第十二話「エピローグ」
山のふもとへと降りたアリスと黒猫を待っていたのは、スタンピードを退けた連合ギルドの歓声だった。
総力戦で挑んだ戦いは、アルテシアの指揮と後方から挟撃したアストレイの活躍により、何とか街の被害を食い止めることに成功した。
何事もなくホッとするアリスの目には、医師に治療を受けている双子の姿が映った。
声をかけずに通り過ぎようとするアリスにアルテシアはウインクを送り、アストレイは拳を胸に当てた。
こうして多大な犠牲は出したものの、大量のモンスターによる騒動は幕を閉じたのだった。
翌日、避難した人々も戻り、地味にではあるが鍛冶神の祭りは行われた。
街の発展と鍛冶神への感謝、そして勇敢に散っていった冒険者への鎮魂を込めて。
アリスと黒猫は教会に呼ばれていた。
表向きには参加していないが、今回の依頼を達成したについて礼がしたいとアルテシア直々に申し出があったためだ。
「今回のスタンピード。我が町の教会、しかも神父自らが企てたものだった……」
アルテシアはうつむいたままそう語り、苦悩の表情を浮かべていた。
「神父が何を企み、スタンピードを起こしたのか、それは未だに分からん。本人は恐らく共謀した者たちと共に自害していた」
アリスの脳裏に、あの部屋で起こっていた惨劇が蘇る。
「残党を狩るために山へ入った際、この指輪を見つけた。かすかに光の神の加護がうかがえる。これが今回の事件に繋がるカギなのかもしれんな」
指輪はすでに本来の輝きを失っており、何の効果もないことは誰の目にも明らかであった。
神父の動機や指輪の出どころ、炎の鬼と呼ばれたレア種はどこに消えたのか、街の被害は最小限だったとはいえ、解決していない問題が山済みだった。
「街を守り抜いたとはいえ、この教会は大きな責任を取ることになるだろう。神父亡き今誰かがその責任を追わねばならん」
アリスとアルテシアは改めて祭りで賑わう街を見下ろす。
何とも後味の悪い事件ではあったが、自分たちが命懸けで守り抜いたものの価値を噛みしめる。
「アリスにも大変世話になった。君があの脳筋バカを連れてきてくれなければ、街の防衛もどうなっていたか分からないからな」
「いいえ、私は自分が出来ることを行ったまでです。それ以上の事は何も」
白聖の顔を止め、ようやくアルテシアにも笑顔が戻った。
アリスと固い握手を交わし別れを惜しむ。
「出来れば祭りを楽しんで欲しかったが、このありさまだからな。もう少し経てば双子も目を開けると思うのだが」
「いえ、元々長居をするつもりではありませんでしたし。そろそろ路銀も底をつきかけています。次の仕事をしないと……」
「おっと、そういえば」と、アルテシアは袋を差し出す。
「これは鍛冶ギルドと冒険者ギルドからのほんのお礼だ、少ないが取っておいてくれないか?」
そう言って差し出された麻袋には金貨二十枚が入っていた。
「こ、こんなにですか?」
アリスの働きは本来街の英雄として取り上げてもおかしくない内容だが、ギルドの関係者から多くの犠牲を出してしまった事とアリス本人が望まなかった事により“金一封”の贈呈という形で落ち着いた。
「あの脳筋バカからも、よろしく伝えてくれと言われている。それと……」
アルテシアが持つもう一つの袋から徳利が姿を現す。
「聞くところによるとかなりイケる口だそうじゃないか?これは“銘酒 紅桜”。私もお気に入りの一品だ。この街では難しいが新鮮な魚を出す街に行くことがあれば一緒にやればいい……他の酒には戻れんぞ?」
黒猫が恐る恐るアリスを覗き込むと、目が星で埋め尽くされだらしなく口が開いたままになっている。
「あっはっはっは、アリスもそんな顔をするのだな。これは街の誰も見たことが無いだろう。この笑顔は私の胸に留めておこう」
アリスは徳利を大事そうに抱え、丁寧に礼をして教会を後にした。
「あ、最後に一つ聞きたい。今回の騒動、レア種の存在を確かに確認した者も多かった。そいつはあの騒動の中どうしたのだろうか?」
待望の品を抱えた少女は社のあった方向を見つめた後、アルテシアの方に振り返りこう告げた。
「あれだけのモンスターがいたのです。共食いでもして居なくなったのではないですか?」
こうしてアリスと黒猫は鍛冶の聖地を後にした。
思えばエルから代金の残りは貰い損ねたが、予想以上の報酬が舞い込んだので良しとしよう。
そしてまあ、従者は念願のお宝を手に入れ常時ご機嫌だからこれも良しとしよう。
しかし……。
黒猫は改めて街の方を振り返り教会を見つめた。
「どうされたのですか?タロ様?」
アリスは陽気にひらひらと回りながら立ち止まった主人に尋ねる。
「アリス、良くできた結末だとは思わんか?」
