第3話
シルヴィの様子が変である。デビュタント以来、浮かれてみたり、沈んでみたり、気分の上下が激しい。まさかあのアホ王子がペティル嬢と3回踊ったことに衝撃を受けていたりするのだろうか。一応、仮にも婚約者だしなー。
「シルヴィ、デビュタントでのこと、気にしているの?」
「な、何のことですの!?ロッテお姉様!」
おねーちゃん秘密にされると悲しいです。
「お姉様には言えない?」
聞くと、シルヴィはもじもじし始めた。
「ロッテお姉様……誰にも仰らないでくださいましね。」
「ええ。」
「わ、わたくし、恋をしてしまったかもしれないのです…」
「え?」
シルヴィ曰く、デビュタントだというのにあまり愉快な気分になれず、無聊を囲っていると、一人の美青年が近づいてきたそうだ。シルヴィがヴィクトル様の婚約者だというのは知れ渡っており、何となく周囲の男性が未来の王妃に近寄りがたく思っていることはシルヴィもわかっていたので、その時は自分に接触してきた男性を「珍しいな。」と思って相手にしたらしい。男性は話し上手で、博識で、お優しく、お話しているうちにシルヴィはすっかりのぼせ上ってしまったらしい。二人でダンスを踊る段になってはもううっとり。でも自分にはヴィクトル様という婚約者がいるので、浮気などできようはずもない。恋い焦がれ、楽しかった思い出に思いを馳せてはうっとりとし、現実に直面してはがっかりしていたそうだ。なんと、可愛いシルヴィが知らぬ間に初恋してただなんて…
「して、その殿方は、どなたですの?」
「スターフィアの外交官でいらっしゃるエルヴィス・ポートアーツ様ですわ。」
「ほう!」
クリス様のお話でお名前が挙がっていた方だ。茶色い髪に茶色い瞳、という色彩は地味な方だが、お顔の造形は整っており、博識で、明るく、お優しい、好感の持てる方だ、とクリス様は仰っていた。クリス様はエルヴィス様にスターフィア語の本場の発音などを聞かせてもらってると聞く。
エルヴィス様はポートアーツ伯爵家の嫡子。スターフィアはレミッシュに比べるとやや小国であるが、金脈や銀脈などが新たに発見されていると聞く景気の良い国だ。
どう転がるかはわからないけれど、一度エルヴィス様にはお会いする必要があるな。
「シルヴィ、エルヴィス様に会いに行きましょう?」
「え?」
「クリス様はエルヴィス様にスターフィア語の本場の発音を教わっているそうよ。わたくしたちも聞かせてもらいましょう?」
シルヴィはぱっと顔を輝かせたが、すぐに表情が曇った。
「でもヴィクトル様というものがありながら…」
「やぁね。浮気しに行こうって言ってるわけじゃないのよ?本場の発音を聞かせてもらうだけ。わたくしもクリス様も同席するわ。」
シルヴィはそう言われると嬉しそうに微笑んだ。
私はすぐにクリス様にお手紙をしたためて送った。その日の夕方には返信が来た。驚くべき速さだ。クリス様曰く、エルヴィス様も私たちにお会いしても良いと仰ったとか。明日だと急なので、明後日、スターフィアの大使館で落ち合おうということになった。
もうシルヴィは大慌て。やれ肌の具合は大丈夫か、だの、何を着て行ったらいいのか、だの。もう夜だというのにファッションショーを始めそうになったので、「落ち着きなさい。」と叱って、準備は明日にさせた。
翌日こそ本当にファッションショーが開催されて、シルヴィに飛び切りよく似合う訪問用ドレスが選ばれた。手土産も忘れずに…と今流行のお店で焼き菓子を購入。自宅の料理人も中々の腕前なのだが、万が一突然怪死とかされた場合、自宅からのお菓子を差し入れにしていると疑われる場合があるので、差し入れなどは市販品がベストである。レミッシュの風習的に言うと、自宅にお招きした場合は逆に市販品をお出しすると失礼にあたる場合があるので、気をつけなくてはならないが。話題になるようなお店のものだと礼儀的にはぎりぎりセーフだから微妙なラインなんだけど。自宅のコックさんにカカオからチョコレートを作れ!とか命じるのもなんだし、そういう場合は有名チョコレート店のチョコを買ったりする。
