子犬殿下視点・第5話
ロッテ嬢を城に誘い出した。庭の木の枝がうまい具合に太いものが大きく張り出しているので、ブランコを設置してみたのだ。それに乗せてあげる約束だ。
「ロッテ嬢。」
ロッテ嬢が姿を現したので微笑んで迎えた。ああ、今日もお可愛らしい。小動物のような黒く濡れた瞳が堪らない。
「クリス様…」
ロッテ嬢は安心しきった瞳で僕を見ている。僕はそんなに安全な男ではないと思うのだけれどね。
ロッテ嬢を案内して、ブランコの設置してある木まで連れて行った。ロッテ嬢が喜んでブランコに座り、乗り心地を確かめている。
「枝が折れてしまわないかしら?」
「意外と丈夫みたいですよ。」
王宮で一番太った侍女が乗っても大丈夫だったし。ロッテ嬢は背が高い割に華奢だから、そんなに木の負担にはならないだろう。
ぶらぶらとブランコをこぐ。随分はしゃいでいる様子で、とてもお可愛らしい。しばらくブランコに乗って楽しみ、十分満喫すると、地に足をつけて、椅子のようにブランコにゆったりと座り込んだ。
「ねえ、クリス様。」
「はい?」
「何を企んでいらっしゃるの?」
「秘密です。」
微笑んだ。ハーレム内に入り込んで、演技中のトリスタ殿と文通しているので、何事か企んでいるのはわかっているようだ。
「わたくしにも?」
「ロッテ嬢には余計に言えないようなことです。」
僕が自分の命を餌にしていると知ったら、きっとロッテ嬢は何が何でも止めようとするし、そんなことをされたら計画が頓挫してしまう。僕はロッテ嬢を得るためにはロッテ嬢に秘密を持たねばならない。
「……。」
ご自分が僕の信頼を得られていないと思っているのだろうか、なんだか微妙そうな顔をしている。誰よりも僕の命を第一に考えてくれるだろうな…という意味では信頼してるけれど、今回の計画に当たっては、その感情を抑えられないことには打ち明けられないのだ。というか僕のことを素直で純真な子犬と思っているロッテ嬢は、僕がこんなにも汚い計略を練っているとは夢にも思っていないのだろう。ロッテ嬢は僕が実は子犬ではないと知ったらどんな顔を見せてくれるだろう。それを知るのは恐ろしくもあり、楽しみでもある。ロッテ嬢の表情をつぶさに観察しつつ、ロッテ嬢の髪に触れ、指先で毛先を弄んだ。
「ねえ、ロッテ嬢。僕はみんなが思うほど良い子じゃなかったようなのです。」
「?」
ロッテ嬢の柔らかく、滑らかな頬を掌で撫でる。なんて愛おしい手触り。そっと顔を近づける。
ねえ、ロッテ嬢。逃げるなら今しかないですよ?僕は今、隠していた牙をあなたに突き立てようとしているのだから。
ふふ。ドキドキした顔をされている。かわいい。逃げないなら噛みついてしまうことにしましょう。
「子犬だと思っていたら狼だった……なんて、よくある話でしょう?」
最後まで逃げる隙を与えつつゆっくりとロッテ嬢の唇に口付けた。柔らかな唇を味わうように唇で触れる。貪りたい衝動は封印。急に痛くしたら獲物に逃げられてしまうから。
ロッテ嬢は触れるだけの口付けでも爪の先まで真っ赤になった。うぶな反応にものすごい充足感を覚える。
「…奪っちゃった。」
くすっと笑った。
僕に噛みつかれたロッテ嬢はものすごい動揺していた。ようやく僕が子犬ではないことを思い知ってくれたようだ。嫌われて、拒否されたらどうしよう…とも思ったけれど、ロッテ嬢の表情はあまりお嫌そうではなかった。脈がありそうなので僕の気分は高揚した。勿論一度か二度振られたくらいでは諦めないつもりではあったけれども、始めっからかなり感触が良い。
