第九話「聖なる森へ」
ズルリ…ズルリ……ズルリ
日の落ちたその場所に、何か重いものを引きずる様な不気味な音が響いていた。
その大樹の木陰は昼間でさえも薄暗く、まして夜ともなれば辺りは漆黒に包まれる。
しばらくしてその引きずる音が止むと、程なくして別の音が響きだした。
パキッ!
パキキッ!
バキャッ!!
バキッ!
何かを剝ぎ取るような、折る様な、そんな不気味な音はしばらく続いたが、唐突に治まると再び何かを引きづるような音と共に、音の根源はいずこかへ消え去っていった。
夜の静寂が辺りを覆うかと思われたその時、ボソリと誰かの言葉が暗闇に零れる。
「…もう、間もなくだ…今度こそ…クククッ…」
抑えた笑いを残してすべての気配がその場から消え失せると、辺りを真の静寂が支配した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「え~っ…大変不本意ではありますが、明日、聖なる森へ向かう事になりました…まったく、もう!!」
結局、最終的に1人で乗り込むと言い出したフィオナを宥めすかし、エルミアが折れる形で話は収まった。
話が終わると、フィオナは野暮用があると言い置いて家を出て行ってしまったが、残された面々はその複雑な心境を面に滲ませていた。
エルミアはあからさまに渋い顔をしていたし、男二人組も不安げな表情を隠そうともしなかった。
アリスは特に思い悩む材料もないためいつも通りであったが、ふとイオンへ目を向けると、不思議な表情をしていた。
何かを期待するような、それでいて不安げな、その胸の内に去来する数多の感情が入り乱れている、そんな表情で暫し茫然と佇んでいた。
「イオン、ごめんな。変なことになっちゃって…」
唐突にラルフに声をかけられたイオンは一瞬ビクッと体を強張らせたが、何事もないかのようにいつもの勝気な表情を浮かべると、
「大丈夫です、ラルフさん!何かあっても、私の魔法で蹴散らしてやります!」
そう言って、フンすと胸を張って見せた。
「あ、隠密行動だからお手柔らかにね~…」
イオンの返しに冷や汗を浮かべながらラルフは注意を与えて深くため息を吐いた。
一連のやり取りをアリスの肩口で見ていたタロはちょっとした疑問を口にする。
『なぁ、アリス。』
「何ですか?タロ様」
『あのモリーユの冒険者グループ、クラークの影が猛烈に薄いと思うんだが、うまくやれてるのかね?』
そう問われたアリスは、一瞬、主に視線を移したが、直ぐに目の前の3人組に視線を戻すと、
「フォーリーブスですよ。タロ様」
と言った。
『何??』
「フォーリーブス、というのが彼らのグループ名らしいです。」
はじめて聞いた3人組のグループ名に『へー』っと特に感慨もない返事をタロは返したが、次のアリスの言葉に激しく反応した。
「で、リーダーはクラークさんだそうです。」
『えっ!エッ!?ゲホホッ!…まぢで?!?』
「タロ様。驚きすぎて、言葉遣いがタロ様が嫌いな若者風になっていますよ。」
『なんだ、若者風って!?あ、いや、…コホン…そんな事はどうでもいい!見た目リーダーって感じしないし、かなり意外なんだが・・・』
びっくりしすぎて咳き込んだ挙句、思わず口調が変わってしまったタロは、軽く咳ばらいをすると素直な感想を述べた。
「失礼ですよ、タロ様。人を見た目で判断するなんて。見た目と能力が必ずしも一致しない事もザラだって分かってるでしょうに。クラークさんには、見た目では計り知れない能力があるのかもしれないじゃないですか。」
『…それはそうなんだが…』
アリスはここ数日でそれなりに3人組の情報は仕入れていたようで、その時にグループ名とクラークがリーダーという話を仕入れてきたようだった。
「2人ともまだ若い男の子ですが見た目と年齢で舐められる事が多いので、老け顔のクラークさんがリーダーの方がいいだろうという事だとか。」
『…それ、あんまり、能力関係ないよね?』
