第因話「闇との遭遇」
タイトル変更しました。
昔、三好郡の井内谷という所には大蟒蛇が住んでいると言われていた。
ある日、木樵が木を切っていたら、旅人が大蟒蛇に襲われているところを見つけた。 どうすることもできないので、木に登って様子を見ていたが、旅人は大蟒蛇に飲み込まれてしまった。
旅人を飲み込んだ大蟒蛇は腹がふくれて苦しいくなり、何やら黄色い草を食べ始めた。 すると、大蟒蛇の腹がへっこみ、大蟒蛇はスッキリして草むらに帰って行った。木樵はその黄色い草をひとつかみ持って村に帰り、その出来事を村人に話して聞かせた。が、その草のことだけは誰にも話さなかった。
まあ命拾いしたお祝でもしようかと、その夜村人は木樵の家に集まった。そこで村の一番の金持ちから「いっぺんに5杯ソバを食えたら田畑を一反やろう」と持ちかけられた。あの草のことを思い出した木樵は、自信たっぷりで挑戦したが、どうしても4杯目が食べられない。そこで一度便所に行き、こっそりあの黄色い草を食べた。
だが、いつまでたっても木樵は戻ってこない。心配した村人が便所に行ってみると、木樵の着物だけ残っていて姿は消えていた。その黄色い草は、食べたものを溶かすのではなく、人間を溶かす草だったのである。
※大蟒蛇=大蛇
(阿波国の民話)
それはほんの些細なきっかけだった。いや、些細では無かったが、意図しないきっかけだった。
その日、タロとアリスの黒猫主従の姿は【ティラーナ聖王国】の聖王都【メルダース】にあった。
アルタニス大陸の中で最も広大な領地を有し最も長い歴史を持つこの国は、その始祖の妃が一柱の神であった事から「聖王国」を名乗る事を許されたとされている。
そんな国の聖王都におかしな二人組がいたのは、新し物好きのタロが物見遊山で行く事にしたからであった。
【ティラーナ聖王国】は名実ともにアルタニス大陸の中心的な役割を果たしており、それは流行や文化においても変わらなかった。
「流行はメルダースから」という言葉が示すように、このメルダースで流行ったモノは数年のうちには大陸全土に浸透している、という状態だった。
そんな流行をいち早くキャッチしようとするタロは、数年毎にこの地を訪れ、新しい文物に触れるのを楽しみにしていた。元神とは思えない、全くのミーハーである。
『…おい』
「何ですか、タロ様?」
『今、失礼なナレーションが流れた気がするが?』
「何のお話ですか?」
自らの従者に不信の眼を向けつつも、久々の聖王都散策にワクワクの止まらないタロは、
『…まぁいい。今日のところは勘弁してやる』
などと三下ばりのセリフを吐いた後、嬉々として多くの店の立ち並ぶ界隈に駆け込んで行った。
後に残されたアリスは軽くため息を吐くと、
「「好奇心猫を殺す」と言う言葉を教えてくれたのは貴方じゃ無いですか〜・・・」
と言いながら、タロの後を追った。
聖王都メルダースは、他の都市と同じく周りを城壁で囲まれた城塞都市である。
街の北部の小高い丘の上に王城がある造りで、それを囲む楕円状に貴族街が形成されており、その貴族街と聖王都市内を隔てるように第二の城壁が設けられていた。
つまり、このメルダースは城壁都市の中にもう一つの城壁都市がある特殊な構造となっていた。
この貴族街だけでも、地方の小都市程度の規模を誇った。
王城の北側は切り立った崖になっており、またその下に巨大な穴が口を開けているため、仮に他国から攻められても、この北側からの攻略は事実上不可能であった。
この虚空の入り口は横が約11キュロス(約8.8km)、縦も約2キュロス(約1.6km)近くもある長大なもので俗に「奈落」と呼ばれていたが、その先がどれほど深く、そして何処へ続いているかは一般市民には知らされていなかった。
しかし、一説には地下にあるとされる魔の国に繋がっており、地上を征服する為に日夜ここから這い出そうと試みているが、それを抑える為に一柱の女神がこの地に降臨したと伝えられていた。
