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生きている私達がしなければならないこと

作者: 羽栗明日

Daughter's side


「ちょっと、涼子!どこに行くの!?待ちなさい!」

 玄関を出ようとすると、私を呼ぶ声が家の中からした。

 後ろを振り向くと母親が立っていた。とても慌てている様子だ。

「何?お母さん?」

「何?じゃないわよ!こんな時にどこへ行くつもりなの!?」

 母親は私に掴みかからんばかりの勢いでまくしたてる。その目は私を一点ににらみつけている。

 私は、なぜ母親がそんな必死に私の動向を気にしているのかを知っていた。

 それでも私は行かなければならないのだ。

「お母さん。私、行かなきゃいけないところがあるの」

「行かなきゃいけないところ……?」

 私が、ええそうよ、と言うと母親は、何を言っているかわからないという顔で私を見た。

「行かなきゃいけないところって……もうそんなものは関係ないのよ!」

 どうして?と私が口を開く。

「どうして?ですって!?」

 母親の怒りは、どうやら止まらないようだ。

「あなた今の状況がわかってるの!?もうすぐこの地球にとても巨大な隕石が落ちてくるのよ!」

 そう。そうらしい。

「地球上の全生物が全滅するってテレビでも言ってたでしょう?あなたそれを聞いてないの?いや、聞いていないとは言わせないわよ!」

 母親の声は少し大きすぎる。もちろん私はそれを知っているのだから、聞こえるくらいの声にしてくれてもいいのに。

「ええ。かつてないほど大きい隕石の軌道に地球があるって、ニュースでもひっきりなしじゃない」

「だったら!」

 もはや怒りを通り越して、泣き顔の母親は言う。

「だったら何でどこかに行こうとするの!?あなた最後まで家族と一緒にいようと思わないの!?お父さんもずっと家にいるし」

「あのね、お母さん」

 そう私は母親の言葉を遮った。これ以上、母親に私を説得させるつもりはなかったから。

「わたしね、それでもやっぱり行かなきゃいけないところ、そしてやらなきゃいけないことがあるって思うの」

「さっきからあなたが言ってる、やらなきゃいけないこと!それってなんなの!?」

 母親はもはや叫ぶような声で私に尋ねる。

 私は右手に持った金属バットを掲げた。

「私が隕石を打ち返すのよ。このバットで」

 しばしの沈黙。

 そして、

「…………は?」

 きっとあまりにも突拍子もないことを言っていると思われたのだろう。馬鹿みたいに口をぽかんと開けている。

「なにを言っているの、あなた……?」

「私はおかしなことを言っているつもりはないわ」

 バットを握って、素振りの構えをしてみせる。

「ほら、私は小学校のころは野球チームに入っていたでしょう。だからバットの使い方はわかるわ」

「よ……よく考えてご覧なさい。そんなもので隕石を打ち返せるわけないでしょ?」

 母親が、これ以上ない呆れた顔で言う。

 だが、私は呆れられるのは初めから覚悟しているのだ。

「やってみなくちゃわからないわ」

「無理!どう考えてもできるわけないの!」

 再び母親は、元のヒステリーモードに戻る。

「それより涼子、ちゃんとお家にいて……お父さんもお母さんも、みんなで最後までこの家にいようって決めたでしょう?」

 私はそれを昨日の晩ご飯の時に聞いていた。

「街は今暴動で危険だし、町内の隕石を歓迎する会にも参加するって決めたのに……。あなただって高校の友達と、最後の時間を過ごさなくていいの?お願いだからお母さんをもうこれ以上困らせないで!」

「お母さん、私はね」

 私は、あえて淡々と続けることにした。ここで感情的になったら、火に油を注ぐ結果になる。

「なにもしないで破滅を迎えるのはいやなの」

 そう、淡々と。

「どうしようもない危機にさらされているのはわかっているわ。その情報がいかに正しいかも。そして……お母さんたちが私を家に置いておきたい理由も、このバットで隕石を打ち返すことは到底無理、ということも」

「なら!なぜ……」

「まだ私は生きているから」

 そう、私は生きている。

「隕石が来ることによって、私の命のタイムリミットが具体的に理解できるようになったわ。でもそれは私たちがこれまで無視してきたこと。はじめから決まっている寿命を無視してきたから、具体的に決まってみんな慌てているだけ。でもね、それでも私たちのやるべきことはおそらく変わらないはず。生きる為にできる限り最善を尽くす。やれることがあればすべてやる。たとえそれがどんなに無駄なことに見えようとも、ね」

 私は続ける。

「私たちは生きる為に生きているのよ。決して死ぬ為に生きているわけではないわ」

 母親は黙ってしまった。

 黙って、黙って、しばらく何も喋らなかった。

 そうして、

「無理よ」

 と母親は口を開いた。

「今回はどうにもならないことなの!世の中にはどうにもならないことだってあるの!」

 そうだろう。母親は私の何倍も生きている。どうにかなることがあることも、どうにもならないことがあるのも、私の何倍も知っているはずだ。

 ただ、それでも私はこれから知らなければならない。

「私は、それでも何とかしたいの。だって私はお母さんとお父さんに生きていて欲しいから。そして私も生きていたいから。その為にできることをやる。これは私が決めたこと。私が生きているうちに、生きるための努力をする」

