第4話 礼名とお兄ちゃんの百万円狂想曲!(そのいち)
貧乏一筋に突き進む神代兄妹に悩ましい話が舞い込んだ。何と百万円もの大金を一週間で使い切れと言うのだ。果たして貧乏が染みこんだふたりにそんな豪遊が出来るのか?
このストーリーは神代兄妹がお金まみれになった一週間を妹の礼名視線で描く、愛と感動のスペクタクルロマン…… ではなく、単なる礼名とお兄ちゃんのおのろけ話、である……
第4話 礼名とお兄ちゃんの百万円狂想曲!
福沢諭吉さまが束になって食卓に鎮座している。
「百万円だよ、ひゃくまんえんっ! 本当にいいの? お兄ちゃん?」
「うん、明日は一緒に豪遊しよう!」
「だけどさ……」
夏休みも後半に入った日曜日。
今日のライブも好評でお兄ちゃんとの愛の巣、カフェ・オーキッドも盛況だった。
そんな今日、閉店三十分前に思わぬお客さんがやってきた。
からんからんからん
「いらっしゃいませ~っ! って、倉成壮一郎さん!」
入ってきたのはお兄ちゃんの実のお父さま、倉成財閥総帥の倉成壮一郎さん。
軽く手を上げ誰もいないカウンターに向かう彼に急いでおしぼりをお持ちする。
彼はケーキのショーケースを指差して。
「あのケーキとキリマンジャロを」
「ありがとうございますっ!」
最後に残ったチーズケーキが売れて、これで今日のケーキは完売だわ。
早速ポットを火に掛けるお兄ちゃん。そんなお兄ちゃんに倉成さんは無表情のまま声を掛けた。
「ところで悠也くん。あのカード、一円も使ってないんだね」
「あ、はい。せっかく気を使ってもらって申し訳ないですけど」
カードのことか。
そう、あれは一ヶ月半前のことだった。
倉成壮一郎さんはお兄ちゃんとわたしのためにクレジットカードを作ってくれた。勿論支払い口座は倉成さんのものだ。好きに使えと言うことらしい。大丈夫ですと遠慮するお兄ちゃんだったけど、結局は押し切られ受け取った。
けれどもそのカード、ふたりは一度も使ったことがない。
「どうして使わないんだ? 部活の合宿もお金がないからと断ったんだろ?」
えっ?
お兄ちゃん、わたしそんな話し聞いてないけど!
「受験参考書は先輩のお下がり使ってるって話だし、新刊やマンガは図書館に入らないとぼやいてるって言うし、話題の体感型シアターにも行ったことがないんだろ?」
「あ、いや、だからって困ってるわけじゃ……」
お兄ちゃんタジタジになってきた。
ここはこのわたしが助け船を……
「礼名さんがストリートライブで愛用しているアコーディオンですら借り物だって言うじゃないか。以前麻美華が言っていたぞ、礼名さんが麻美華のお下がりの服を涙を流して喜びながら持ち帰ったって」
げっ! 話筒抜けじゃない!
「なあ悠也くん。本くらい好きな物を買ったらどうだ。可愛い妹さんにお気に入りの服くらい設えてやったらどうだ。話題の映画を見たり友達と一緒に遊ぶのも大切なことじゃないかな」
「お待たせしました」
クリームを添えたケーキとコーヒーをカウンターに置きながら彼の横顔を見る。
わたしは倉成壮一郎さんが大好きだ。
いつもお兄ちゃんやわたしのことを気に掛けてくれる。
飄々としているけれど、優しさがじんじん伝わってくる。
勿論、お兄ちゃん出生の経緯は世間的には断罪される事だと思う。
だけど、きっと何か深い事情があったんだ。
いつもここぞと言うときにわたしたちを守ってくれた、そんな彼が悪い人のはずがない。
「やっぱりクレジットカードは使いにくいのかな? いつ何に使ったのか判ってしまうしね」
「いえいえ、そういう訳じゃ……」
「怖いんです」
つい言葉を挟んでしまった。
「怖い?」
「はい、実は……」
わたしはお金を借りることの怖さを知っている。この家と店のローン解消の時のこと、太田さんに聞いた借金でパチンコ通いした人の末路、借金にまつわる怖い話は幾つも聞いた。だから貧乏な我が家のポリシーは「いつもニコニコ現金払い」だ。勿論、そんなのは節度や使い方次第なんだろうけど。
「……だからクレジットカードにも何となく抵抗があって」
「そうか」
余計な事を言っちゃった。だって相手は銀行の頭取、その道のプロ中のプロだ。わたしの浅はかな考えなんて反論を喰らってボッコボコに叩きのめされるに違いない。
と覚悟していたわたしに倉成さんはにこりと笑った。
「だけど新しい本や服を買ったり、友達とのお付き合いや娯楽も大切だと言うことは否定しないわけだ」
「はい、それはそうだと思います」
「じゃあ、こうしよう」
彼は背広の内ポケットから分厚い紙袋を取り出すとテーブルに置いた。
「悠也くん、礼名さん。ふたりが自分たちの力でお金をやりくりしているのは本当に素晴らしいし尊敬している。だけど「お金を使う」って事も大切なことだと思うんだ。お金は貯めるためにあるわけでも節約するためにあるわけでもない。いかに生きた使い方をするか、それが重要だと思うんだ。そう言う勉強も必要だと思うんだ……」
彼はテーブルに置いた紙袋をちらりと見て。
「ここに百万ある。このお金を生かしてくれ。そして次の土曜日、またこの店に来るから、その成果を僕に聞かせてくれないか。ふたりがどんな買い物をしたのか、何を経験したのか、その楽しい思い出を聞かせて欲しい」
「…………」
「その時に残ったお金は回収しよう。だけど僕の言っている意味はわかるよな、悠也くん、礼名さん」
彼は目の前に置かれていたコーヒーを美味しそうに啜り。
「僕もこのお金を生かしたいんだよ、わかるだろ悠也くん。マンガ本、ゲームソフト大いに結構! クレジットカードじゃないから僕に報告できない買い物も大いに結構!」
お兄ちゃんに向かいニヤリと笑うとまたコーヒーを啜って。
「何より妹さんの欲しいものはよく確認しておくんだよ。今まで相当に我慢しているみたいだからね」
そう言うと彼は席を立った。
それまでまるで何かに縛られたかのように、黙って話を聞いていたお兄ちゃんが慌てて声を上げる。
「いや、だけどこんな大金を貰う訳には……」
「あげるんじゃないよ、預けるだけだ。今日の支払いもその中から取ってくれ」
「しかし……」
お兄ちゃんの言葉を視線で遮ると彼はそのまま店を出ていった。
そして今。
食卓の上に鎮座している百万円。
「彼の言うとおりだ。明日ふたりで繁華街に行こう! そして豪遊しよう、買いまくろう、やりたいことをやり尽くそう!」
さっきまでうんうん唸りながら考え込んでいたお兄ちゃんだけど、どうやら腹を決めたらしい。
「お兄ちゃんがそう言うんなら礼名はお付き合いしますけど」
「違うよ、ふたり一緒に楽しむんだよ!」
今日、倉成さんが札束を置いたとき、わたしはすぐに拒絶できなかった。だってお兄ちゃんが欲しいものをたくさん我慢してるって知っていたんだもん。きっとお兄ちゃんも同じだったんじゃないかな。わたしを気に掛けてくれたんだ。そして、そんなふたりの気持ちを彼は見透かしていたんだ……
「わかったよ、お兄ちゃん。明日は派手に買いまくろう!」