そして、その女神と一人の人族の青年が恋に落ち、後に聖王国を建国したとされていた。
その為、聖王家とその係累の女性には特別な力を持つ者が必ずおり、その力で代々「奈落」の封印を行なっていると言われていた。
この話は広くアルタニス大陸全土に広がっており、そんな得体のしれない虚空に近づきたいと思う軍隊など存在しないため、事実上、聖王都の北側は鉄壁と言えた。
王城の南側には聖王都の中心街が広がっていたが、そこは他国の都市には見られない緻密に計算された区画がならんでいた。
街の中心には聖王都中央教会の建物と冒険者ギルドの建物が並立しており、そこから放射線状に八本の大通りが伸びていた。
東西南北に走る四本の通りがメインの大通りで、東西南の三本の通りの先にある城壁に外界と市街を繋ぐ正門があった。
また、北の大通りは王城・貴族街へと向かっていた。
街の正門として南・西・東の3つの門が開設してあるが、特に南門からの通りに関しては、途中に教会と冒険者ギルドがあるとは言え、正門から王城へは一本道であった。
もっとも、正門から王城までは実に12キュロス(約9.6km)程の距離があり、それだけでも都市の巨大さが伺われた。
メインの大通りの道幅は60ペテル(約48m)もあり、その全ては石畳で舗装されていた。
また、この大通りに関しては、馬車や馬の走る区画と人が歩く区画は分けられていた。
そのため、人馬が歩く区画は使用する石畳の形状を変える事で区画の区別が視覚的にも分かるようになっていたし、区画の境目には一定距離ごとに街路樹が植樹がされて、より明確に区画の線引きを行っていた。
通り沿いには店舗も軒を連ねていたが、街路樹の間にも多くの屋台が出店し、道行く人々の五感を楽しませた。
メインの大通り以外の四本の通りも基本的な構造は同じであったが、その幅が半分の30ペテル(約24m)となっている事から、メイン通りのように人馬の区画分けは行われていなかった。
聖王都の中心から走るその8本の大通り周辺はこの都市の繁華街であり、目抜き通りには様々な店が立ち並んで多くの客が行き交っていた。
通りによって分けられた区画はそれぞれに店の種類が異なり、飲食店街や食材を扱う店が立ち並ぶ界隈もあれば、ファッション関係の店が軒を連ねる区画もあった。
市街を走る八本の大通りを繋ぐ横道については、ある程度の広さを持った横道が数本づつ用意されていたが、細い路地に至っては誰もその全てを把握できないぐらい無数に存在し、ちょっと外れた小さな通りに入れば、また表の通りとは違う表情を見せた。
メルダースのその中心街で扱われているものは衣服や食料品などの生活必需品のみでは無く、十六国連邦のある地方で作られる有名なジノリの陶器や、獣王国から輸入されている稀少な竜涎香など、日常品から高級品までありとあらゆる物がそこでは商われた。
竜涎香などは僅か30gが金貨一枚もする超高級品だった。
当然、奴隷商人等も店を構えていたが、その場所は外壁近くのあまり一般人の立ち入る事のない区画であり、近くには貧民窟などもあるようないかがわしい場所であった。
タロが駆け込んだ区画は雑貨やインテリアを扱う店が多く立ち並ぶ界隈で、タロはそこに立ち寄る度に、見た事も無い道具を興味深そうに眺めたり、店先でデモンストレーションしている店員の口上に耳を傾けた。
特に興味を惹かれたものはアリスに言ってその細部を見せてもらった。
『こういう所に来ると時間を忘れるなぁ~』
一人ご満悦のご主人様を横目に、アリスは反対の通りに僅かにある書店を眺める。
『後で合流する事にして、アリスは書店へ行ってきていいんだぞ?』
アリスの様子を見ていたタロは、たまには従者を解放してやろうとそう言葉をかけるが、当のアリスはタロの言葉に首を横に振るとこう言った。
「私が付いてなかったら野良猫扱いされて箒で追い払われますよ?以前あった事を忘れましたか?」