 どうにかなるか、ならないかなんて所詮は結果。でも、結果はやらずに得られることはない。

「努力をするのは、おかしい?」

「……」

「……」

「……おかしいわ」

 母親は声を絞り出した。

「おかしいけど……私があなたに言えることはもうないみたい」

 諦められたみたいだ。私の事は。

「ええ。この思い、私以外の人間には理解できないでしょうね。だって私の考えなんですもの」

 私の思い、考えは私のもの。それを他人のものにしたくない。

「私のやりたいこと……それは誰にも邪魔させないわ。……そう決めたの」

「……」

「じゃあもう行くわね。安心して、必ずみんなを助けるから」

 母親は何も言わずに俯いてしまった。

「……」

「じゃあね」

「……」

 私は母親に軽く手をふって玄関を開けた。

 馬鹿に静かだ。閑静な住宅街であった私の家の周りでは全く音が聞こえない。もうこのあたりには誰もいないのだろうか。

 背中からすすり泣く声が聞こえる。でも私は振り向かない。だって行かなきゃならないんだもの。

 私はそっと後ろ手にドアを閉じた。


20XX年X月X日

 地球に隕石が落ちた。

 その隕石が落ちた衝撃は地球全体に広がり、一瞬にして地球上の全生物が死滅したという。

 一つの話が残っている。

 言い伝える人間がおらず、なぜそのようなものが残っているのかは定かではないが、以下に記す。

「その日、世界中の人々が空を見上げた時に最後に見たものは、

 大きな大きな、とても大きな丸い球と、

 その球を跳ね返さんばかりに大きい”バット”であったという」 



Mother's side

 

 あの子が出て行ってしまった。

 まだ子供のくせに、偉そうに「やらなければならないことがある」と言って出て行った。しかもその内容もバカバカしい。隕石を打ち返すとか言ってバットを持って行った。

 思えば昔から変な娘だった。普段あまり喋らないかと思ったら、私について的確に痛いところをついてくる。それも私が一番心にダメージを受けそうなタイミングで、だ。

 私があの子を怒っていると、あの子はそれを理路整然と返してくる。それが本当は正しいと私は気づいているのに、それを認めたくなくてさらにあの子に当たる。そうするとあの子は軽く溜息をついて自分の非を認めるのだ。

 そんなところが気に入らなかった。

 さらに彼女の容姿が私に全く似ていないことも、気に入らなかった。

 私より細い体。私より大きい瞳。私より高い鼻。学校ではさぞもてているだろう。

 自分の若い頃よりも確実に美しい娘であることは認める。共に買い物に行ったときに感じる娘への視線がそれを物語っている。美しい娘に惹かれる男達の視線。それを送るのは、他ならぬあの子の父親も例外ではなかった。その事実もまた、私を苛立たせるのだった。

 だが、そんな風に周囲からの男の目線を集める容姿を持つあの子は、男には何も興味がないようだ。休日には一人で部屋で本を読むか、図書館に行って勉強をしている。友達もそんな多くないと思われる。

 そして私を呆れさせたのが先ほどの彼女の言動だ。

 なにが世界を救うだ。そんなことは絶対にできない。というかその発想自体が幼い。普段から理路整然とした話し方をしていたからもう少し大人かと思っていたが、何のことはないただの子どもだった。

 だから呆れてしまったのだ。そして、諦めた。私には……今の私では彼女を説得というか、懐柔する心の余裕はなかった。

 では、私は彼女を……あの子を嫌いなのだろうか。

 自分がお腹を痛めて生んだ子どもを、私は憎んでいるのだろうか。いなくなっても構わない、むしろいなくなった方が清々するから私はあんなに簡単に彼女を諦めたのだろうか。

 ……わからない。

 私だって母である前に一人の女であり、そして一人の人間である。誰かを憎んだり、ましてや殺したいなんて思うことは絶対ないとは断言できない。

 だけれども、私は娘を憎みたくはない。嫌いになりたくない。それが自分が母親でいたいという願望からの思いであったとしても、私がそう思うことには代わりはない。あの子が出て行ってしまう時に流れてきた涙は、そういう理由から出てきたのかもしれない

 じゃあなぜ私は彼女を諦めたのか。もっと強くあの子を止めなかったのか。

 それは私の……いや人類全体の心の余裕がないからだろう、と思う。

 あの子が言っていた「人生のタイムリミットが具体的にわかるようになった」という言葉。

 自分たちが普段からいかに生きることについて考えていなかったかを思い知った。時間があれば何でもできるだろう。多分自分が明日明後日に死ぬことはなくて、今日できないことは明日以降にしっかりできるように努力しよう。そんな風に考えていた。

 でも今はそれができない。自分に残された時間が、無駄に削られるのが怖い。あの子をこの家に留めるのに使う時間は、私自身のために使いたい。そう思ったから諦めたのだ。

「はぁ……」

 私は、自分の行動にとりあえずの結論を出したことに対して溜息をついた。そっか、やっぱり悪いのは、

「……隕石ね」

 全てを隕石のせいにした私は、ふと玄関の鍵が開いてあることに気がついた。

 私はそれを閉めることなく、家の中に戻った。

お読み頂きありがとうございました。


羽栗明日です。


生きるということが一体どんなことなのか。普段はそれを意識しないで生きています。

そうして死が現実的になってきた時に、やっと人は生きることに意味もたせます。


人は死ぬために生きている、のではなく生きるために生きていく。そのことを忘れないで死にたいですね。


コメントなどいただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] バットで打ち返す! なるほど、そういうやり方もあるのか!(ないです 突拍子もない考えですが、しかしなるほど。 何よりも努力ですねぇ。黙して死を迎えるより、立ち向かった方が気も楽でしょうし。 …
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