子犬殿下視点・第4話
情報操作は順調。「素行と成績の芳しくないヴィクトルを排してクリストファーが王位に就かれるのではないか」という噂は爆発的に広まって、兄上を大いに焦らせている。兄上はその噂をしているものを見ると目を吊り上げて「そんなバカなことがあるはずがないだろう!でたらめな噂をするな!牢に入れられたいのか!」と責め立ててぶったりなどしている。そんなことをしても意味はないのに。むしろ、兄上の評価を落として僕への支持をあげるだけだ。無能な兄上に吸い付いて甘い汁を吸おうとしていた連中はあまりいい顔をしなかったが、そういう奴は叩けば埃が出るので、叩いてみては脅してみたりなどしている。あんまり酷いのは僕が王位に就いた後は邪魔っぽいので、貴族籍から削れるよう、証拠を掴んでいる。あんまり派手に動くと父上に咎められるかもしれない、ということだけが悩みだ。僕が蠢動していることはお気付きのようだし。今のところ静観してるけど。母上はどうしていいかわからずにおろおろしている。
ロッテ嬢に「王位に就かれるつもりがあるのですか?」と尋ねられたので、「どうしても欲しいものがあって、それを手に入れるためなら王位につくことも厭わない」と答えておいた。王位に就くからには良い王になろうとは思っているけれど、ロッテ嬢が普通に手に入る令嬢だったら、きっと僕は無理に王位を望んだりしなかったと思う。
僕が仕立てた以外に一つ気になる噂が出ている。「シルヴィア嬢が、兄上の寵愛をペティル嬢に盗られ、嫉妬に狂いペティル嬢に嫌がらせをしている」というものだ。どうも噂の出どころがペティル嬢自身っぽいんだが何が狙いなのだろう?もしかしたらペティル嬢は僕が兄上の失脚を狙っているように、シルヴィア嬢の失脚を狙っているのかもしれない。教養のない市井育ちの男爵令嬢なんて言うのが王妃の座に就けるかどうかは甚だ疑問だが、教育下手の母上でも王妃は務まってるし、何とかなると思っている可能性はある。と言っても母上はあれで4ヶ国語が話せて読み書きできるし、礼儀作法は今でも僕が敵わないなあ…と思うほど美しいし、教養はそれなりにあるんだけれど。政治的嗅覚や情報操作はあまり優れていないけどね。母上も偏に父上の愛情で成り立ってる王妃だから、あまり多くを求められてはいないという実情。そう思えばペティル嬢でもいいのかな?まあ、母上は侯爵家の出だから、家柄的にはまあまあ順当な王妃なんだけれども。シルヴィア嬢はこの噂に大変な心痛を覚えているらしい。心痛を覚えているシルヴィア嬢には申し訳ないが、僕にとっては好都合。トリスタ殿を自陣営に引き込みやすくなるから。可愛い妹が「ヴィクトルの婚約者なせいで」、初恋も実らず、おかしな噂を立てられて苦しい思いをしているとなれば、婚約解消できるならさせてあげたいと思うよね?自分が骨を折ってでも。
僕は密かにトリスタ殿を呼び寄せた。場所はスターフィアの大使館を使わせていただいた。
「クリストファー殿下、御壮健そうで何よりです。何やら以前よりも貫禄がついてきましたね。」
トリスタ殿が微笑んだ。
「ええ。得たいものがあればこそ、貫禄もつけざるを得ないのですよ。」
トリスタ殿に椅子を勧めた。
「得たいもの…ですか。まだロッテを諦めておられないのですね。」
「寧ろこれからが本番ですよ。」
今まで積み重ねてきた全てを使って盤面をひっくり返すのですから。
「ほう。こうして僕を密かに呼び寄せたのもその辺に理由がおありですか?」
「ええ、まあ。トリスタ殿はシルヴィア嬢の恋愛事情にどの程度通じていらっしゃいますか?」
「ロッテではなくシルヴィ?シルヴィは幼い頃にどなたかの目に留まってしまい、意に沿わない婚約をさせられ、しかもそれが元で今現在おかしな噂を立てられているようですが。そういえば、ただ単に沈んでいるというよりは悩ましげに溜息などを吐く姿もよく目にしますね…まるで恋煩いのような…」
トリスタ殿が考え込んだので紹介した。
「ではここで紹介いたしましょう。シルヴィア嬢の恋のお相手のエルヴィス・ポートアーツ殿ですよ。スターフィアの外交官をされております。」
紹介されたエルヴィス殿がそっと室内に入ってきて、トリスタ殿に頭を下げた。
「エルヴィス・ポートアーツと申します。スターフィアの、ポートアーツ家嫡子です。」
「トリスタ・グラシアと申します。……シルヴィの恋のお相手?シルヴィがヴィクトル様というものがありながら、ふしだらな行為に及んだとでも仰りたいのですか?」
トリスタ殿は眉を顰められた。
「勘違いしないでいただきたい。シルヴィア嬢がエルヴィス殿にお会いしたのはたったの2回。しかも人目のある夜会でのことと、僕とロッテ嬢が同席した大使館での2回のみ。決してふしだらな事実など存在しませんよ。浮気などできないシルヴィア嬢は恋文一つお渡しになっていないそうです。それでも恋は恋。お互いに両想いなのに想い一つ口に出せず切ない思いをしているのです。お疑いならその辺りはシルヴィア嬢に直接お聞きになったら良いでしょうが…」
「いえ、クリストファー殿下がおかしな嘘をつくとは思っておりませんよ。それで、本題は何なのでしょう。シルヴィの報われない恋を面白おかしく囃子立てたいわけではないのでしょう?」
「ええ。シルヴィア嬢の報われない恋を、報われる恋にしませんか?僕たちの手で。」