「どういうことですか?鍛冶ギルドは主犯の責任を追及されますし、冒険者ギルドも死者多数でボロボロ、街もこれからが大変だというのに誰一人得をしていないのですよ?」
黒猫はそういうアリスの方に振り向き肩に飛び乗る。
「そう、綺麗に“誰も得をしなかった”という良くできた結末だった」
光の神の力が宿った指輪など、神々の遺産級の代物だった。
いくら鍛冶ギルドの中枢とはいえそんな大層な物を準備できるだろうか。
そしてそれをあの鍛冶師にけしかけ、騒動を起こし、今の現状を作り上げた者がいたのではないか。
黒猫は思考に思考を重ね小さな胸に引っかかる物を取り除こうとしていた。
「まあまあタロ様、今更考えたところで仕方がないですよ。それより早く次の街に行きましょう。魚の活け作りがある所がいいなあ」
「お前早くその酒飲みたいだけだろう。まったく、いつからこうなったのか……」
「猫の活き作りも出来るんですかね?」
「お前それをやったら、二度と人間には戻れんぞ……」
時を同じくして、惨劇の舞台となった山から少し離れた別の場所で、傷ついた獣はようやく目を覚ました。
「こ、ここは……」
エルは山から流れる小川のふもとに寝かされていた。
全てを失った鍛冶師は何のために生きているのかという自問自答に明け暮れていた。
自分を見失い、欲望に盲信し、さらにそれを父親のせいにして自分を正当化していた。
あの街には戻れない。あの双子に合わす顔が無い。
生きている価値があるのだろうか。
このまま川に沈んでしまった方が良いのではないか、バーサクや鍛冶師の前に私の心そのものが化物だったのだから。
流れる川を見つめると怒られて泣いている子供のような顔した自分が映っている。
あの少女は私を叱ってくれたのだ。
絵本に出てきた断罪の天使。
光り輝く剣を携え、全てを切り払う天使。
私の天使。私だけの天使。
そうだ、あの方の為に生きよう。
あの方の剣を作ろう。
あの方だけの為に最高の剣を作ろう。
私は何もない?違う!
私は信仰を手に入れた。
私だけの天使が必要とするとき、この世の神々を切り殺すその時が訪れた時、私の剣を差し出そう。
「私の絶対神、鍛冶の神でも光の神でもない私だけの……」
エルは言うことを効かない体で這うように新天地を目指す。
こうしてメロウリンクから鍛冶師が一人姿を消した。
鍛冶の街メロウリンクでは夜になっても祭りの灯りが消えることは無かった。
街が守られた事への喜びであふれる者。
惜しくも散っていった戦友を惜しむ者。
全てに等しく祭りの灯りは街を照らしている。
そんな街の喧騒から離れた教会の一室。
“懺悔室”とかかれた個室に一人の男が神に祈っていた。
しばらくすると女性が対面にお座り、同じように神への祈りを捧げる。
少しの沈黙の後、男の方が口を開く。
「して、首尾は?」
僅かに微笑んだ女性は祈りを捧げたまま男の問いかけに答える。
「冒険者ギルドは戦力を大きく削がれ、しばらくは活動が出来ない状態に。鍛冶ギルドは今回の主犯を生み出してしまった責任が、更に首謀者は全員死亡。今後は事実上の解体が進むでしょう。鍛冶の神とかいうまがい物の祭りもしばらくは取りやめることになるでしょう」
「例の占い師は?」
「まあ、分からない部分は多いですが今のところ害はなさそうです。無理に突いて障害になるのは得策ではないかと。あの指輪で遊んでいた鍛冶師も姿を消しました。今回の事件の全貌を知るものはおりません」
「では、この街と鍛冶ギルドは、今後中央の教会が取り仕切るという事でよろしいかな?シスターアルテシア、いや教会騎士団 団員アルテシア」
神父の座する場所に座る女性は胸元に刻まれた三つの稲妻を指でなぞり再度微笑む。
「ええ、大司教様にもそうお伝え下さい。神が望めば神をも殺してごらんにいれると」
男は何も答えずそのまま懺悔室を後にした。
女性の祈りはまだ続けられていた。
こうして鍛冶の聖地メロウリンクは、中央教会の直轄扱いとなり。その責任者として先の混乱を収めた“白聖 アルテシア”が治める事となった。
冒険者ギルドとの連携契約は白紙に、隊長のアストレイは責任を取ってギルドを退団した。
「しかしタロ様、エル様をあんなところに放っておいてよかったのですかね?」
「しょうがないだろ?連れて帰るわけにもいかないし……それよりお前こそあの黒い剣、砕かなくてもよかったのではないか?人間にしてはよく出来た剣だったじゃないか」
「躾けですよ躾。あんな子供みたいな女性放っておけないでしょう?危ないおもちゃを持ってたから取り上げたんです」
「躾って……まあ実際アリスの年齢はあの鍛冶師よりだいぶ、おげぇぶ!!!!!!」
アリスのもつ徳利が黒猫の脇腹に直撃する。
鍛冶の街は遠く山の向こうに消え、アリスと黒猫は次の街を目指した。
【鍛冶場の鋼と火事場の蝶(インゴット&イグニート) ~完~ 】




