第十一話「オネエチャン」
暗殺者の青年と黒猫が夢の中で邂逅した翌日。
団長のテントをあの聖職者が再び訪ねていた。
相変わらず人気を払い二人だけの密会だが、二人の様子は昨日と異なった。
「そうです。今朝でしたかな……あの大富豪を街で見ましたぞ?」
聖職者の方をチラリとも見ず、テントの家具に並べられた華美な装飾品を磨きながら団長は聖職者に暗殺の失敗を告げる。
「そんなバカな、あの悪趣味な聖母像には遅効性の魔法をかけたんだぞ!爆発の瞬間までバレるはずはない!」
大富豪と呼ばれるツェッペリンの暗殺は、旅の美少女占い師によって阻止された。
鑑定に来たと言われていた教会の者とはこの聖職者に他なかった。
「左様で?でも確かに……あの者は生きております。相当に運が良いか……手練れの魔法使いがいるかと……」
「魔法使いなど、そんな情報は無かった。そういえばあの不埒な男の側には貴様のところの団員がいるのではなかったか?貴様まさか……我が子可愛さで便宜を図ったのではあるまいな!」
聖職者は相変わらずこちらを見ない団長に苛立ちを覚え、事の原因を問いただす。
「元、団員でございます。クーリンは既に商品として売った身。助る理由はございません」
家族ともいえる団員を“商品”と言い切る団長に、聖職者は軽蔑の目線と共に冷静さを取り戻す。
「ではどうするのだ?」
団長はそれまで作業中にかこつけて背中で聖職者の話を聞いていたが、助けを求めてきた聖職者の言葉に口の端が上がる。
「あやつは今度、Esの企画するカードゲームに参加するという噂が……。武器の携帯もお付きの者も許さない真剣勝負の場所でございます……そこにウチの団員を紛れ込ませます……」
「しかし、この街の情婦……いや、女王の主催するゲームはそう簡単に参加できる者はいないと聞いておるぞ?」
「そこはぬかりございません。“エサ”はちゃんと用意してございます」
話の最中も団長は作業の手を止めることなく、また目線も合わせることもなかった。
「ぬかるなよ?次は無いぞ」
くぎを刺す様に聖職者は強めの言葉を放つ。
「次が無いのは貴方様も同じことでしょう?」
相手に余裕が消えたことを見計らい、ようやく団長は聖職者の方を振り返った。
その表情は明らかに立場が逆転したことを確信している。
「ご心配なく……必ずや」
舌打ちをしテントを出ていく聖職者の背中を眺めながら、団長はその姿が見えなくなるまで必死に込み上げてくる笑いをこらえていた。
「……フハハ……フハハハ……ファーッハッハッハッハー!」
テントの中にはついにこらえきれなかった団長の高笑いが響き渡る。
「ついにこの時が来たか!長年あの宗教家の手先に甘んじてきたワシだったが!ついに奴の泣き所を突き止めてやったわ!」
「不出とされるスクロールを無断で横流している情報をクーリンへ流し、あの強欲な男が中央に告発すると聖職者を脅させたのは全てこの時の為。ここで暗殺に成功すれば一生モノの貸しを作ることになる。たとえ暗殺が出来なくとも奴は私を頼らざる得ないのだ!替えの暗殺者などいくらでもおるしなぁ」
団長は興奮し異常に高鳴る心臓を治めるため、秘蔵の酒を震える手であおる。
飲み干しきれず口からこぼれる酒を手で拭い、最後は静かに笑った。
「もしも、あのグリモワールが運よく手に入ったとすれば……この街を支配することも夢ではないな……」
団長の目に不相応な野心の炎が宿った。
その頃、フーリンと黒猫はテントから少し離れた外に広場で芸の稽古を行っていた。
もちろん黒猫は何か芸を練習しているわけではなく、ただ何度も何度も同じことを繰り返す貧相な青年の近くで丸くなっていた。ちなみにフーリンも試しに黒猫に何か芸が出来ないか試みようとしたが、全力で威嚇しているのを見て早々に諦めた。
見世物小屋の公演は主に夜行われる。
昼間の団員はそれぞれの時間を過ごしている。
ゆっくり休息をとる者、新しい芸の研究に勤しむ者、街に出歩く者、ただじっと動かない者……。
開演の時間以外は特に拘束されていない。
フーリンは誰にも見られない場所で過ごすのが好きだった。
家族とも言える団員の皆は好きだったが、孤独が唯一自分を慰める場所だというのを理解していた。
そんな中、ふと稽古を中断したフーリンは汗を拭きながら茂みの方へ声を発した。
「いるん……だろ?オネエ……チャン」
黒猫は片目だけを開け、茂みの方をチラリと見た後すぐに目を閉じた。
茂みが風で微かに揺れたかと思った矢先、風のようにクーリンが姿を現した。
「フーリン……」
チャイナ服の女性は、恐る恐るフーリンへ近づき、そっと手に触れた。
「アナタニモ……ノロイノ……エイキョウガデテ……」
クーリンがツェッペリンに買われていった日までは、まだここまで影響が出ていなかったのだろう。
姉は残していってしまった弟への贖罪の様に手を握る。
「心配……しない……で、オネェチャン。もう……すぐ終わる……から」
「オワル?」
フーリンは姉にグリモワールの話をした。
その魔導書がEsの主催するゲームの勝者へ与えられる事。
そのゲームに参加するために“小人の頭”を預かっている事。
そして魔導書の力によって呪いに掛けられた仲間を元に戻せるかもしれない事。
「オネェチャン……を取り……戻すことも……」
弟の話を全て聞き、クーリンは静かに手を離した。
「ソレハダメ」
クーリンはそれまでの最愛の弟を見つめる目から一変し冷たい暗殺者の目に変わった。
「どう……して?仕事の中……にはオネェチャン……を買った男の……処理も含まれて……いるんだ。そう……すれば自由に……」
「ナカマヲスクウ“テ”ナラカナラズミツケル。ソシテアノオトコモコロシテハダメ」
必ず喜んでもらえると信じていた話を強く否定された弟は次第に表情へ影が落ちてくる。
「分からない……分からないよ……オネェチャン……どうして……」
「ダマサレテイル。ソンナチカラナンテ……ナイ」
クーリンはそこまで言うと、また風の様に消えてしまった。
後には叱られた子供のような青年が1人残されてままだった。
「なん……で……」
高く上った太陽は少しづつ水平線へ吸い込まれていく。
徐々に暗くなる風景は、青年の心を投影しているかの様でもあった。
フーリンは何かを一言二言呟くと、テントに戻ろうとした。
そして。
そこで黒猫がいなくなっていることに、初めて気が付いたのだった。