子犬殿下視点・第1話
物心つくときには僕の一等好きな女の子は決まっていた。シャルロッテ・グラシア公爵令嬢。ふんわりとしたミルクティー色の巻き毛に黒々と濡れた大きな瞳が愛らしい3歳年上のお姉さん。最初にどこを好きになったのかはもう覚えてない。ただいつも妹であるシルヴィア嬢を守ろうと踏ん張って兄上にお説教する姿が、小動物が一生懸命身を膨らませて威嚇してるみたいで可愛いと思った。ロッテ嬢はシルヴィア嬢が大好きなのだ。だから母上がダメ男に育てている兄上に一生懸命お説教をしている。シルヴィア嬢の負担が少しでも軽くなるように。そういう優しい所も大好きだ。お説教の内容もきっとそれが守れれば魅力的な理想の王子様になれるんだろうなあ…という教育内容だった。だから勿論僕は父上と母上に「シャルロッテ嬢と結婚したい!」と告げた。そうしたら父上も母上もすごく困った顔になった。「グラシア家からは既に、シルヴィア嬢をヴィクトルの嫁にもらうことになっておる。だから、シャルロッテ嬢は貰えぬよ。王族が一貴族にだけ肩入れすれば、大きな歪を産む。」と父上に言われた。僕は泣いて「王族なんてやだ!」と言って両親を困らせた。でもいくら泣いても結果は変わらなかった。あんまり激しく泣いて顔が浮腫んでしまい、他ならぬロッテ嬢に心配されたほどだ。心配してくれるロッテ嬢が優しくて、ますます激しく泣いてしまったけれど。兄上にロッテ嬢と結婚したいからシルヴィア嬢を諦めてくれとお願いしたが、「なぜ王太子である俺がお前に譲らねばならない?そんな馬鹿な真似するはずないだろう?」とせせら笑われた。「絶対におかしい!」と思った。兄上なんて大してシルヴィア嬢のことが好きでもないくせに、こんなダメ男に僕の恋が食い荒らされるという事実は許せそうになかった。
「泣いても変わらなかった結果を変えるのにはどうしたらいいか。」僕はその考えに執心するようになった。一番は兄上が死んでくれればいいが、「ちょっと消してくる。」みたいに容易いことではない。どう頑張っても人を消すのには証拠が残る。しかも今兄上を消せば最も怪しい容疑者は僕だ。「王位継承者候補」で「シャルロッテ嬢に執心している」僕が一番怪しい。すぐに証拠を掴まれて、御用だ。実際は王位継承権なんて欲しくもないけど、それを望むものは多いというし。兄上を消したら、兄上とシルヴィア嬢との結婚を望んでいないロッテ嬢には喜ばれるかもしれないが、僕が捕まったら、『僕が』ロッテ嬢と幸せになれない。僕はロッテ嬢のことも幸せにしたいけど、僕も幸せになりたいのだ。
兄上を消したいけど人を消そうとしたら証拠が残る。……この時閃いた。立場が逆だったら、例えば僕が最も王位継承に近しい立場で、兄上が僕を消したいなら。兄上が僕を消そうとした証拠は絶対に残る。ならば…今は無理でも、いつか逆転させて見せよう。僕と兄上の立場を。その上で生き残ってロッテ嬢を得よう。兄上が僕を消そうとした際、僕が消されないための布石は何が必要か、単純にまず手駒が必要だと思った。金で動かない、僕本人の魅力に心酔する手駒が。魅力を持つというのは難しいことだが、僕にはちょうどいいことにお手本があるのだから利用しない手はない。ロッテ嬢が兄上に発し続ける極上の説教が。
僕はロッテ嬢が兄上に一つ何か説教をされているのを見る度に「これは僕が言われているもの」と思って聞くようになった。僕は素直で丁寧な物腰の、優しく、時に苛烈な、他者を良く尊重し、その上で自分の意見をしっかりと述べられる、理想の王子様になった。手駒は一人、また一人、と増えていき、僕は手駒を兄上が用事を言いつけやすい位置につけた。「辛いだろうけど、きっと耐えられると信用している、いつか、きっと僕が変えてみせるから。」と噛んで言い含めて送りだし、間違っても兄上の悪口など叩かぬようにと教育した。「キミをそのポジションにつけるのは、未来への布石。他の者に代えられない第一歩だからだ。」と。使用人たちは、「今は苦しくとも、クリストファー様が変えてくれるのだ。クリストファー様が、理想通りの賢君が、偉大な王になられるのだ。」と期待を膨らませてよく伏兵していてくれた。
伏兵を増やす傍ら勉強にも精を出した。一つ熟すごとにロッテ嬢が最高の笑顔で褒めてくれるので、これは中々テンションの上がる作業だった。王位の交代には「兄上には到底越えられない壁があるレベルで優秀な僕」が絶対に必要不可欠だったので。これもロッテ嬢を得るため、と忍の一字でどんなきつい勉強にも励んだ。学ぶうちにロッテ嬢しかいなかった僕の器は少し広くなって、善良な国民のためにも…という気持ちも徐々に芽生えてきた。「良き王は良く民を愛す」とロッテ嬢が仰っていたが、今更ながらに実感できるようになってきた。国民のためにあれるよう、どうすれば良いか熱心に学んだ。教師も僕の熱意を感じ取って、痒いところまで手の届くような完璧な教育を施してくれた。僕はロッテ嬢を得るため王になる。なりたかったわけではないけど、僕にロッテ嬢を与えてくれるなら、ただ一つの望みを叶えてくれるなら、僕は善良な民にとって良き王になる。良く民を愛す王になってみせる。その反面、兄上には悪いけどとことん堕ちてもらいたいので母上の好きなようにさせておいた。母上は教育下手だ。愛情をすべて甘さに変換してしまう。躾をしないということも一種の虐待だとは思うけれど、僕は一切放置した。
ロッテ嬢がシルヴィア嬢に付き合って王妃教育を受けてくれているのも大変好都合だった。僕は王になる気でいるし、そうなれば僕が望むロッテ嬢には王妃になってもらわねばならないからだ。毎日のように王宮でロッテ嬢のお顔も見られるし、一石二鳥感も大きい。
そしてもう2つ必要なことがある。
1つ目はロッテ嬢の家族との信頼関係。僕は僕なりに真摯に向き合ってロッテ嬢のお父様やお母様、お兄様やシルヴィア嬢に接した。僕の恋心はオープンに透けているからみんな「報われない恋を持つ可哀想な好少年」として受け止めてくれた。何年も、何年もかけて信頼を勝ち取った。
2つ目は他ならぬロッテ嬢の恋心を射止めること。ここにきて誤算だが、ロッテ嬢は自分の理想通りの王子様を、素直で可愛い子犬と思っている節がある。確かに褒められればあからさまに喜び、子犬のようにじゃれつき、懐いた記憶があるので、ロッテ嬢を責めることはできないけれど。年も3つ年下で、ロッテ嬢には僕が弟のように見えているようなのだ。でも突然セクシャルな面を前面に出して迫るというのも、なんだか怯えられそうな気がする。ロッテ嬢は恋の経験はあまりなさそうだから。今はそっと牙を研いで、ここぞというときにがぶりとやるのが良いと思う。全身で慕ってくる子犬だと、安心できる弟だと思っていてもいい、今は。いつか僕から離れられないくらい馴染んだら、一気に牙を立ててあげるから。
自分を磨き、手駒を増やし、ロッテ嬢の一等近い位置に就く。