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黒猫の王と最強従者【マキシサーヴァント】  作者: あもんよん
寄り道Ⅴ(パニックルーム)
139/142

タロ様、私にセックスを教えてください!

 人であれば20名

 猫であれば80匹は入る半端な広さの部屋は、四方を真っ白な壁で囲まれ、見つめていると頭の中がどうにかなりそうで、当然家具の類も見当たらず、ただ部屋の中央には不自然に寝具が備えられていた。


 足や腰を休める椅子も無いこの部屋で唯一体を預けられるのはこの寝具以外ないのだが、そこには布とも革とも知れぬ薄くペラペラとしたものが添えられている。


 この薄いものが何かは分からないが、そこに軽薄な紅い文字が書かれている事は理解できた。


 えらく癖のある筆跡ではあるが書いてある内容は読む事が出来る。


 曰く


〜セックスしないと出られない部屋〜


と書いてある。


「タロ様……」

『アリス……』


 一人と一匹は視線を絡ませ、互いの気持ちを探る様に思いを告げる。


「セックスって何でしょう」

『知らん』


 眩しいという程ではない白い壁の部屋にベッドが一つ。何かに記載された聞いたことも無い単語。先程まで入口だった扉は恐らく唯一の出口なのだろうが、どんな仕掛けか開く様子はない。


「タロ様、完全に閉じ込められた様です」

『だろうな何かの罠ではあろうが……』


 密室に閉じ込められた黒猫と従者であったが、特に危機感もなく、壁を叩いてみたりベッドのシーツを剥がしてみたり、何ならアリスはそのベッドに横たわってみる。


「あ、割とふかふか」


 閉じ込められたという現実はあれども、この部屋に入った時から殺意や悪意の類が感じ取れず、自らの力で何とかなるだろうという自負も手伝って安穏な時間をすごしている。


『しかし多少はこの部屋でのんびりするとはいえ、出る事が出来ないのならばいずれ不便が出てくるな』


 黒猫は従者が陣取るベッドの端に飛び乗り、充分に広い場所に丸くなる。それは多少手を伸ばさないと触れられない距離。アリスはそうだと分かっていても気付かれない様に手を這わせてみる。


「……ですよね」


 どこまでも白い部屋の天井を見つめながらアリスは淡々と主へ尋ねる。


「タロ様、私にセックスを教えて下さい」


 沈黙は重い空気となってこの部屋に沈む。同じベッドマットに沈む主猫を見つめる瞳はじっとふよふよ泳ぐ尾を追いかける。


『悪いがそれは出来ない』


「何故です?」


『私の知識に無いものだ』


「神であられるのに?」


『神は全知全能ではないよ、そう呼ばれたうつけもいたけれど』


 そうですか、という従者の呟きにふむ、と体を起こし黒猫は部屋の隅へ向かい改めてベッドの方を向く。


『しないと出られない、という事は何かの行為を行うのだろう』


 先程まで主がいたまだ暖かいシーツをなぞり、アリスは何故だか距離をとっている主にある提案をする。


「ねぇ、タロ様?こちらにいらしていただけませんか?」


 少し上目遣いに、少し潤いを含んだ目でアリスは主をベッドへ招き寄せる。黒猫は黒猫で、いつもとは異なる歩幅と歩調を取りながら恐る恐る従者の元へ近づいた、かと思うと強引にその体を引き寄せられる。


『なにを』

「行きます!」


 ごいん!


「いっっったぁーーーい!」


 アリスは黒猫を担ぎ、いつもと同じ様に、いつもと変わらず、主の魔力を恩恵に伴い全力の突きでドアを叩き割ろうと試みる。だがいつもと違うのは頼るべき主の魔力が雀の涙程も発生しなかった事だった。


「タロ様ひどい!そんなにいたいけな美少女を部屋に監禁したいんですか!」


『いや、それだと私も監禁されている、それに』


(魔力をかき消された……?)