アリスの言葉に、タロはそれまでウキウキしていた気持ちがどんよりと沈んでいくのが分かった。
『…嫌な事を思い出した。まったく、アレは酷い扱いだった…』
それはタロが初めてこの地を訪れた際、アリスとは別行動で店先を覗いていると、商品にイタズラしようとする野良猫と思われて店の店主や従業員から散々ばら箒で追い立てられたのである。
それ以降、タロの聖王都散策の折にはアリスが同行しているのであった。
「私は後で行きますから、まずはタロ様が充分にご堪能ください」
従者の優しい一言に『アリス〜』と感動の言葉を口にしていると、
「下手に高級品なんかにキズつけて弁償させられてはたまりませんから」
そう返す刀でバッサリ切られた。
『本物の猫扱い!?』
「万が一、何かを弁償する事になったら三味線の材料ですから、気をつけてくださいね?」
妖しい笑みを浮かべてそんな事を口走る従者に背筋を凍らせながら、タロが辺りに視線を泳がせていると、不意に何かを目の端の捉えた。
反射的にそちらに目を向けると、ひとりの男が路地裏からフラフラと歩き出てくるところだった。
『なんだ、あの男?足元がおぼつかない様子だな?…』
タロの呟きに、アリスもそちらを見やる。
「確かに、何だか様子が変ですね?」
黒猫主従がそちらを見ていると、件の男は道行く一人の女性の前に立ち、女性に助けを求めた。
「た、助け…ゴポッ」
だが、その言葉を最後まで男が口にする事は出来なかった。
何故なら、男の輪郭が次第に崩れ、足元から次第に液体に変わり、ズブズブと溶け始めたからだった。
「きゃー!!ひ、人が…!!」
話しかけられた女性はその場に尻もちをつくと、そのまま後退った。
男がその場に倒れこむと、バシャーンと水がまき散らされるように男の姿は一気に赤黒い液体へと変わり消えた。
男が消えた場所ではシューシューと音を立ててその液体が蒸発を始めているようだった。
「な、なんだ!人が溶けた?!」
「だ、誰か、衛兵を呼んで!!」
近くでこの様子を見ていた男女が立て続けに声を上げる。
事の成り行きを見守っていたタロとアリスも目の前の出来事に一気に警戒心を高めた。
男が出てきた路地に注意を向けた主従は、何者かの気配を感じる。
「タロ様!」
アリスの問いかけにタロは端的に指示を与えた。
『行け!深追いはするな!』
「合流はどうします?」
『お前の匂いを辿って追う!』
「流石、変態黒猫の面目躍如ですね」
『やかましいわ!?早く行け!』
「はっ!」
こんな時ですら自身の主人を揶揄う事を忘れないアリスは、その場から姿を消すと通りから遠ざかる気配を追いながらその路地に飛び込んだ。
その場に残されたタロは軽くため息を吐くと、
『アリスの教育、誤ったかなぁ~…』
と言いながら、肩を落として男が倒れ込んだ辺りに近づいた。
辺りは騒然としており、男の痕跡が散らばった辺りを遠巻きに囲んだ人々でひしめき合っていた。
元男の液体は既にその大半が蒸発しており、僅かに残った痕跡もシューシューと音を立てて今も蒸発を続けている。
程なく数人の衛兵がやって来たが、その時は既に男が身につけていた衣服がそこに残っているだけだった。
衛兵はそこを取り巻いていた人々に何があったのかを聞いて回っていたが、分かっている事実は多く無かったため、遺留品である男の衣服を回収するとその場の市民達に解散を命じた。
その際、無用の混乱を避けるためと説明してこの場で見た事を口外しないよう指示した。
市民達も薄気味の悪い事件に関わりたく無いのか、口々に同意してその場を離れた。
一連のやり取りを人混みの陰から見ていたタロは、特に収穫もなくその場を後にしようとしたが、衛兵の言葉が耳に飛び込んで来た。
「これで三人目か…」
「そもそも被害者が誰だか分からんし、こんな風に死体が消えるんじゃ、ホントに三人だけなのかも怪しいけどな…」
「コラァ!そこー!!不謹慎な発言は慎まんかー!!」
「「も、申し訳ありません!!」」