「そうとも言えますね。でも老け顔も持って生まれた個性ですからね。」
『…アリス。なんでも個性って言えばいいというものでもないんだぞ…さすがにクラークが不憫すぎるな。』
タロはこの時、クラークを応援することを心に誓った。
タロがそんなどうでもいい事を心に誓っている横で、アリスはエルミアにある事を確かめていた。
「聖なる森までどうやって行くかって言うこと?」
「そうです。普通に馬車で走っても結構な日数かかりますよね?それに、道中で他のエルフに見つかったら…」
アリスの言うことはもっともな事で、ただでさえ人間がいる段階で警戒度が上がるのに、周りに知られずに聖なる森に侵入するなど無理筋もいいところである。
エルミアはその事もフィオナに訴えかけていたが、不敵な笑みを浮かべた母親は、
「大丈夫、大船に乗った気で待ってな」
と大風呂敷を広げていたとのこと。
「どうするつもりなんでしょうね?」
「なんだか、明日の朝に出て夜には戻ってこれるみたいな事をぼそぼそ呟いていたけど、何のことだかさっぱりね」
エルミアの言葉を聞いた黒猫主従は瞬時にある事に思い至り、目くばせを交わすと諦めたようにため息を吐いた。
「んっ?アリス、どうかしたの?」
「いえ、大したことは。少し旅の疲れが出たのかもしれませんね。少し部屋で休んでいます。」
そう曖昧に返事を返すと、自分に宛がわれた部屋へと引っ込んだ。
先ほどのエルミアの言葉から、この後の展開が凡そつかめたタロとアリスは部屋に入るや先ほどまでの話を反芻する。
『あれ、まだ使えるのか?』
「まぁ、使えなくなると色々不都合が出るでしょうから、使えるんじゃないですか?…でも、あれ、質が悪すぎて、猛烈に酔うんですけど…」
『俺だって同じだよ。それに、おいそれと使える方法じゃないんだが、フィオナはどうするつもりかね?』
いずれにしても、フィオナが戻らなければ、実際にどう行動するのかは確認のしようもないが、おそらく自分たちの想像を裏切らないであろう確信がある主従は、明日の事を思いやって暗澹たる気持ちになった。
フィオナが戻ったのは日が落ちてしばらく経ってからからだった。
「母さん!遅いじゃない!もう、夕飯は勝手に済ませたわよ」
そう言いながら母親に視線を向けると、戻ってきたのはフィオナだけではなく、誰か連れがいるようであった。
「悪かったね。こっちもちょっといろいろと準備に手間取ってね。でも、これで明日、目的地に向かう算段がついたよ。」
そう言ってドヤ顔を見せた母親に、はいはいと返事を返しながら連れの人物を見たエルミアは、そこに顔見知りがいる事に気づいた。
「あれ?エンリケさんなの?」
エルミアにそう呼ばれたエルフの男性は困ったような笑みを浮かべたが、
「エルミアちゃん、お久しぶり。何年振りかしらね。あなたも元気そうでよかったわ。」
と言葉を返した。
そして辺りを見回したエンリケは、その場にエルミアを除いて4名の見知らぬ男女がいる事に「誰?」っと訝しげな表情を浮かべると、
「ちょっと、フィオナ。まさかとは思うけど、この子たちも一緒にとか言わないわよね?」
と問いただした。
「ここにいる全員で向かうよ。」
さも当たり前と返す目の前の女性を驚愕の表情で見たエンリケのその面には、様々な押し殺した感情が浮かび上がったが、最終的には諦観の表情を浮かべ「分かったわ」と一言告げた。
「何だか分からないけど、たぶん、母さんが悪いと思うので謝ります。スミマセン、エンリケさん」
「エルミアちゃんが謝る事じゃないのよ。この性悪が全ての根源なんだから、仕方ないのよ」
そう苦笑で返すエンリケに、エルミアはスミマセンと何度も頭を下げた。
「そろそろいいかい?」
そんなエルミアとエンリケのやり取りのそもそもの原因たるフィオナは悪びれた風も見せず、その場にいる面々に次のように告げた。
「聖なる森への移動には、封印された転移陣を使う」