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短編の本棚

ぽっぺん

作者: 九藤 朋

 とろりとした瑠璃色のびいどろを。

 ぽっぺん、ぽっぺん、と鳴らす少女がいる。

 緋色の着物を着てひらひらした浅葱の帯を締め、おかっぱに切り揃えられた髪の上部を赤い大きなリボンで結っている。その顔は重大事を行っているかのように気難しげだ。

 ぽっぺん、ぽっぺん。

 

 天には黄金色のお日様がある。

 ぽっぺん、ぽっぺん。


 どこかで水車が回っている。

 規則的な動きで、水を巡らせる。輝く飛沫は天の黄金を小さく模倣している。

 若草の草原で風が吹き、女が歌を歌う。

 白いワンピースで長い漆黒の髪を風に遊ばせながら自らも遊ぶように朗らかに。

 その歌う歌は多種に及び、悲恋を歌ったかと思えばこの世を呪う歌を、そして次には生命を言祝ぐ歌を歌うのだ。

 近くで羊飼いの少年が彼女の歌に聞き惚れている。

 その隙に、羊はこれ幸いと逃げ出す。女は羊の共犯者となる。


 ぽっぺん、ぽっぺん。

 やあお嬢ちゃん一人かい。おうちの人はお留守かい。

 尋ねてくる鳥打帽を被った男。

 少女はびいどろを鳴らさなければならないのに。

 不機嫌になった少女はびいどろを吹く手を休めると、思いっきり鳥打帽の男の左足を踏んづけてやった。 小さな足による思わぬ激痛に男は悲鳴を、次いで罵声を上げて通りを駆け去って行った。

 長屋の住人が何事かと一人、二人、家から顔を覗かせたが、少女が蹲ってびいどろを持っている様子からあらかたのところは察したのであろう、出した顔を引っ込めた。中にはお気をつけ、と親切に声をかける者もあった。


 ぽっぺん、ぽっぺん。


 少女はびいどろを鳴らす作業に戻る。最早これは彼女に託された使命なのだ。

 天に黄金があるように、少女はびいどろを鳴らさねばならないのだ。

 天に。


 天を悠然と旋回する龍は白。だがその色は白にばかりは落ち着かず、極彩色に変化する。

 長い優美な髭と尾鰭をなびかせ。

 爪の数は五枚。

 瞳は気高い翠玉に似て人界を或いは異界を睥睨する。

 永い年月を生きた彼は人間の興亡も見てきた。国が生まれ、熟しては滅んでゆく。

 生まれる。

 栄える。熟す。滅ぶ。

 生まれる。

 栄える。熟す。滅ぶ。

 その繰り返し。

 よくもまあ飽きないものだ。

 新しい小国が成ろうとしているのを眼下に、さてこの国はいつまで保つだろうかと考える。

 高貴の龍は黄金の近くをゆく。蒼天の、真ん中あたりを。


 蝶が箱に閉じ込められている。

 鱗粉が金色で、稀に見る美しさが災いしたのだ。男は空気穴を開けたアクリルケースに入れた蝶を見て陶然としている。愛おしそうに箱を撫でる。

 男を罵倒する蝶の思念波が聴こえる。

 けれど男は相好を崩したままだ。

 自分が満たされていれば良いのだ。

 例え相手が枯渇し、死に絶えようと。

 自分が全てだ。

 金色の蝶の憐れ。

 本当であれば今頃、森の中でその美しい羽をはためかせていただろうに。

 つがいを見つけて子孫を残し、その遺伝子を受け継ぐ美しい子孫を残しただろうに。

 アクリルケースに囚われた現実の惨さ。


 涙をこぼす女がいる。

 あの人が全てだったのよと言って、友人の胸に縋る。だが死者は戻らない。女は奇しくも恋人が流した血と同じ赤いセーターを着ていた。ポリエステルなどの混じらない、上質なカシミアセーター。縋られている友人は、彼女を宥めながら頭の片隅でカシミアは手入れが大変なのよね、ずぼらをすればすぐ虫に喰われるし、そんなセーターを、しかも赤を!選ぶあたりが彼女らしいわなどと考えている。

 ともあれ起きた悲劇に胸が痛まない訳ではない。

 死は悼むべきものでしょう?

 わかってるわ、悲しいのよね。そうでしょう。一緒に嘆いてあげるわ。

 だって友達ってそういうものだものね。

 でもあなたが私に連絡したのはいつ以来かしら。

 ぼんやり思考しながら、喪服に使う真珠のネックレスはどこに仕舞ってあったかなどと考える。真珠。

 ああ、真珠。

 あれも厄介なのよ。扱う時は綺麗に手を洗わないといけないし、使ったあとは柔らかく優しい布で汗なんかの不純物を拭き取らないと光沢が褪せてしまう。

 わかるかしら、あなた。

 私はあなたに泣いて縋られながら、必死に自分の心の不純物を押し込めようとしているのよ。


 今この瞬間、懸命に生れ落ちようとしている命がある。

 彼は夢を見ている。前世の夢だ。

 彼はその昔、ビザンツ帝国最後の日に果敢に戦った戦士だった。

 押し寄せるトルコ兵に全力を以て抗したが、やがて彼の剣は折れた。

 土埃と喧騒と雄叫びの中、彼の半分に折れた剣はたちまち踏みにじられた。

 輝きが、曇る。

 最後に見た空の黄金が、前世における彼の最期の記憶だ。

 それら全てを記憶に思い起こしつつ、彼は羊水から外界へ出ようとしていた。ここはどこの領土だろうと考えながら。


 銀狐が森を闊歩する。あやかしの中でも特に位が高いと言われる銀狐。その毛皮の美しさゆえに人間に狙われもする。

 銀色の狐は用心深く、また愛情深くもある。

 腐葉土を踏み分けながら、銀狐は今年生まれた子らと妻の待つ棲家に帰る。

 妻を娶るのは大変だった。銀狐の中でもとりわけ抜きん出て美しく、気位の高い雌だったからだ。最初は気位の高さに鼻白んだが、何せ美しかったものでかき口説いて夫婦となった。妻の気位が高かったのは最初だけで、次第に寛容で健気な面を見せるようになった。銀狐は妻を愛していた。

