第十話「転移魔法陣」
「それで、エンリケさんは”オネェ”なんですか?」
「ちょっと!?アリスちゃん!あなた、聞きにくいことをズバッと聞いてくるわね!でも、そういう子、嫌いじゃないわ。私はオネェじゃなくてバイなの」
「あ、そうなんですか。じゃ、ちょっと距離を置かせてもらいますね」
「アリスちゃん、ひどい!」
「冗談です。私の身近にも節操なくつまみ食いする輩がいるので、特には気にしません」
『それ、俺のことじゃ無いよね!?』
「そこ!無駄話が多すぎ!もう少し静かにして!…まったく緊張感のない…」
翌朝、まだ夜も明けきらぬ早暁を7人の男女と1匹の黒猫が、ひたひたとけもの道を歩いていく。
昨夜フィオナから告げられた魔法陣が設置してある場所は、集落のはずれの洞窟の奥という事だった。
フィオナ達の属するトゥーヤ氏族の土地は、エルフ氏族国の中でも南部に位置しており、聖なる森迄の距離は凡そ7,000キュロス(約5,600km)。
通常は、馬車で移動しても片道2か月程はかかる距離である。
だが、その距離を一瞬で移動する手段があった。
それが転移魔法陣である。
エルフは比較的神との直接的な交流が多かった種族と言い伝えられている。
その事も、エルフが他の人族に比べ圧倒的に魔法を扱う能力が高い理由と考えられていた。
そして、世界樹がエルフの森に植えられた際、管理はハイエルフが行う事になったものの、有事の際はエルフの総力をもって世界樹を守るように神からの使命が下されたのだという。
その為、エルフの各氏族の土地には、聖なる森に繋がる魔法陣が設置されたのだと伝えられていた。
だが、340年前の事件の際に悪用されたことを契機に、転移魔法陣の使用は禁止され、今では封印された魔法陣となっていた。
「私たち、今からヤバいことに手を染めるのよ。エンリケさんも、あまりアリスをからかわないで」
早朝からどうでもいいやり取りをするエンリケとアリスを窘めたエルミアは、軽くため息を吐くと再び歩く足に力を込めた。
アリスとエンリケのやり取りをそばで聞いていたイオンは、話の中身がよく分からなかったのか、ラルフに言葉の意味を聞いていたが、
「あぁ、えっと、子供はまだ知らなくていい事だよ」
と返され、
「私、子供じゃありません!!」
と激高していた。
その後、バイの何たるかを説明されたイオンは、首まで赤くなったその面をしばらくエンリケに向ける事は出来なかった。
「ここよ」
エンリケの先導で着いた洞窟の入り口には特に何かを遮るようなものはなく、普通に入れそうだった。
「ちょっと、あなた。入ってご覧なさい」
「えっ!?俺ですか?…何か出てきたりしませんよね…えっ!?あれ??」
エンリケに指名されたクラークが自身の得物である武器を構えて恐る恐る洞窟の入り口で近づくが、途中で何かの壁にぶつかった様に進めなくなった。
それを見ていたアリスがエンリケに仕掛けを尋ねる。
「これは魔法障壁のようなものですか?」
「そうよ。目には見えないけど、しっかりと封印が施してあって、人だけではなく何物をもこの中には入れないの」
そう説明を受けた他の面々もその封印を身をもって体感した。
「なんだか、透明な蓋がしてあるようですね」
ラルフがそう言うと「まぁ、だいたい合ってるわ」と言いながら、更にエンリケは言葉を続ける。
「一応、封印という事にはなっているのだけど、大っぴらにされないだけで、必要に応じて使われてはいるのよ。ただ、誰でも使っていいわけではないので、こうやって入れないようにしているの。」
そう言って、目には見えない封印をバンバン叩いて見せた。
「ここの封印を管理しているのは族長と、あと数人ね。普通は解除の方法は知らない。だけど…私は知っている」
「それが、今日、エンリケを連れ出した理由だよ」
何故、全く無関係なはずの彼がここにいるのかの説明を、エンリケと彼を連れ出した張本人が説明する。
自分の後ろからどや顔で自らの功を誇る友人の顔をジト目で睨んだエンリケは、深々とため息をつくと、
「あ~ぁ、自分の迂闊さを心底呪うわ。あろう事か、この女に秘密を暴露するなんて、私も耄碌したものね」
そう言って、悲劇にヒロインよろしく、悲しみの表情を浮かべた。
しかし、そんなエンリケの言葉と態度に特に感銘を受けた様子も見せず、
「あんたがどうやってこの解除方法を知ったか、ちゃんと秘密は守るって約束してやったじゃないかい。あんたも一応付いてるモノは付いてるんだから、ウダウダいうんじゃないよ」
そう言って、友人の主張を一蹴した。
「表現!もう、ほんとに、なんでこんなに下品になったんだか…」
見た目もまだまだ麗しくスタイルも抜群のエルフなのに、中身がとんでもないおばさんという実態はエンリケをしても耐え難いらしく、声にならない悲しみの声を上げた。
「あんたもあたしもエルフの中じゃ変わり者同士なんだ。今更いう事じゃないね」
「はいはい…」
何を言っても響かないと諦めたエンリケは、フィオナを放置して話を進める事にする。
「じゃ、封印解くからちょっと待ってて」
エンリケはそう言うと、胸元から何やら十字架のペンダントのようなものを取り出し、封印の透明な壁に押し付けると魔力を流しながら何かを唱えた。
一瞬まばゆい光を発した洞窟の入り口に視線を向けたエンリケは
「もういいわよ」
