第5話
お久し振りにクリス様に会いに行った。
「ロッテ嬢。」
輝く笑顔を見せてくれる。城の庭の木の枝が良い具合なのでブランコを設置してみた。と言っていた。今日はそれに乗せてもらう約束なのだ。
「クリス様…」
やはりこの方の笑顔を見ると安堵してしまう。
クリス様に案内されてブランコの設置してある木まで行った。ブランコに座る。意外と安定感がある。
「枝が折れてしまわないかしら?」
「意外と丈夫みたいですよ。」
ぶらぶらと揺れて楽しむ。童心に返ったようで楽しい。
「ねえ、クリス様。」
「はい?」
「何を企んでいらっしゃるの?」
「秘密です。」
クリス様は微笑んだ。
「わたくしにも?」
「ロッテ嬢には余計に言えないようなことです。」
「……。」
信頼が得られていないってことなら悲しいんだけど。クリス様はそんな私の表情をじっくり眺めつつ、私の髪に触れ指先で毛先を弄んだ。
「ねえ、ロッテ嬢。僕はみんなが思うほど良い子じゃなかったようなのです。」
「?」
私の頬に手を触れ撫でる。な、なんかお顔が近いです。お可愛らしくも整ったお顔を近くに寄せられて、急にドキドキしてしまう。
「子犬だと思っていたら狼だった……なんて、よくある話でしょう?」
そっとクリス様に口付けられた。唇柔らかい…すごく熱い…触れるだけのキスだったけど、味わわれるみたいにじっくりと唇を合わせられて、思わず真っ赤になる。
「…奪っちゃった。」
クリス様はくすっと笑った。
―――……狼…っ!
こ、子犬だとしか思ってなかったのに…!
ファーストキスが…い、嫌じゃないけど…、嫌じゃないから困るというか…ど、どうしよう。凄いドキドキする。
「安心して甘やかしてくれるロッテ嬢も可愛らしくて、捨てがたくはありますが……もう弟は卒業させてくださいませんか?」
囁いて耳にキスする。動悸は激しくって、もうクリス様を弟だなんて全く思えそうにもなかった。この方は狼。一匹の捕食者。急に二人きりで庭にいるということが心細くなってしまった。恥ずかしくなってしまった。エメラルドの瞳から隠れたいのに、身を隠すものが何もない。私たちを隔てるものは何もなくって、今にも食べられてしまいそう…
「弟でない僕はお嫌いですか?」
嫌いかと言われると、そういうこともなくて…私は首を横に振る。
「ではお好き?」
うう……好き…なのかなあ…?ど、どうしよう…なんて言ったらいいんだろう。潤んだ瞳でクリス様を見つめる。クリス様はくすくす笑った。
「その答えを貰うのはまた今度にいたしましょう。」
ぽんぽんと優しく私の頭を撫でる。ズルい…3つも年下なのに、余裕で。私がクリス様に翻弄される日がこようとは。3つの時から知ってるのに、こんなクリス様知らない…
家に帰ってからもクリス様の表情を、言葉を、キスを思い出しては、悶々として身悶えた。
好き…なの…?でも、アホ王子がシルヴィと婚約している限りは、クリス様とは結ばれない。今更恋心なんて自覚させられても困る。ときめかされても困る。
***
クリス様は幼い、お可愛らしい殻を脱ぎ捨てて、日に日に安定した力強さを感じさせるようになり、クリス様を王位にという支持はますます強くなった。ヴィクトル様は激しい焦燥を感じるようになったようだ。ペティル様の傍にいないときは常時イライラとして、シルヴィにはよく当たり散らしている。臣下の一人が、ホレス陛下に「クリストファー殿下の戴冠はあり得るのですか?」と尋ねられてホレス陛下が「王子たちの言動次第だ。」と答えたことにより苛々はピーク。
クリス様は『何者か』に毒殺されかけた。食事を始めて30分くらいしたあたりで、クリス様の毒見役が苦しみ始めたので、即座に王宮にストックされていた解毒剤が与えられ、何とか回復した。何者が毒物を混入したのか、捜査が行われている。でも殆どの者には『クリストファー殿下を邪魔に思う存在』がピンときているのでなかなか言い出せずにいる。
乗馬訓練の際に突然クリス様の乗っている馬が暴れだし、落馬しかけたり。通りかかった練兵館の壁が急に崩れたり、と不穏な感じだ。
そしてついに事件が起こった。
遠乗りをしていたクリス様が消えたのだ。崖の上に何者かが争った跡があり、崖下には2頭の馬が落ちていた。周囲には血が飛び散り崖下の川に流れていた。川はそのまま滝壺へと続いていて、捜索はされたが、クリス様の生存は絶望視されている。
賢君の誕生を心待ちにしていた人々の嘆きは大きかった。
かくいう私もぽっかり胸に穴が開いてしまったようで…ずっとぼんやりしている。ふとした瞬間正気に返るとはらはら涙が出て止まらないのだ。
私がクリス様を好いていたという事実はもう疑いようがない。
好きだよ…クリス様。「答えを貰うのはまた今度にいたしましょう」とクリス様は仰ったけど「また今度」はもうないんだ。クリス様が笑いかけてくださることも、口説いてくださることも、キスしてくださることも、もうない。
クリス様がいったい何をしたというの!?クリス様を殺したヴィクトルを殺してしまいたい!!けれど、家族に迷惑がかかることはできない。でもヴィクトルは毎日ビッチの傍に侍り、幸せそうに笑っているという。許せない。けど私は、何もできない。家族に迷惑をかけることはできないから。苦しい。もう死んでしまいたい。クリス様のお傍に行きたい。
厨房からナイフを盗み出し、そっと自分の喉にナイフを突きつける。
「馬鹿なことはおよし。」
トリスタお兄様が部屋に入ってきて私を止めた。
「お兄様…何で…」
「ロッテが厨房からナイフを持ち出したと使用人が教えてくれたからね。みんなロッテを心配してるんだ。」
クリス様がお亡くなりになってから私が一人っきりになる機会は全くと言っていいほどなくなった。おはようからおやすみまでシルヴィが張り付いている。お風呂にまで一緒に入っている。みんなに心配をかけているのはわかっている。でも…でも…
「トリスタお兄様…苦しいのです…クリス様のいない世界は…」
「ロッテはクリストファー殿下の愛したロッテを殺してしまうつもりかい?クリストファー殿下に恨まれるよ?」
「クリス様はもう…」
お恨みになる身体すら無くされて…
「死んでいたとしても、生きていたとしても。僕だったら恨むね。フローレン自身がフローレンを殺すなんて。フローレンの命を奪ったフローレンを許さないよ。」
クリス様も私を恨むのだろうか。
「わたくしはどうしたらいいの?」
「ちゃんと食べてちゃんとお眠り。でないとクリストファー殿下も安心して眠れない。」
私はただ機械のように食べて、眠り、起きて、泣いてを繰り返した。