衛兵の中の下っ端と思われる二人のやり取りを聞きとがめた隊長が雷を落とし、衛兵達はその場を後にした。
『この男以外にも被害者が?…』
予想外の衛兵の言葉を反芻しながら、タロはある事を思い出そうとしていた。
『人が溶けるっていう話、何か聞き覚えがあるんだがなぁ…』
暫し考えに沈んだタロだったが、その断片も思い出せない事から記憶の回廊から情報を引き出す事には早々に見切りをつけて、自らの従者の後を追うべくアリスの消えた路地に駆け込んだ。
アリスは注意深く走り去る何者かの後を追った。
タロが居ないために索敵魔法は使えず、足音と気配を頼りに驚異的な身体能力で逃走者を追うが、決して相手に気取られないよう細心の注意が必要だった。
その路地は人影もほとんどない狭い通路で、完全に建物の裏通りだった。
路地は所々に横道と不規則に折れ曲がる角があり、追跡は容易な事に思われなかったが、アリスは目標を見失う事なく追跡を続けた。
周りは高い建物が立ち並ぶ界隈で薄暗く、建物の陰には時折ネズミが徘徊していた。
どれほど走っただろうか。走り続けていたターゲットが不意に立ち止まった気配が感じ取られ、アリスも動きを止めた。
目の前の角の先に件の人物がいるのが分かったが、それとは別の気配も感じ取られた。
そこはいくつかの通りが重なり合う場所で、少しだけ広いスペースがあった。隅には複数の木箱がぞんざいに置かれていた。
辺りには人はおろかネズミさえその姿は認められなかった。
アリスはターゲット達のやり取りに注意深く耳を傾ける。ターゲットは二人、共に暗い色のフードを被っていたが、その声から両方とも男である事は分かった。
「厄介な事になったな」
「申し訳ありません。あの状態であそこまで動けるとは思いませんでした」
「ブルートルマリン様へどう報告したものか…」
「ブルートルマリン?…」
男達が口にした名前が知らずアリスの口から漏れる。
男達は顔を近づけ抑えた声音で話を続けており、「…計画への…対象が…」や「…既に選定が…報告の…」等、断片的にしか話が聞き取れなかった。
もっとよく話を聞き取ろうとアリスが一歩踏み出した時、
パキッ
と、何かを踏み砕く音がした。
「!!誰だ!?出てこい!!」
男達は話を止め、音のした角に視線を集める。
観念したアリスは悪びれた風も見せず、男達の前に姿を現した。
黒を基調としたフリルやリボンをあしらったメイド服を身に付けた銀髪の美少女がそこにはいた。
思いがけない人物の登場に言葉を失う男達。
その様子を見たアリスは、
「おや?私の美少女ぶりに見とれていますね?その調子で知ってる事を洗いざらい話してくれると助かるのですが?」
と、男達に話を振った。
事実、アリスの美しさに意識を奪われていた男達は、アリスの言葉で覚醒する。
「き、貴様!我々の話を聞いていたな!一体何者だ?!」
「私はアリス。旅の美少女占い師です」
「「…はっ??」」
男の一人が吠えるのを聞いたアリスが堂々と定型となった名乗りをあげると、男達はアリスの言葉の意味を理解できず、一様に固まった。
「人に名前を聞いたら、自分達も名乗るべきだと思いますよ」
アリスは妖しい笑みを浮かべてそう言うと、動きを止めた男達にゆっくりと近づいた。
いち早く我を取り戻した男達の片割れは、隠し持っていたナイフを構えると、
「き、貴様!ど、どこまで話を聞いていた!?」
と、内心の動揺を隠そうともせず、アリスを問いただした。
しかし、もう一人の男は幾分落ち着きを取り戻したらしく、
「慌てるな。相手はたかだか小娘一人だ。どうという事もない」
そう言いながら仲間を落ち着かせにかかった。
ナイフを持った男は仲間の言葉を聞くと深く息を吐いて、
「…そうですね」
と同意を示した。
改めてアリスに向き直った男達が再び何かを口にしようとした刹那、物陰から黒い塊が目の前の少女に向かって飛ぶのを見た。
一瞬何事かと警戒したが、それが少女の肩口に乗る黒猫だと分かるとやや安堵し、再びアリスに注意を向けた。
