第一話「襲撃」
「どういうことでしょうかタロ様?」
『どういうことでしょうねアリス?』
旅路の途中、陽が落ちる前に街へ辿り着こうと遠い距離を歩いてきた一人と一匹は、今起こっている状況を理解出来ないでいた。
鼻を衝く鉄の匂い、事切れる寸前のうめき声。
人間の兵士とよく似た格好だが鎧や兜に身を包んでいるだけで、中身は悪臭を放ち猪や豚の顔立ちと屈強な体を持つオークがそこら中に転がっている。
一個小隊程度の数がさらに細切れにされ、所々に屍となって散らばっていた。
街へ向かう途中、近道の為に通った参道でアリスと黒猫はオークの群れに襲われた。
襲われたというのは少し正しくない。
ハイオークが率いるオークの集団は統率もされておらず、ただ闇雲に走り回っていた印象だった。
まるで何かに追われているかの様に。
その場に運悪く黒猫と銀髪の少女は出くわしてしまった。
ひどく怯え、取り乱していた一団は邪魔な障害物とばかりに襲い掛かる。
黒猫の首根っこを掴み、ひらりとオークの初撃を交わしたアリスは指先で小さな魔方陣を描く。
青白く光る魔方陣から鋭い矛先と鋭利な斧が姿を見せる。
そしてそれは全ての姿を晒した時、一つの武器であることを現した。
『ハルバードか』
黒猫は掴まれた首を少し窮屈に感じながらも、従者の選んだ武器に半ば呆れ交じりのコメントを漏らす。
アリスは主人からの魔力をトリガーに別空間にある武器庫からあらゆる武器を取り出す事が出来る。
黒猫のタロがまだ神と呼ばれ光に包まれていた時代、収集していた武具はアスタロト専用の次元空間へ保管されていた。
アスタロトの力に反応するこの空間は、あらゆるものを収納できており、現在黒猫になったタロの魔力にのみ反応する。
アリスはこの空間にある武器のうち、やたらと大きな武器を好んで使う傾向にあった。
「なんです?私が女だから大きくて太いモノが好きなんだろう?とか下卑た思考しているんでしょう?」
『ヒゲに誓ってしていません』
「そこはゲヒって言うべきでは?」
「俺にそんな部位は存在しない」
黒猫と少女の間で軽口の言い合いが続くその間に、狂気にまみれたオークの集団は一体、また一体と切り裂かれていく。
使いこなすこと自体が騎士の誉れと謳われる武器を意のままに操るアリスは、その武器の重さに逆らわない大ぶりな一撃を放ったかと思うと、今度は重さなど無かったかのように素早く振り回しリーチに緩急を付けながら刃の弧を描く。
そもそも卓越した戦闘能力を持ち、かつ集団戦に特化した戦法を使うアリスに烏合の衆と化したオークの群れは成すすべなく切り倒されていく。
その間、黒猫は片手で首を掴まれたまま、アリスの動きに合わせてあちらこちらに振り回される。
『ちょっと、あまり揺らさ、おぇぇ……』
目の前の脅威にいち早く気付いたハイオークは慌てて連携を取るよう指示を送るが、次々と切り裂かれていく同胞を前に闘争本能を削がれたオークたちには届かない。
気が付くとハイオークのみが屍の山に立ち尽くしていた。
眼前には絶望を告げる使者がゆっくりと歩み寄る。
「ぐおぁぁぁぁ!」
ハイオークは雄たけびをあげ闇雲にアリスへ突撃する。
アリスは眉一つ動かさず、己の領域に踏み入る者へ刃を振る。
錯乱した者の咆哮は強制的に空気が漏れるような音へと変えられていく、世界がぐるりと転がり天地が逆さまに映る。
アリスは数歩進み、体から離れたハイオークの頭に語り掛けた。
「ひとつ、答えなさい。何から逃げてきた」
一般のオークより知性が高く、言語を使用する亜人は事切れる間際に口を開く。
「鬼……赤い……炎の……」
体から離れたハイオークの首がそう呟くと、目から完全に生気が失われた。
「どういうことでしょうかタロ様?」
『何でまた聞いた?』
アリスはハルバードを再び異次元へしまい、少し乱れた髪を整えながら辺りを見渡す。
ようやく振り子による酔いを覚ました黒猫は同じ様に周囲を警戒しつつ、改めて仕切り直しのセリフを発したアリスを二度見した。
魔物と呼ばれる存在は基本的にダンジョンにのみ生息する。
だが一部の知能の高い種族に関しては地上へ出現し、独自の文化を形成し種の存続を続けている。
人や動物の様に交配を行わずとも、ダンジョンより生まれ出る同族を向かい入れ増え続ける魔物は地上に住む人々にとっては脅威でしかない。
飢えを満たす目的で、快楽の道具として、人が襲われるケースも珍しくなかった。
一方、その高い戦闘力に目を付け望むものを提供することで、傭兵として戦争の道具にされた例も存在する。
「何かに怯えて逃げてきたように見えましたが……鬼がどうとか」
アリスはハイオークが間際で発した言葉を思い出していた。
黒猫はその言葉にうなずき、オークたちが走ってきた方向を見つめている。
参道から少し離れた場所に岩で囲まれた天然の門が出来ている。
そこから山道へはいれるようになっており、道は山の頂上まで続いていた。
今の場所からは微かにだが、山頂には木々を切り倒し開けた場所に何かを祭った木造の社が見える。
「何かいるのでしょうか?」
黒猫は死体の山を一瞥し、その後山の頂上に視線を向けて今の状況についての見解を述べる。
『このオーク、見たところ装備を固めている点からしても傭兵の一団だろう。この数が揃いも揃って逃げ出すようなモノがいるということだ』
一人と一匹は同じ視線を山の頂上へ向ける。
辺りはすでに日も落ちかけている。
やがて訪れる闇夜と風が起こす木々のざわめきが、危うい存在を匂わす山を一層不気味に見せていた。
しばしの沈黙。
そしてアリスと黒猫は見つめ合いお互いの気持ちを確認する。
『アリス……』
「タロ様……」
「『まずはご飯食べよう』」
向けた視線の先には街の明かりと煙突から昇る煙が見えていた。
お腹をすかせた黒猫と少女は、間もなく土へと帰る哀れな一団を後にして、足早に町へ向かっていった。