「安心して甘やかしてくれるロッテ嬢も可愛らしくて、捨てがたくはありますが……もう弟は卒業させてくださいませんか?」
囁いて耳にキスする。『弟』はロッテ嬢にこんなことしないでしょう?ロッテ嬢は急に恥じらう乙女のような風情で縮みこんでしまった。ロッテ嬢にこんな恥じらい、怯え、困惑した乙女の表情をさせているのが僕なのだと思うと、興奮する。怯えさせすぎないように興奮は隠すけれど。小動物は食べてしまいたいくらい可愛いけれど、急ぎすぎるとすぐ逃げてしまいそうだ。ゆっくりじっくり手懐けて食べられても良いと思うくらい捕食者に懐いてくれたら、美味しくいただくことにしよう。
「弟でない僕はお嫌いですか?」
嫌われてない反応なのはわかり切っているのに、甘やかにロッテ嬢に尋ねる。ロッテ嬢は首を横に振った。
「ではお好き?」
混乱、困惑、ロッテ嬢は僕への気持ちがまだ定まらないようだ。好かれてると思うんだけどね。恋の滲む潤んだ瞳を向けられてくすくす笑う。
「その答えを貰うのはまた今度にいたしましょう。」
答えを急ぎすぎて、望まないお返事をもらうのは嫌ですし。沢山悩んで僕に堕ちてきてください。
ぽんぽんと優しくロッテ嬢の頭を撫でた。ああ、お可愛らしい。小動物も狼に懐いてくれるかな。
ねえ、ロッテ嬢。僕は君には飛び切り優しい狼になるから嫌わないでね。
ロッテ嬢は動揺したまま帰って行った。僕を愛するには少し時間が必要なんだね。
早く兄上を片付けてしまわないとな。ロッテ嬢の心を上手に射止められても兄上がいたのでは僕のものにできない。
***
僕は兄上に、王宮に、牙を剥いた。可愛い子犬の着ぐるみを、ゆっくりと脱いで、ゆっくりゆっくり誰もが望む賢王の資質をあらわに、どっしりとした構えをとるようになっていった。僕を王にと望む声は日に日に高まり兄上は激しい焦燥感を感じているようだ。ペティル嬢を心の拠り所としているようで、ペティル嬢の傍にいると少し安定するが、ペティル嬢と離れている時の当たり散らしぶりは目を覆いたくなる惨状だ。シルヴィア嬢がひどい被害に合わないように微妙にトリスタ殿が調整している。
そんな兄上にとってイライラし続ける日々に一石が投じられた。臣下の一人が、父上に「クリストファー殿下の戴冠はあり得るのですか?」と尋ね、父上が「王子たちの言動次第だ。」と答えたのだ。
僕はこれは『試し』だと思った。表面上は僕の戴冠があり得るという示唆だが、その実兄上に与えられたラストチャンスだ。兄上が「王子たちの言動次第だ。」の意味を正しく汲み取り、性根を入れ替え、勉学に励み、良き王を目指して、努力邁進するのなら、きっと僕は「出しゃばりは良くないぞ?」なんて言われて、王への道を断たれる。兄上が父上の与えたラストチャンスをふいにした場合は、本当に僕に王座が回ってくるだろう。
兄上はどう出るかな…
***
…やっぱり兄上はバカだった。父上の与えたラストチャンスを見事にふいにした。トリスタ殿から連絡があった兄上が遅効性の強力な毒薬を購入したと。僕はすぐさま薬品取扱所に手駒を出して、兄上が毒を購入した証拠を拾った。強力な毒薬には名前と用途の記入が必要になる。真っ赤な他人の名前を用いていたが、文字は個性的な兄上の文字そのまま。筆跡鑑定士がよーく鑑定してくれることだろう。まさか毒見役を毒で死なせてしまうわけにはいかないから、伏兵に命じて、兄上の目を盗んで毒を遅効性の軽い毒薬に差し替えさせた。勿論城のストックの解毒剤で問題なく本復できるレベルの。少し苦しい思いをさせてしまうかもしれないが、許してほしい。本来の強力な毒薬の方は証拠品として提出した。調べてもらったが飲んだら普通に死ぬレベルの毒だった。