少女は黒猫に「早かったですね?」等と話しかけている様子だった。
少し興が削がれたが、改めて上役と思われる男がアリスを問いただした。
「さあ、お前が聞いた内容を話せ。場合によっては生きてこの場から抜け出せるかもしれんぞ?」
目の前のか弱そうな少女に対して嗜虐心が頭をもたげてきた男の声音には、次第に厭らしい響きが混じり始めた。
もう一人の男も自分の仲間が何を考えてるのか分かったらしく、次第に落ち着きを取り戻すと同時にクックっという下卑た笑い声をあげはじめた。
男達の様子からその心理状態を推し量ったアリスは軽く溜息をつくと、
「人を見かけで判断すると痛い目を見ますよ?」
そう言って指先に小さな魔法陣を作り出した。
それを見た男達はあからさまに動揺を見せた。
「な!?お、お前、ま、魔法をつかうのか?!?」
「な、なんなんだ、お前は!?」
慌ててその場から逃走を図ろうとする男達に、アリスは僅かに魔力を込めた魔法を放つ。
「サンダーボルト」
使い慣れた中級魔法が狙いを過たず男達を捉えると、標的となった男達は
「ぎゃん!」
「ぐわぁ!!」
等と呻きをあげてその場に倒れ伏した。
アリスの魔法で体の自由を奪われた男達は満足に身体を動かすこともできず、だが意識を刈り取られることもなく、ただうめき声を上げながらその場に横たわった。
「意外と脆いですね?そんなに魔力は込めていないんですが…」
男達の想定外の弱さにあきれながら、アリスは話ができる程度に回復魔法を男達にかける。
ある程度回復して体の自由を取り戻した男達は、既に抵抗する事も逃走する気力すら失い、その場に座り込んだ。
「とりあえずフードを外して顔を見せてください」
アリスのその言葉に抵抗することもなく、男達は素直にその素顔を晒した。
片方は壮年の、もう片方は二十代と思しき若者だったが、両方ともに頭髪を剃り上げたスキンヘッドだった。
「お、俺たちを、ど、どうするつもりだ!?」
若い男はその顔に恐怖を現して叫んだ。横に座る壮年の男は目を瞑ると黙して語らなかった。
「どうもしません。知っている事を話してくれさえすれば…」
アリスのその言葉に若い男は顔面を蒼白にさせ、壮年の男は腕を組んで口を引き結ぶと険しい表情を浮かべて黙り込んだ。
年若の男はアリスと隣に座る男の顔を忙しなく交互に見やると、アリスに話しかけた。
「俺達は何も知らん!そもそも、何の事を言ってるのか、さっぱり分からん!」
今更のように男はとぼけて見せたが、アリスが無言で魔法を放ち、隅に置いてあった木箱を破壊すると、震えながら下を向いて押し黙った。
「表の通りで人が溶けて無くなった件について聞きたいのです。お分かりですよね?」
アリスがそう言って黒い笑みを浮かべると、年若い男はガタガタと身体を震わせ、縋り付くように隣の男に身を寄せた。
壮年の男は閉じていた目を開けると、目の前のアリスを睨みつけ、
「何を聞いても無駄だ。我々は下っ端に過ぎん。大人しくこのまま我々を解放しろ。そうすれば、貴様も安全にここを離れられる」
そう告げた。
「…解放しない場合、どうなるのですか?」
アリスが面白そうに男の顔を覗き込みながら尋ねると、
「…こうなる」
壮年の男がニヤリと笑って言葉を発するのと、物陰から何かがアリスに向かって放たれたのはほぼ同時だった。
だが、アリスが素早く身を交わすと、飛んできた飛翔体は壮年の男の胸元に深々と突き刺さった。
「がはっ!!」
男は驚きの表情で自分の胸から生えているナイフを見ると、
「な、なんで俺を…」
そう言葉を残してその場に倒れ込んだ。
アリスはナイフを躱すと同時に飛んできた物陰へ駆け込んだが、その場を走り去る足音が遠くに聞こえるだけだった。
『今はいい。とりあえず、アイツらの知っている事を吐かせよう』
「かしこまりました」
タロの指示に素直に頷いたアリスが男達の元に戻ると、胸にナイフを突き立てられた男は既に絶命しており、シューシューという音をたてながら溶け始めていた。
