きでアリスの言葉を反芻した。
「なぜ気づいたのですか⁇……本当にそうだったの??」
さっき、アリスは自分に危害は加えないって言ったのに、自ら地雷を踏むような質問をした事を後悔したが、時すでに遅くイリスは思考がまとまらないまま、再びアリスに問いかけた。
そんなイリスの様子をしばらく見ていたアリスは、特に表情を変えることも無く、次のように答えた。
「なんで、人の言った事をすぐに真に受けるんですか?そんなんじゃ、世間を渡っていけませんよ。もう少し疑り深くならないといけません」
そう言って、椅子に腰かけると「あ、お茶の準備をしましょうか」等と口にした。
「……はっ???」
今の一連のやり取りが何だったのか展開に付いていけずにいるイリスに気付いたアリスは、
「私がどこぞの秘密工作員なわけないでしょう?少し考えればバカでもわかりますよ?」
と言いながらお茶の準備を始めた。
「……つまり……揶揄われたの?……勘弁してくれよ~!!あ、バカってなんだよ!!」
アリスの言葉を漸くに理解したイリスは、先程頭の中で考えた最悪の展開を思い起こしつつ、非難交じりに抗議の声を上げた。
「はいはい。バカなお話はここまで。お茶を頂いたら寝ますよ。明日も早いんですからね」
アリスはそう言いながら、イリスの抗議の声を軽く聞き流して自分とイリスには紅茶を、タロにもミルクを用意してその前に置いた。それでも納得のいかないイリスはアリスに食って掛かっていたが、二人のやり取りを半目で見ながらタロは自分の前に置かれたミルクに舌を伸ばした。
『まぁ、秘密工作員は良かったな。もっとも、それ以上に言えない秘密が多いんだがな』
と、アリスにしか分からない言葉で語るタロであった。
結局にこの騒動が決着したのは夜半を過ぎた頃で、隣の部屋からの抗議の為であった。