二人でスターフィア国についての本を読んで軽くスターフィアについての勉強を復習した。
***
シルヴィは当日はしっかりと水色の袖のついた上品なドレスを身に纏った。髪は私がサイドの毛の三つ編みからのリボンハーフアップにして、髪の裾を鏝で巻いてあげた。私もお揃いの髪形にしたけど、私はクリーム色の上品な訪問ドレスを身に纏った。どこが気に入ってるって、動きやすくて汚れが目立たないところだけれど。実用重視。クリーム色って汚れが目立つんじゃ?って?菓子クズこぼしたりしたときは結構目立たないから重宝してるんだよ。クッキーとかビスケットとかね。二人とも侍女に綺麗にメイクアップされて馬車に乗り、スターフィア大使館へ行った。
中には駐在大使である、ハミルトン大使と、外交官であるエルヴィス様と、クリス様がまったりお茶を楽しみながら私たちの到着を待っていた。
「やあ、魅力的なレディたちの到着だね。」
ハミルトン大使は人の良さそうな顔に笑みを浮かべた。
『初めまして、エルヴィス様。お久し振りです、ハミルトン大使。クリス様。本日は本場のスターフィア語を聞かせていただきたく参上仕りました。シャルロッテ・グラシアと申します。』
丁寧にスターフィア語で挨拶する。
『お久し振りです、皆さま。同じく本場のスターフィア語をお聞かせ願いたく参上仕りました。シルヴィア・グラシアでございます。』
ハミルトン大使はうんうんと頷いた。
『そうだね。僕の口調は大分レミッシュの訛りが移ってしまってるから、エルヴィス君の喋り方を参考にするといいよ。彼は発音がきれいだからね。』
『恐れ多いことですが、私でよろしければお話し相手を務めさせていただきます。』
エルヴィス様は生真面目に頭を下げた。私は手土産のお菓子をお渡しして、勧められた席に着いた。
隣の席はクリス様だ。クリス様と反対側の隣がシルヴィでそのお隣がエルヴィス様。もうシルヴィとエルヴィス様は見ているこっちが熱くなりそうなほど、お互いにラブラブオーラを出している。のぼせ上ってるのはシルヴィの方だけなのかと思いきや、エルヴィス様も相当シルヴィに入れ込んでそうだ。
私は隣のクリス様に話しかけた。
『クリス様はスターフィア語はお得意?』
『得意というほどでもないですけれど、難しい話でなければできます。書く方も程々。中々ロッテ嬢たちのように6ヶ国語ぺらぺらとはいかないですね。僕はまだ4ヶ国語しか話せないです。』
それでもかなり優秀だと思うけど。
『クリス様は語学以外の部分にも力を入れてるから時間が取れないのでしょう?わたくしたちは帝王学も剣も学んでいませんもの。』
クリス様は第二王位継承者としてしっかり帝王学を学び、アホ王子以上の成果を上げていると聞く。
『それを言ったら僕だって刺繍なんて学んでないですよ。』
クリス様が笑った。つい先日、クリス様に刺繍入りのハンカチをプレゼントして、刺繍の出来にお褒めの言葉を頂いたばかりだったりする。
クリス様もなー…3歳の頃から一途に私を慕ってくれているし、アホ王子の弟でなければ私もアタックしてみたい、魅力的な殿方ではあるのだけれど。王族二人が二人ともグラシア家の娘を娶ったりしたら貴族間に歪が出来るから、クリス様は私の手の届かない人だ。アホ王子が急死してくれたら全てが丸く収まるんだけれど、その場合私が王妃になってしまう…王妃教育は受けているけれど、ガチで「王妃になれ!」って言われると怯むよね。よくシルヴィはその重圧に耐えてると思う。重圧、重責、愛のない政略結婚と…私だったらストレスで禿げそうだ。シルヴィ良い子。どうにかシルヴィが円満婚約解消できて、エルヴィス様に嫁ぐ道はないものか。やっぱり、普通にアホ王子に死んでもらいたい気はするけど。シルヴィのことを抜きにしたとしてもアホ王子は立場に胡坐をかきすぎて、全然学んでない。あれを王として戴くのは正直不安しかない。周囲の人材を優秀なので固めれば何とかなるのだろうか…?アホ王子はアホで我儘だから周囲の言うことをちゃんと聞かずに突っ走りそうな気がして怖い。レミッシュ滅亡したりしないかな?国家転覆怖いでござる!