 事の重大さに思案を巡らせる主人をよそに、アリスは雀どころじゃ無い量の涙を浮かべ抗議するが、タロは雀の涙程の同情もかけずにアリスを嗜めた。


『そもそもだ』


 そもそも、黒猫と少女は如何にしてこの部屋へ辿り着いたのか。


 それは少し時間を遡る。


 旅の途中によくある話、通り雨に遭遇した際に見つけた立派な大樹に身を寄せた。大人の男性が手を広げて囲めば優に10人分はあろうかという大きさは広げた木の枝と生い茂った葉で十分屋根の役割を果たした。ふと従者が見つけた穴は一人と一匹なら余裕で入る事が出来る広さと見込んで躊躇なく飛び込んだ。


 躊躇する必要はない。

 何があろうと、何がいようと。

 神と神の御技を使う彼らには関係ない。


『ところがその穴がこの部屋の入口だったとは』


 すこし呆れた物言いをする主に当然ながら従者は抗議の申し出を行う。


「タロ様だって、ちょうどいい、ついでにメスが居ればとって喰おう(性的)、とか言ってたじゃないですか!」


『(性的)ってなんだ。私はついでに木の実や果実があれば拝借しようと言ったのだ』


 ぶつぶつ言いながら赤くなった右手をさするアリスを横目に黒猫は壁という壁、天井という天井をくまなく調べる。


 匂いで肉球の感触で。

 だが何をどうしようが、無機質なこの部屋からは脱出の手掛かりは出て来なかった。


「やはり、セックス……でしょうか」


 アリスは文字の書かれた薄いものを改めて見つめた。


「聞いた事の無い言葉ですが、未開拓地の方言でしょうか……それとも古代言語」


 それからアリスは思いついたあらゆる事を試してみる。


 聞いた事が無い歌

 見た事がない踊り


 儀式の様な素振り

 呪いの様な呟き


 黒猫は奇行を繰り返す従者をただじっと見つめている。何かを我慢するかの様に口は真一文字になりながら。


 アリスは自分のやっている事に多少照れて来たのか飽きて来たのか、先程から見ているだけの主に苦言を呈す。


「ちょっとタロ様も何か考えて下さい。このままだと私は空腹のあまり、タロ様を拷問してしまいそうです」


『空腹を満たす行為が主への暴挙なら、お前の欲求はいささか歪み過ぎだ』


「欲求……」


 アリスは何かを思いついたかの様に、上着のボタンに手をかける。


『アリス?』


 主の問いかけを他所に、全てのボタンを外し召物を全て脱ぎ捨て、さらに下着に手を掛けた。


『アリスさん?』


 突如全裸になった従者に戸惑いながらも、これもこの部屋がもたらす罠の一環ではないかと勘繰る。精神異常の魔法か毒薬の類か。


 魔力の使えぬ身でありながら猫の体に影響はないところを見ると、従者にだけ何かが起こったとしか考えられない、もしくは……。


 黒猫は一つの仮説を立てる。


「タロ様?本当は、ご存知、なのでしょう?」


 しなやかで透明な少女のあらわな肌がゆっくりと近づく。


 この部屋に閉じ込められてから、時間の感覚などとっくの昔に麻痺してしまっていたけれども、それでも肌をさらしたアリスが黒猫に触れるまでの時間はあまりにゆっくりで、それは少女の覚悟と葛藤を意味する様だった。


『ご存知、とは?』


 黒猫の鼻先まで近くに寄った白い膝がゆっくりと床に付く、既に一糸纏わぬ身体は何も隠さず主の前に曝け出した。


「セックス、ですよ」


 頭は真っ直ぐに、だが目線を外した黒猫はそれでも微動だにしなかった。


 そっと少女の手が黒猫の喉元に触れる。


『獣の体である私と何をしようというのだ。それとも……』


 パシっと黒猫の前足が少女の手を払いのける。


『お前が私の体を元に戻すとでもいうのか、フレイアよ』


 先程まで慈愛に満ちた笑顔で近づいてきた少女の顔が怪しく、また妖艶な表情へと変わる。


 黒猫の眼前についていた膝を上げ、ゆっくりとたちあがる姿は次第に形を変える。手足は伸び、幼さからわずかに丸みがかった腰はくびれ、豊かな乳房が姿を見せる。銀髪が長い毛先まで黄金の輝きに彩られた頃、わずかに潤った唇が動く。


