第十八話「エピローグ」
カツーン
カツーン
カツーン
金属製のブーツが大理石の床をたたく音が通路に響く。辺りは既に夜の闇が支配する時間であり、通路のところどころに掲げられたロウソクが、わずかにその足元を照らした。
暫く通路を歩いた後、その人物は目当ての部屋の前に立つとゆっくりを扉を開き、部屋の中へ歩を進めた。
ここはセントーリ教国の教皇執務室。教国最高権力者の私室である。
部屋の中はわずかにロウソクの火で照らされ、うす暗い状態だった。
部屋に入った人物は、部屋の奥に立つ人の気配に気づき、2~3歩室内に歩み入ると片膝立ちとなって頭を下げ、その人物への礼を取った。
「教皇聖下。シャルロッテ、ただ今戻りました」
「ご苦労でしたね、シャルロッテ」
自身が考えていた人物以外の声で返事を返されたシャルロッテは、反射的に立ち上がると後ろに飛び退りながら腰に佩いた得物に手をかけた。
「何者です!ここは教皇聖下の執務室ですよ!!」
と厳しい声で誰何したシャルロッテに対し、今しがた返事を返した人物は、
「シャルロッテ、心配しなくていい。私です」
そう言って近くにあったロウソクを手に持ち自分の顔に近づけた。
「エゼキエル枢機卿猊下!?一体、何故こちらにいらっしゃるのですか?それに教皇聖下はいったい……」
そこにいたのは教国の中枢を担う枢機卿の一人、エゼキエル枢機卿その人だった。
比較的年配の人物が多い枢機卿の中にあって30歳台の若さでその称号を手に入れた逸材であり、多くの信者や教会関係者の信認を得ていた。
目の前に対峙しているシャルロッテも、エゼキエルとは少なからず親交があった。
「シャルロッテ。あなたの疑問はもっともですが、まずは今回の顛末を私に報告願えますか?」
そう切り出されたシャルロッテは、改めて今回の首尾をエゼキエルに話した。
「……そうですか。致し方ない事とは言え、残念な結果でしたね。ご苦労でした、シャルロッテ」
シャルロッテの報告を聞いたエゼキエルは、沈痛な面持ちでわずかに目を閉じたが、改めてシャルロッテを見てねぎらいの言葉をかけた。
シャルロッテは枢機卿の労いに軽く頭を下げて応えると、先程からの疑問をぶつけた。
「それで猊下、教皇聖下の事とは?……」
そう問いかけられたエゼキエルは、先程よりも更に厳しい表情をすると、目の前の偉丈夫に本題を話し出した。
「いいですか、シャルロッテ。この事は他言無用です。まだこの事を知っているのは、枢機卿と一部の人間だけです。……本日、教皇聖下がお倒れになりました」
「えっ!!聖下が!?……」
今回の任務前に面会した際は特に変わった様子もなかった事を思い返し、枢機卿からの突然の告白に一瞬思考が止まったシャルロッテであったが、次のエゼキエルの言葉に一気に怒りに火が付いた。
「実は、毒を盛られたようです」
「何ですってー!!一体誰が!?」
一気に憤怒の表情になったシャルロッテを窘めるようにエゼキエルは言葉を続けた。
「シャルロッテ。気持ちは分かりますが、少し落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!!」
「まだ先があるから落ち着けと言っているのです!」
そのままヴォルテージが上がっていきかけたシャルロッテだったが、エゼキエルの静かな威圧で自分を取り戻した。
「……失礼いたしました。私としましたことがお見苦しい所を……」
「いえ、あなたの気持ちはよく分かります。わたしも、こんなに怒りを感じたことはありませんからね」
そう言って中空を睨みつけるエゼキエルは、まさに怒りに体を震わせた。そして、改めてシャルロッテに向き直ると
「さて、そう言った事情なので、任務から帰ってそうそう申し訳ないのですが、この事件の捜査をお願いします。もちろん、事が事ですから秘密裏にお願いします。騎士団で現在教国に残っているものは全て事情を知っていますから、とりあえずあなた方の団長に詳細を聞いて対応をお願いします。」
と告げた。
それを聞いたシャルロッテは、
「承知しました。必ずや、犯人を焙りだしてごらんに入れます」
そう言って深く頭を下げると、そのまま体を返し部屋を出ていった。
一人残されたエゼキエルは、シャルロッテの出ていった扉をしばし眺めていたが、
「ホントに頼むよ。僕も久々に頭にきたからね。こんなにコケにされたのは久しぶりだ」
と、先程までとはまるで違う人物のような言葉づかいでつぶやいた。
ロウソクの灯りに反射してガラス窓に映るエゼキエルの姿は、次の瞬間には細身のショートカットの人物に変わり、また次の瞬間にはエゼキエルの姿を映した。
「しかし、誰がこのロキの目を盗んで毒を忍び込ませることが出来るっていうんだ?しかも、よりによってキマイラの毒とは恐れ入る……」
枢機卿エゼキエル…その正体は秩序に組する神の一柱であるロキその人であった。彼の言葉通り、地上で活動するための現身であるから多少の不自由さはあるものの、文字通り神の目を盗んで毒を盛る事など考えられなかった。しかも、キマイラの毒はまず地上では手に入らない。つまり、この事をなしたのは人間ではないという証左であった。
「それに、人間にはこの毒を完全に消すことは不可能だしね……さて、どうしたものかな……」
ここセントーリ教国はその性格上、聖属性魔法の使い手が多くいるが、それをもってしても教皇の体内から毒を完全に消すことは叶わなかった。そもそも、教皇に使われた毒がキマイラの毒であることに気づいているのはロキのみであり、治療に当たった治癒術師たちは、現在も何の毒なのか調べつつ教皇の治療に当たっている。現状は何とか小康状態だが、昏睡状態は続いているという状態だった。
「僕ももう少し聖属性魔法を使えたら良かったけど、今更だね」
ロキが聖属性魔法をもっと使えれば、簡単に教皇の状態を改善できたかもしれなかったが、残念ながらロキはその手の魔法は不得手であった。神も万能では無い。
「まぁ、今のところ命の心配は無さそうだし、しばらくは様子見って事か」
そう結論付けると、ふと思い出したように、
「アスタロトとあの娘は相変わらず色々とやってくれる。この後はどんな物語を紡いでくれるのかな?……楽しみにしているよ、アスタロト」
そう、聞こえるはずもないかつての仲間に語りかけ、その部屋を後にした。
【神々の邂逅と偽りの錬金術師 ~完~ 】