毒殺は見事失敗。でも大騒ぎになった。事件究明の捜査は建前で、僕は証拠品として毒薬と筆跡鑑定士の鑑定書付きの兄上の毒薬購入記録を提出した。
「まだ弱いな。鑑定書がついているとはいえ、毒薬の購入記録は別人名義。実際に使われた毒とも違っている。」
だろうね。毒見役を死なせるわけにはいかないから毒の差し替えは絶対必要だったのだよ。
ジャレッドが馬屋番を買収して僕が乗るはずの馬に興奮剤を投与するつもりだ、と連絡があったので、手駒に僕が乗るはずだった馬にたらふく水を飲ませておいてもらった。暴れる馬はお腹が苦しいらしく動きが鈍く、興奮剤も水で薄まり中途半端に。暴れようとする動きの鈍い馬から脱出するのはさほど難しくなかった。買収された馬屋番を密かに拘束し、口を割らせるのも難しいことではなかった。父上の御前で自白し、助命嘆願をしていた。
ディレンツが練兵館の壁に細工をするという連絡があったので、練兵館の壁が崩れるタイミングで全力で駆け抜けて事なきを得た。壁に仕掛けられた細工跡を専門家に見せた。ディレンツとその父しか鍵を所持していない場所に細工されていたので容疑者は純粋に二人だ。
そしてついに本命である刺客を投入するという話が持ち上がったと連絡が来た。因みにここまでの暗殺事件の計画者はサイードである。兄上が暗殺を請け負う者に直接依頼を出した。
僕は早速誘いに遠乗りに出かけた。服の下にはしっかりと鎖帷子を着こみ、何食わぬ顔で城を出た。乗馬帽にも金属が仕込まれていて、少し重い。お付きの者とさり気なく逸れて、僕が本命と目した暗殺現場の崖上まで誘導した。因みに暗殺者に気付かれぬように僕も暗殺者並みに気配を消せる、凄腕の護衛3名をひっそりと連れている。
襲撃がかかった。胸に矢を射こまれたが、鎖帷子を着ているので矢は刺さらなかった。衝撃で青痣くらいはできるかもしれないけれど。暗殺者が襲ってきたが、凄腕の護衛3名にあっさりと捕縛された。口に布を噛ませて自害を防止し、簀巻きにして馬に乗せた。あとは工作だ。崖上で激しく争ったような跡を残し、可哀想だが、僕の馬と、暗殺者の馬を崖下に落とした。可愛い馬だったのに。不覚にも瞳が潤んだ。「ときには非情な決断も必要」「簡単に涙を見せてはならない」と自分を律した。護衛の一人が、崖下へと降りて、鶏の血を撒いて、怪我をして川に流された現場を演出する。
「大丈夫ですか?クリストファー殿下。」
護衛が心配するので軽く微笑んで見せた。
「可愛い…馬だったのですよ。僕によく懐いていて。」
結局耐えきれず僕は涙を流してしまった。護衛は何も言わず寄り添ってくれた。
僕は王族の避難経路からこっそりと城に入り込み、護衛は秘密裏に王宮の牢へと暗殺者を運び込み、父上立会いのもと拷問され、依頼主を吐いた。その暗殺者の根城に「クリストファー暗殺の依頼書」があるというので密やかに、速やかに回収された。兄上の直筆、実印、署名入りの見事な依頼書だった。流石の父上もこれにはぐうの音が出なかった。各々の証拠を詳しく精査する必要があるとかで、もうしばし、時間がかかるようだ。僕は予定通りスターフィアの大使館に身を寄せた。