「やだわ、いつ気がついて?」


 フレイヤはいつの間にか黒猫を見下す様に立ち、一糸纏わぬ体を恥じらいなく晒す。相変わらず逸らしたまま視線に入ろうとしなやかな恵体を動かす度に黒猫もまた視線を外すが遂に両手で頭を捕まれ動けなくなってしまった。


「ねぇ、もしかしてだいぶ前にバレていたのかしら……そうなの?」


『アリスの姿を模し、魔力の供給を受け付けずにあたかもこの部屋では魔力が封じこまれている様に見せたのだろうが』


 黒猫の体が尻尾の先まで蒼い炎を纏う。決して本物の火でないが、それは意思を持っているかの様に眼前に立つ美女を威嚇していた。


『魔力はかき消されたのではない、拒絶されたのだ、お前に』


 フレイヤと呼ばれた女神は少し困った表情を浮かべると、くるりときびつを返して距離を取る。彫刻を思わせる美しい丸みを惜しげもなく露わにし、もはや真意以外は隠そうともしていない。


 そもそも彫刻の様なという比喩こそ誤りで、美しく価値が高い彫刻こそがこの女神を讃える為に美しくあるのだと、アスタロトは改めて目の前の芸術的な奇跡を感じ取っていた。


「そっかぁ残念、まあ流石に騙されてはくれないかあ。愛しい愛娘に卑猥なセリフを言わせて動揺するかと思ったのに」


『その記された言葉……確か』


「ええ、別世界に存在する言語で“性行為”を意味するものよ、分かっていたくせにムッツリね」


 背を向けたまま挑発する言葉と身体に思わず引き込まれそうになる。美と豊穣を司る女神、と人間からは信仰を受けていても、その美は毒、愛は害、搾取と堕落の魔女とすら呼ばれる。


 当の女神はそんなゴシップも意に関せず、自由に我儘に奔放に存在している。


『あぁ、そうか。そうだった。君はそうだったな』


 目線を外したままの黒猫は、すこし呆れた様な困ったような表情を浮かべる。気がつくと黒猫は女神に抱き抱えられ、その豊満な双丘へ押し込まれた。今は神でも人でもなく、獣へ堕ちてしまった旧友の瞳を見つめながら女神は語りかける。


「私の神威に触れた者は欲望に飲まれ堕落するか、憎悪に支配されて迫害するかのどちらかだった」


 女神の手が優しく黒猫の頭を撫でる。


「でもあなたは違っていた。そのどちらでもなく、何も語らず、何もせず、側にいてくれたわね」


 黒猫はかつてを思い出に耽る女神の隙をみてその美体から逃れる。再び距離を保ち、目の前の女神はそっと溜息をついた。


『そんな昔話の為にこの手の込んだ部屋をつくったわけではないだろう?それとアリスはどこだ?』


 かつての友を、あの日の思い出を見つめる瞳がわずかに鋭さを帯び黒猫を捕える。あからさまに空気を変えた女神に対し、多少は警戒心を抱くも黒猫は微動だにせず返答を待った。