僕は僕自身の命を餌とした「ヴィクトル失脚計画」の話をした。
「危険すぎます!!」
すぐに反対された。まあ、普通の反応だよね。
「では、トリスタ殿がこっそり兄上を消してくださるとでもいうのですか?僕がロッテ嬢を得るにも、シルヴィア嬢の恋を報うのにも、兄上は障害でしかない。トリスタ殿はシルヴィア嬢を永遠に兄上に縛り続けるおつもりですか?それとも、今流れている噂の行く末のようにペティル嬢の踏み台として消費させてしまうおつもりですか?」
「しかし…」
「僕はロッテ嬢を得たいですけれど、死ぬのは嫌なんですよ。だからトリスタ殿には是非とも僕に加担していただきたい。」
トリスタ殿はじっと考え込んだ。
「正直、そんなクーデターじみたことに加担するのは気が引けます…」
だろうね。正当な王位継承者を故意に失脚させようとしているわけだから。
「では、トリスタ殿は、あの兄が、無事に国を治めていけるとお思いなのですか?」
優しく微笑んで聞いた。わかり切った答えを。兄に一国を治める器はない。即位しても、国に重大な問題が生じるのは目に見えている。兄は自分に心地良いことしか聞きたがらないし、自分の見たいものしか見ない。人格も我儘な幼児と大差ない。この前の大使館での行動から見てもわかるように国家間の関係性も碌に理解できていない。
「……。」
「別にいいんですよ?僕がこんなことを企んでいるって兄上に告げ口しても。シルヴィア嬢が不幸になった挙句に国家が転覆するという、ごくごく些細な問題しか起こりませんから。」
「……クリストファー殿下は僕を脅していらっしゃるのですか?」
「まさか。僕は100%真実しか述べておりませんし?今も昔も愛おしいロッテ嬢のご家族には真摯に向き合っているつもりです。」
トリスタ殿は、はーっと溜息を吐いた。
「本当に、クリストファー殿下は昔からロッテのことばかり。そんなにロッテが欲しいですか?ご自分の命を危険に晒し、兄上を陥れてでも?」
「欲しいですよ。正直普通にロッテ嬢が手に入るのなら、別に王位など欲しくない。何が悲しくて自分の人生の大半を『兄を失脚させる』だなんて無駄なことに費やさねばならぬのか。僕は悲しいです。」
トリスタ殿は観念したように微笑んだ。
「まあ、可愛いシルヴィの為に協力しても良いですが、肝心のロッテの心の方をクリストファー殿下は射止められていないのでは?」
「それを言われると辛いですね。どうやらロッテ嬢は僕を自分の愛玩する子犬のように思っているようなのです。ご自分が何を飼育されているか、よくわかっていらっしゃらないようですね。ロッテ嬢は油断しきっているようなので、そのうちがぶりとやるつもりです。」
今の僕が本当に子犬に見えるならロッテ嬢は相当に目がお悪いに違いない。
「お手柔らかに。ロッテ達には計画のことは秘密ですか?」
「ええ。話したら絶対に止められるのは火を見るよりも明らかですし。僕が死んだと聞いて嘆き悲しむ演技をロッテ嬢が上手にこなせるとは思えないので。素直な方だから。そんなところも可愛いのだけれど。」
「多分尋常じゃなく悲しむと思いますよ?」
「はい。それだけが心配で…くれぐれもロッテ嬢が思い余って自害するとか、そういう悲劇が起こらぬように、トリスタ殿や、ご家族にはロッテ嬢を常に監視しておいていただきたいです。」
ロッテ嬢の性格からしたら、きっとご家族を愛するが故に兄上に復讐に走るというようなことは出来そうにないし。そっちの心配はあまりしていないけど。自害、ダメ、絶対!ロッテ嬢が自害されるほど僕に執着していたら少しは嬉しいですけれど、本当に死なれてしまったら、僕の方こそもう死ぬしかないですよ。そんな物語のような悲劇は要らないです。
「ロッテのことは絶対の監視態勢を取りましょう。で、具体的に僕は何をしたら?」
「どうやらペティル嬢がトリスタ殿に執着されているようなので、彼女のハーレムに加わって内通していただきたいです。恐らくハーレムの中の数人は僕の暗殺に協力すると思うので。フローレン嬢には理由を話して演技の協力をお願いいたしましょう。」
「やれやれ、フローレン嬢との逢瀬もしばらくはお預けか。」
「幸せな未来の為ですよ。」
とりあえず内通して重要そうな情報は、ロッテ嬢の手紙に偽装して僕に送ってもらえるようにお願いした。僕もロッテ嬢宛の手紙に偽装してトリスタ殿への手紙を送るつもりだ。目印は紫の薔薇の模様とした。特に深い意味はない。女性が使っていても男性が使っていてもおかしくないワンポイントを選んだだけだ。
僕との打ち合わせが一通り終わると、トリスタ殿はエルヴィス殿に向き直って尋問を始めた。トリスタ殿にとって僕は長年をかけて信頼関係を築いてきた、まさに弟のような存在だが、エルヴィス殿はぽっと出の新顔。本当にシルヴィア嬢を託すに値する男かどうかじっくり観察されるおつもりらしい。
***
やがて社交界に激震が走った。あのトリスタ殿がペティル嬢に篭絡されたという噂が流れたからだ。聞くところによると、トリスタ殿もフローレン嬢も、中々上手に芝居を打っているらしい。
トリスタ殿は上手くハーレムに紛れ込み、ペティル嬢に甘い言葉を吐きながら、兄上の情報を探っているようだ。今はものすごくイライラしているとのこと。