若い男はその横でガタガタと震えていた。
『これは、どういう仕組みなんだ?』
既に男から抜け落ちていたナイフを拾い上げたアリスは、ナイフの刃に何かの液体のようなものが付着しているのを見つけた。
「これが原因なのでしょうか?」
アリスの言葉にタロもその液体を認めたが、
『正直、見ただけでは分からんな』
と自らの手で解析することは早々に諦めた。
原因はどうあれ、人を溶かすようなある種の毒薬である。
不用意に触ったり臭いをかいだりしても、それを特定できるとは思えないし、むしろ何らかの被害が出る可能性を考えると、目の前にいる男に話を聞いた方がよほどに安全で確実なのは明白だった。
先ほどのまで横にいた同僚の男が目の前で消えてしまった現実に、その若い男の顔面は既に青いの通り越して白くさえ見え、体は痙攣したように大きく震えていたが、やがて限界を超えたのか、意識を失いその場に倒れこんだ。
「…まぁ、仕方ないですね」
『…だな』
あまり時間をかけたくはなかったが、ただでさえ状況の変化に付いて行けていない男を更に追い込めば、簡単に正気を手放しそうな事は容易に想像できたので、一匹と一人は男が目を覚ますまで暫し待つことを選んだ。
もちろん、その間に消えてしまった男の痕跡や所持品も確認したが、特に目新しい発見は無かった。
暗い色をしたあまり衛生的とは言えないフードの他は大した持ち物もなく、後は身に着けていた衣類と幾ばくかの現金を所持しているだけのようだった。
『アリス、覚えていないか?上にいる頃に、人が溶ける話を何か聞いたような気がするんだが、今一つ曖昧で思い出せんのだが…』
タロはこの間に、先ほど感じた記憶の断片の発掘を試みようと従者にも尋ねてみるが、
「私は特に聞き覚えがありませんが…」
という残念な回答だった。
暫し黙考する自らの主の姿を見ていたアリスだが、
「やっぱりタロ様は期待を裏切りませんね」
と笑顔でタロに言葉をかけた。
思考の海に埋没していたアスタロトは従者の言葉で現実に引き戻されたが、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
『期待とはなんだ?』
そう返した主人の言葉を聞いたアリスは、一転、修羅の表情を浮かべると、
「そろそろ観念して自分がトラブル体質である事を自覚していただけますか?タロ様の自重無い行動が全てを引き寄せてるんですよ?」
と自身の主人に凄んで見せた。
何故にアリスの逆鱗に触れているのか理解できなかったが、今のアリスには逆らえないとただ頷くタロ。
「今日は、適当なところで切り上げたら、少しだけ本を見て、その後はレストラン:バーレスクに行く予定だったんですよ!」
『なっ!?ちょ!?おま!?…あそこ、とんでもなく高いんだぞ!』
アリスが口にしたレストラン:バーレスクとは、高級レストランが軒を連ねる聖王都のレストラン街の中でも一、二を争う超高級店で、1回の食事代が一般家庭の月の生活費と同程度と言われていた。
もちろん、出てくる料理はその金額にふさわしい価値のものが振舞われるのだが、特に鴨料理で有名な店であった。
『アリス。お前の食に対する探究心は見上げたものがあるが、モノには限度があると思うのだが?』
「お言葉ですが、タロ様。タロ様が夜な夜な男娼に貢いでいる金額に比べればあまり変わりはないかと思いますよ?」
『誰が男娼などを買うか!?そんな事実はない!前から言っているが、俺はお・ん・なは好きだが、野郎と何かをする趣味は無い。だいたい、今のこの身で何が出来る!?』
「やはり女好きは認めるんですね。この変態猫」
『いや、だからさ!ああ言えばこう言うな!?』
少しでも暇が出来るとこんな下らないやり取りを始めてしまう一匹と一人であるが、単なる主従ではなく、そういうやり取りが出来る関係でもあった。