「そんなにあの人間の娘が大事?」


 どれだけの神がこの質問をアスタロトへ投げかけただろう。そしてそれに対する答えはいつも同じだった。


「罪を償うのは当然だろう?」


と。


 女神フレイヤは鋭い眼光を緩め元の慈愛に満ちた瞳で見つめ直す。


「でも、この部屋は私が作り出した秘密の部屋。遥か昔から、この部屋からセックス抜きで出る方法はないわ」


 フレイヤは合わせる様に両肘と両膝を床に付く。手を軽く握り頭を伏せながら腰を上げる。


 四つん這い。つまり猫のポーズを取り腰を左右に振りながら近づく。


「アスタロト……あなたは私を抱く以外に、あの娘を救う方法はない」


 殆ど変わらね目線に位置する黒猫は不思議と安堵した表情をした後、女神に背を向けると何もない白い壁を見つめた。


『なるほど、ならばまもなく……かな』


「なにを……」


 確信じみたアスタロトの言葉に多少の動揺をフレイヤが見せた瞬間、カチッという音と共に扉が開く。


「え、どうして……」


 信じられぬと呆然とするフレイヤをよそにアスタロトは出口へと向かう。


「待って、いったいどうやって……どんな解呪の魔法を……」


 答えを求める女神は、捨て猫が縋る様にも見えた。それを黒猫は同情せず、侮蔑せず、代わりに優しさに満ちた瞳で見つめた後、その長い尻尾で部屋の隅を指した。


『魔法じゃないよ。助けられたのさ彼等に』


 黒猫が扉を潜るとスッと吸い込まれ姿を消した。あとに残された裸の女神は頭の上で指をくるりと回すと光を纏ってやがてそれはドレスへと姿を変える。


 先程黒猫が指した方向に向かい、白く長い指先を壁に這わせると何かに気付いた。


「あなたたちね、邪魔をしたのは……」


 寂しさと悔しさを孕んだ言葉を残し、女神もまたこの部屋から姿を消す。


 後に残ったのは白い壁と寝具、そして壁を這うカタツムリが一匹だった。



「タロ様!タロ様!タロ様ってば!」


 黒猫は多少乱暴に揺らしながら叫ぶ従者を恨めしそうに見上げ、おはようとあくびを放つ。


「おはようじゃないですよ!木の根に入った途端にグースカ寝ちゃって!流石の私もプースカですよ!」


 上手くも何ともないというセリフを飲み込み、黒猫は事態の分析を始めた。


『アリス、私はどれ程寝ていた?見た目に変わりはないか?』


「時間はさほどでも、ただ見た目はグロテスクで卑猥な黒光りしたお姿です」


『変わり、なしか』


 木の幹に開いた穴から外の様子を伺うと、雨はすっかり上がり広がる緑葉の屋根からは日の光が差し込んでいた。


 纏わりつく湿気を払う様に微風が吹き、黒猫の体を優しく撫でる。先程まで触れていた女神の様に。


 慈愛に満ちた。

 卑猥な愛情。


『会えて、嬉しかったよ。フレイヤ』


 おぉ、と雨上がりの木漏れ日に感嘆の声をあげ従者が穴から出てくる。黒猫は従者の準備が整った事を確認すると目的地に向かって歩き出した。


「あ、そういえばタロ様にお伺いしたい事が」


 後ろを歩いていたアリスが立ち止まり日の光を浴びてキラキラと銀髪を揺らすとこう質問した。


「私にセックスを教えてください」





 ここは地上ではない世界。

 天界ではない世界。


 光に包まれた広さも狭さも感じない場所にそれは鎮座していた。玉座の様な物の下に敢えて敷物を引きあぐらをかいて本のページをめくる。


「で?逃げられたのかい」


 読書の主は、呼びかけた相手も見ずにクスクスと笑う。少年の様な少女の様なその声は中世的な肉体をゴロンと横にして読みかけの本を枕に訪問者を迎える。


「ええ、逃げられたわ。分かってるくせに」


 フレイヤは唐突に差し出されたワインを受け取り、お返しとばかりにワインを注ぎ返す。何も無い空間から出てきたボトルは次の瞬間はなくなり、女神が腰掛ける瞬間には豪奢な椅子が姿を見せ豊かな臀部を優しく包み込む。


「まあ、期待はしていなかったけれどね。君の愛欲に溺れるアイツも見てみたかったけれど、そんなに幼子がいいのかねあのロリコンは……痛て」


 枕にしていた本を思いっきり抜き取られ、頭を床に打った相手の姿を肴にワインをあおる。八つ当たりにも程があると体を起こして打った頭をさすると上がり切った口角をこちらに向けていやらしく語りかけた。


「まあまあ、本来の目的は達成された。彼らが脱出した穴は別の地域につながっているから目的地に着くのはだいぶ後になるだろうよ」


 ワインを口に含み片目で楽しそうに話す相手を眺める女神は意地悪ね、とつぶやいて二杯目のワインを注いだ。


「何を企んでいるか知らないけれど、これで借りは返したわよ。ロキ」



 注ぎ足したワインを飲み干すとフレイヤは光の粒子と共に姿を消し。

 ロキは悪戯な笑みを浮かべそれを見送った。




END

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