と言いながら自身も洞窟の中へ移動を始めた。
すると、先ほどまで進行を遮っていた何かは既に無くなったようで、エンリケは問題なく歩を進める事が出来た。
「ほら、みんなも急いでこっちに来て!」
エンリケに促されるように他の面々も洞窟の中へ移動し、全員が中へ入ってしまうと、
「ここの封印は暫くすると自動再生されるの。みててご覧なさい。すぐに元に戻るから」
そう言って、今通ってきた洞窟の入り口を指し示した。
すると間もなく、薄い膜のようなものが突然入り口を覆うように広がり、入り口をふさいでしまうと透明になって見えなくなった。
「この下の辺りにそういう魔道具が組み込まれているらしいわ」
同行者に簡単に封印の仕組みを説明をすると、「目的地はこの先よ」と言ってエンリケは奥へと進む。
「この封印は外からの侵入を防ぐためだけのもので、中からは普通に出られるし、その際は封印にもこれと言った影響も出ないわ」
目的地へ向かう道すがら、帰りの事もちゃんと説明する辺り、エンリケは出来る男のようであった。
もっとも、純粋な男かどうかは疑問の余地が残るのであるが…。
洞窟の入り口から80ペテル(約64m)程進むと、そこは広い空間が広がっており、その中央に大きな魔法陣が描いてあった。
「これが転移魔法陣。魔力を込めれば、自動的に発動して聖なる森の魔法陣に着くわよ。帰りも同じように、向こうの魔法陣に魔力を込めれば、こちらに自動で転送されるわ。ただし、この人数だと結構魔力喰われるから注意してね」
「魔力はどれぐらい込めればいいの?」
エンリケのその言葉にエルミアがどの程度の魔力が必要なのか尋ねる。
「正確には分からないけど、エルミアちゃんの魔力はギリギリかもね。たぶん、フィオナはまだ少し余裕があると思うけど、それでもあんまり残らないと思うわ。」
「えっ!?そんなに??」
「あなたたち2人がいるから、何とか往復できるのよ?まぁ、そのイオンって子?その子の魔力も結構ありそうだから、保険はあるというところかしら」
思わず聞き返すほどべらぼうな魔力が必要と聞かされ、先行きに不安を覚えるエルミアだが、ここまで来て躊躇することも無いと覚悟を決めた。
「母さん、取りあえず、行きは私が魔力を込めるから、帰りは頼んだわよ!」
「おう、任せとくれ!」
ニヤリと笑みを浮かべたフィオナが魔法陣の上に乗る。他の面々も、各々魔法陣の中に入ると、最後はアリスが諦めた表情を浮かべてその中に加わった。
アリスの指にはそれまで身に着けていなかった小さな指輪が嵌められていたが、誰もその事には気づかなかった。
全員が魔法陣の中に入ったことを確認したエルミアは、その魔力を魔法陣へと注ぎ込む。
魔力を注入された魔法陣は独特の光を放ち始め、その機能を働かせ始めた時、見送りにエンリケから声がかかる。
「初めての人は酔うから、頑張ってね」
「「「酔う??」」」
エンリケの言葉にモリーユの冒険者3人組は頭にクエスチョンマークを浮かべたが、既にその言葉の意味することを確かめる時間は残っていなかった。
「私が協力できるのはここまでだから。ちゃんと帰ってくるのよ。気を付けて行ってらっしゃい」
そうエンリケが声をかけるのとほぼ同時に、6人と1匹の姿はその場から消え失せた。
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フィオナ達を見送り、洞窟の外へ出てきたエンリケは軽く伸びをすると、
「やれやれ、無事に帰ってくればいいけど…まぁ、取りあえず帰ってひと眠りかしら。あとは、フィオナに頼まれたあれの対応ね。何だか、忙しい事…」
少し眠気でボーっとする頭を振りながら、今日の予定を確かめる。
まだ、フィオナには大事な要件を頼まれていたのだった。
その時…
「エンリケ」
「ひっ!?誰よ、急に声掛けたらビックリ…族長!?」
不意に声を掛けられ、心臓が止まるかと思ったエンリケが悪態を吐きながら声の主へ眼を向けると、そこにいたのは、トゥーヤ氏族の族長、ダイタロスであった。
ダイタロスの顔を見た瞬間、エンリケは人生で初めて、自らの顔から血の気が引く音を聞いた。
「早いな、エンリケ。こんな所で何をしている」
「えっ!?あ!、いえ…ちょっと、朝の準備運動を…今日は、狩りにでも行こうかと思いまして…」
一瞬、何を聞かれたのか、言葉がうまく脳に伝達できなかったが、何とか無難に返答を返したエンリケ。
だが、ダイタロスの目には不信の光が宿り、更にエンリケを追い詰めていく。
「ほう、ずいぶんと熱心ではないか。こんなに早い時間にお前の姿を見ることなど、ついぞ無いがな」
「あら、いやだ、族長。私もエルフの端くれですから、狩りぐらいしますし、単に族長とは会わないからご存じないだけではないですか?」
まだ日も差してもいないのに、滝のように汗が出てくる。
今、エンリケは自分の人生で最高に頭を働かせ、何とかこの窮地を脱しようと奮闘したが、その甲斐は無かった。
「そうか?だが、こんな時間にこんな場所にお前がいるのは解せんな。ここは用もないのに立ち入る場所でもあるまい?」
「それは、その…」
「少し話を聞く必要があるようだ。ついて来い。話はそれからだ」
「…はい」
有無を言わせぬ族長の言葉に、エンリケの抵抗は無残に打ち砕かれた。
(フィオナ、ごめんなさい。約束、果たせないかも!)