そんないつものやり取りを続けていると、気を失っている男が意識を取り戻してきた。
「あれっ?…ここは…?俺は一体…!?」
今の状況をよく呑み込めなかったが、その瞳にアリスの姿をとらえた瞬間、今の置かれた状況を一気に思い出した。
慌ててその場所から走り去ろうとしたが、男は立ち上がる事が出来なかった。
自分の姿をよく見れば、いつの間にか足が縛られており、立ち上がることも困難な状況であった。
自分の現状を理解した男は畏怖の目を向けながらアリスに問いかけた。
「俺をどうするつもりだ!?」
「どうもしません。知ってる事を話してくれさえすれば逃がしてあげますよ」
アリスは可能な限り柔和な笑みを浮かべて男に話しかけたが、男は更に恐怖の表情を浮かべてガクガクと震え始めた。
こんなに美人の私が笑いかけているのに怖がられるなんて解せないとアリスは考えたが、表情を変えても効果がないと判断し素の表情に戻した。
男は真顔に戻ったアリスの顔を見ながら唾を飲み込むと、
「俺は下っ端で詳しいことは何も知らない。教えられることは何もない」
と答えて下を向いた。
その答えを聞いたアリスは少し考えたが、横からタロのアドバイスを受けて更に男を問い詰めた。
「そう多くは望みません。せめてあなたの組織の名前を教えてください。」
その言葉を聞いた男は絶望的な表情を浮かべ、
「…言えない」
とのみ答えた。
「まぁ、緘口令があるのは理解できます。ですが、よく考えてください。あなたのお仲間は死にました。恐らくあなたの組織の方が消した、という事になるんでしょう。そこで、あなたです。仮にこのままここから逃げて組織に戻って無事に済むと思いますか?今の流れで行くと、戻ったらあなた、口封じに殺されますよ?」
アリスのその言葉を聞いた男は更に表に絶望の色を強くしてアリスに顔を向けたが、再び下を向いた。
「もし私に協力してくれれば、あなたの逃亡を手助けしてもいいですよ。」
アリスのその言葉を聞いた男は苦悩を浮かべた表情でアリスを見た。
その逡巡する気持ちはその面にありありと浮かび上がっていた。
「あなた一人では逃げるのは難しいかもしれない。でも、私はご存じの通り魔法も使えます。恐らく、あなたが思っている以上に。あなたを安全な所迄逃がしてあげます。それが見返りです。」
アリスのその言葉を聞いた男は、観念してようやくにその重い口を開いた。
「組織の名は【闇ギルド】。その名を知っているものは関係者か協力者だけだ」
そう言って、その若い男は項垂れた。
「何故、誰もその組織を知らないと言い切れるのですか?」
男は何かが吹っ切れたのか、アリスの問いにも淀みなく答える。
「関係者や協力者以外でその存在に気付いたものは消されるからさ、間違いなくね」
そう言って力なく笑うと、
「ここで話した事が分かったら、俺も間違いなく消される。秘密保持は絶対的な掟だ」
と自嘲した。
男の様子を見ていたタロとアリスは目くばせをすると更に男に問いかけた。
「では、今の拠点の場所を教えてください」
「そんなもの聞いてどうする?」
「もちろん、行くんですよ」
アリスの答えに男は目を見開いて驚愕した。
「あんた、俺の話を聞いていたのか?関係ないものが組織の事を知ると消されるんだぞ!」
押し殺した声でアリスに言葉を返したが、当のアリスはそんなものには頓着せず、
「私は消されたりしないので大丈夫です」
そう言って涼しい顔をして見せた。
男は更に何かを言いつのろうとしたが、諦めた表情をその面に浮かべると、先ほどの約束は守ってくれよと言いながら、その場所をアリスに伝えた。
アリスは自分が戻るまでここにいてくださいね、と笑顔で男を近くの倉庫へ放り込んだが、逃げられないように手足を縛ることは忘れなかった。
男は既に逃走する気は失せていたが、抵抗しても意味は無いと悟ったのか、なすがままにされていた。
必ず戻ると言い置いたアリスと黒猫は、その小屋を後にし、先ほど聞き出した場所へと急いだ。