『ロッテ嬢、今日の髪形可愛いですね。』
考え事に気を取られていたら、クリス様は私のことを見てくださっていたらしい。
『ふふっ。わたくしの自作なのですよ。三つ編みリボンハーフアップ。自分で結うのは少し難しかったですが、頑張りました。』
『凄く似合っています。かわいい…』
クリス様が頬を染めた。うう。一々反応してくれるクリス様が可愛いです!エルヴィス様とシルヴィは話が弾んでいるようだ。時々ハミルトン大使が二人に冗談を言って笑わせている。
和やかにお茶。
……してるところに闖入者が現れた。ヴィクトル様だ。片腕にペティル様をぶら下げている。
「おい。ハミルトン。ペティルが鉄の薔薇を見たがっている。ペティルに一つ贈れ。」
鉄の薔薇とは赤鉄鉱が薔薇の形状になっているものである。昔は割とコレクターが普通に持っていたらしいが、現在は結構希少な品である。
「希少なものなのでお譲りするわけにはいきません。お見せするだけなら構いませんが。」
アホ王子は堂々と舌打ちした。
「チッ。これだから小国は…」
「兄上。外交上差し障りのある発言は避けてください。スターフィアは国土は少なくても資源豊かな裕福なお国です。」
「鬱陶しいな。父上のようなことを言うのはよせ。クリストファー。誰に口をきいている。俺は未来のレミッシュ王だぞ。」
バカだと思うでしょう?バカなんだよ。恐ろしくなるほどの超ド級バカ。
「ヴィクトル様、未来の王なればこそ、慎重な発言を心掛けるべきです。『父上のようなことを言うのはよせ』と仰いましたが、ヴィクトル様が見習うべきは御父上であるホレス王でしょう。陛下の仰られるようなことをあえて進言してくれたことを感謝すべきです。」
勿論私も注意した。
「相変わらず蠅のように五月蠅い女だ。」
レディを蠅に喩えるのはどうなんでしょうねー。まあ、ずっと昔から口煩いこと言ってきた自覚はあるけど、一向に改善してくれないのはどなたでしょう?
「ねえ、ヴィクトル様、鉄の薔薇はぁ?」
ペティル様が甘えた声を出した。
ハミルトン大使が別室から丁寧に標本にされている鉄の薔薇をとってきてペティル様に見せた。
「わあ!きれい!薔薇の花びらみたいになってる!ペティルこれほしいなー。」
「ハミルトン。幾らなら売るんだ?」
「売る気はございません。」
ハミルトン様はきっぱりと言い切った。
「お前、誰に対して口を…」
「兄上、口を慎んでください。外交問題になったら、代わりのきく兄上の首程度では到底賄えないのですよ?」
ヴィクトル様は真っ赤になって怒った。
「クリストファー、お前…!」
「この国のだあれも、兄上がいなくなったって困ったりしないんですよ?ちゃあんと代打がいるんですから。」
バシッとヴィクトル様がクリス様の頬を打った。
「クリス様…!!」
殴られた勢いで椅子から転がり落ちたクリス様を慌てて庇う。
「不愉快だ。行くぞ、ペティル。」
ヴィクトル様がペティル様を連れて出て行った。
「クリス様。少しお言葉が過ぎたのではないですか。」
あんな攻撃的なことを言うクリス様初めて見た…
「いいのです。計画通りですから。」
大使館の従者が水で冷やした布を持ってきたので、それでクリス様の頬を冷やした。
「痛みますか?」
「少し…。でも大丈夫です。」
クリス様はにこりと笑った。
「ロッテ嬢もシルヴィア嬢も何も心配することはないのです。心安らかに落ちてきてください。」
落ちる?どこに?
首を捻るが、クリス様は笑うだけだった。