エンリケはこの後に待ち受ける地獄を思い、項垂れて族長の後に続いた。
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転移が終わり視界が切り替わると、先程までいた洞窟とはまるで違う風景が目の前に広がっていた。
目の前に現れたその巨木は、枝葉をを大きく広げてその威容を誇るかのようであった。
初めて見る世界樹の姿に、皆、言葉を失ったかのようにただ見つめるだけであったが、数名が次第に身体の変調に気づき始めた。
「…あいたたた…頭が…」
「ちょっと吐きそうなんですけど…ウェップ」
「もう、なんか、立ってられない。目が回る…」
フォーリーブスの面々が何某かの変調を訴える中、エルミア、フィオナは何とか表情をゆがめる程度の頭痛で治まった。
「これ、絶対、魔法陣に書かれて魔法式に間違いがあるでしょう!おかしいのよ、こんな体に変調きたすなんて!!」
比較的早く立ち直ったエルミアは悪態を吐いて魔法陣の質に文句を垂れる。
そんな娘の悪態を聞きながら何気にアリスに目をやったフィオナは、
「アリスちゃん!!」
そう叫んでアリスに駆け寄った。
見れば、アリスは気を失って地面に倒れこんでおり、その傍らには黒猫も倒れ伏していた。
異変に気付いたエルミアもアリスと叫びながら走り寄ってきたが、アリスはピクリとも動かなった。
身動き一つしないアリスとタロの様子から、何か重大な不調をきたしたかとフィオナとエルミアが回復魔法を唱えようとした時、ピクリとアリスの指が動いた。
「アリス!!」
再びエルミアが呼びかけると、薄っすらと瞼を開けたアリスが困惑の表情でゆっくりと体を起こした。
傍に倒れ伏していたタロも意識を取り戻したのか、体を起こして伸びをしていた。
「アリス!あなた、大丈夫なの!?」
エルミアの再びの問いかけに頭を軽く振ったアリスは、けげんな表情で暫し沈黙したが、徐にエルミアにその面を向けると、
「あ、大丈夫です。ちょっと予想と違っていたので少し困惑しましたが…もう、大丈夫です」
そう言っていつもの笑顔を浮かべた。
「ちょっと、ホントに大丈夫なの?」
アリスの様子に不安げな表情で問いかけるエルミアであったが、目を覚ましてからのアリスにいつもと変わったところは無く、ようやくに安堵の吐息を漏らした。
一方のアリスは、近くにエルミアとフィオナがいるため、念話でタロに疑問を投げかける。
《タロ様!何だか前回よりもひどかったんですけど!この指輪嵌めていれば軽減されるんじゃないんですか?》
《いや、そのはずなんだけど、なんで??》
《はぁ~、まったく、肝心な時に役に立たない男って嫌われますよ?》
《えっ!?それ、俺のせいなの!?》
皆には聞こえないところで主人をディする従者の発言が過激さを増す横で、フィオナは他の3名の若者に言葉をかける。
「この不調はどっちかと言うと魔力酔いに近い感じだけどねぇ~。あ、あんた達、少しじっとしていれば治まるから。そのまま横になってな!」
その言葉を聞いたフォーリーブスの3人は大人しく回復を待つが、既に立ち直ったフィオナはこの後の工程を確認しているようだった。
しばらく時間が経つと、体に起きていた変調も治まり、皆、ようやく人心地がついたのである。
「あー、えらい目に遭った。帰りもあれかと思うとゲンナリしますが、仕方ないですね」
クラークが誰にともなくそう言うと、他の面々もその言葉に激しく同意した。
とは言え、7,000キュロス距離を飛び越えて、今、アリスたちの目の前には世界樹がその雄大な姿を見せつけているのである。
「みんな、ここからが本番だよ」
フィオナはそう言うと世界樹に向けて歩き出した。
他のメンバーもそれに合わせて歩みを始めたが、未だその難行は始まったばかりだった。