 今も狩りで得た食糧の鼠を加え、愛妻と可愛い子の待つ棲家へと帰っていた。


 パアンと何か爆ぜるような乾いた音。


 銀狐は何が起きたのかわからなかった。

 やった、仕留めたぞ、という声が聴こえ、自分が猟銃で撃たれたと知る。

 妻に、子に、食糧を持って行かねばならないのに。

 銀狐の眼が虚ろな硝子玉のようになる。

 だから銀狐は知らない。

 彼を撃った狩人たちが、別の狩人たちに襲われ、命を落としたことを。

 その日の森は常よりも殊の外、血臭に満ちていた。

 銀狐の妻は夫の帰らぬことを知るや泣き崩れるが、子らを育て上げねばならぬという使命が彼女を強くした。彼女は既にして母という最強の生き物となっていたのである。


 海の中で人魚が泳いでいる。

 琥珀色の長い髪、青銀色の鱗。緑色の髪に金の鱗。

 ねえ、あなた、この間の人間とはどうなったの?

 魔法をかけなければ二本足を得られなかったのは昔の話。今では彼女たちは自在に下半身を人間のそれと同じにすることができる。

 あら。これで訊かれたの何度目かしら。答えるのも何度目かしら。

 千一回目?

 ふざけてないでお言いなさいな。

 緑色の髪の人魚がわざと怖い顔を作る。彼女も、何も本気でそれを知りたいわけではない。知りたい振りをして遊んでいるのだ。琥珀色の髪の人魚もそれをわかっていて、肩を竦めて答え、遊興に応じる。

 振ったわ。彼ってば何かと性急だし、こちらの事情をちっとも考慮してくれないんだもの。私は海から遠くには離れられないって言ってるのに。登山になんて誘うのよ?よりによって、登山よ?ここまできたら怒る気力も失せて笑えてきちゃう。傑作だわ。

 琥珀色の髪の人魚が笑うと、たまらない、と言った風に緑色の髪の人魚も合わせて笑った。緑の髪を指に絡ませながら言う。

 男ってそんなものなのよ。

 童話みたいに良い男が乗った船が難破したりしないかしら。

 あら、そんな悲劇を祈っちゃダメよ。でも、うふふ、そうね、考えちゃうわね。

 それなら救助する私たちの意欲も上がるというものだわ。そうじゃなくて?

 ええ、違いないわ。

 琥珀色の髪の人魚は珊瑚礁にゆったり腰掛けて、下半身をくねらせる。この深海にも天の黄金の気配がする。


 紺青瑠璃の小鳥のつがいが梅の枝に留まっている。

 仲睦まじく、時折、嘴同士を突き合いながら。

 古くからある神社の、有名な梅の樹の花は、例年より早く花を咲かせた。

 これを温暖化の前触れとするか吉兆ととるかは人それぞれだ。

 だが白く楚々と可憐な梅の花に、紺青瑠璃の小鳥はよく映える。

 学問の神が祀られた神社に訪れた人々は、紺青瑠璃と白梅に目を細める。

 ねえ見てあれ、かわいー。

 ほんと、きれー。

 学生と思しき女子が二人、紺青瑠璃の小鳥と梅の花を写真に収めようとする。


 ぽっぺん、ぽっぺん。


 まだだ。まだ足りない。

 少女は使命を果たし終えていないとばかりに、びいどろを鳴らす。

 相変わらず、気難しい顔で。


 どこかで女が歌うのが聴こえる。

 龍が空を舞う姿が見える。

 金色の鱗粉の蝶が。

 泣く女と対峙する女。

 まだ生まれもしない赤ん坊。

 銀色の狐。

 人魚。

 紺青瑠璃と梅の花。


 それらはいずれ少女が知るべき物語の一端である。

 少女はやがて広大な世界で様々な不思議を見聞きすることとなる。

 今はただ、その切れ端をせめて感じるべく、びいどろを鳴らす。

 それはいつ終わるとも知れない、少女にとってひどく大切な作業だ。


 ぽっぺん、ぽっぺん。

 

 びいどろが黄金を反射して光った。

 


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[良い点] ぽっぺんぽっぺん さすが朋さん!と叫びたくなる作品。 丁寧に細かく記された言葉で、一行読み進める毎に頭の中に鮮明に映像が浮かんできます。 小説を書いていて「臨場感」や「その場の匂い、温…
[良い点] ぽっぺん、ぽっぺん。 [一言] 世に才人少なく佞人多し 若いころはそう思っていましたが、 今はどちらも同じ程いるのだなと、感じています。 まあ邪さもまた一つの才能でしょうし。もちろん文学的…
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