第3話 麻美華がアイドルになってあげてもよろしくってよ!(おしまい)
「ただいま……」
誰も待っていないワンルームマンションに帰ると火に鍋を掛ける。
長かったようで短かったようで。
いよいよ明日は私の初ステージだ。
学校近くのイベントホールで行われるアニメフェア。
ステージはその会場に設けられる特設ホール。
こうして晩ご飯を作るのにもだいぶ慣れてきたと思う。
もう三ヶ月になるんだわ。
何度も思い返す、三ヶ月前のあの日。
まさか優しいパパがあんな事を言うなんて。
ちょっと視界が潤んでくる、だけど後には引けなかった。
家を飛び出した私はお兄さまの元に転がり込んだ。
お兄さまは話を聞いて何度も私に謝ってくれた。
私のためにパパへ電話もしてくれたみたいだけど。
「なあ麻美華、麻美華の気持ちは固いんだよね」
「ええ勿論です。だから全てを捨てる覚悟で出て来たんです」
はっきりそう宣言するとお兄さまは芸能事務所、モーニングサンオフィスの朝日さんに連絡を取ってくれて、あれよあれよと私のモニサン入りが決まった。今思えば、お兄さまは私の話を聞いてくれた時から朝日さんと連絡を取り合っていたようだ。朝日さんは学校にも都心へのアクセスにも便利なこのマンションをあてがってくれて、私の新しい生活が始まった。
「給料を払うからには働いてもらわないとね」
彼は私に色んな仕事も用意してくれた。
洋装店やフィットネスクラブのチラシのモデル、自動車学校のチラシの仕事もあった。だけどいいのかしら、現役高校生がハンドルを握る写真って。
勿論そんな合間に歌や踊りのレッスンも受けさせてくれた。
だから学校も放課後も、私の毎日は超多忙を極めた。
……と、お湯が沸いてる。
塩を足してスパゲティを放り込む。
最初はパパを怨んだわ。
憎らしくも思った。
だけど今は感謝している。
好きで入った世界、だけどそんな世界にもイヤなことがいっぱいあった。
この私に向かって上から目線でもの言う女も山ほどいた
ちょっとの失敗に悔し涙を何度もこぼした。
今の私はあの時の、礼名ちゃんの言葉が少しわかる。
一番大切なことのために全てを献げた彼女の気持ちが。
ひとつのことを成し遂げることがどんなに難しいことか。
目の前の鍋を見る。
スパゲティの作り方はその礼名ちゃんに教えて貰った。
野菜スープは綾音直伝。
最初の一ヶ月、彼女たちはかわるがわるここに来ては料理を教えてくれた。
いや、料理だけじゃない。掃除も洗濯も、ベッドメイクも服のたたみ方も。
さあ、スパゲティが茹であがったわ、トマトソースと絡めましょう。
* * *
翌日、アニメフェアは大盛況。
快晴に恵まれてステージの周りには始まる前からお客さんがいっぱい。
ステージの袖から外を見ると、最前列に知った顔がズラリと並んでいる。
笹塚さんの横には綾音、お兄さま、そして礼名ちゃん。
聖應院の大友や高杉さんの顔も見える。
さあ、いよいよだ。
朝日さんが私のためにプロデュースしてくれた最高の舞台。
デビューシングルはいきなりの深夜アニメエンディング曲。
「こんにちは~っ! あなたの可愛い妹、中吉まみで~す!」
ちょっとむず痒い。
ステージに飛び出すとMCもそこそこに一曲目を披露する。
歌い始めると更に人が集まって、一曲目が終わる頃には椅子はほとんど埋まっていた。
「ま~みた~ん!」
恥ずかしい声援は最前列からだ、大友と高杉さん、それに岩本さんも一緒になって盛り上がっている。私もアゲアゲでいかなきゃ!
二曲目はメインのアニメのエンディング曲。
多分、ほとんどのお客さんはこの曲目当てのはずだ。
前奏が始まると会場を見渡す。
遠く後ろの方に場違いも甚だしい真っ赤な日傘の貴婦人が立っていた。
お母さまだ!
そしてその横で微笑んでいるのは、パパ!
いけない、急に緊張してきた。
頭が真っ白になってきた。
「ま~みた~ん」
「まみた~んっ」
声の主は……
大きな声を上げてくれる綾音と礼っち。
ありがとう。大きな声援で励ましてくれて!
と。
「……」
その横には、黙ってペンライトを振るだけのお兄さま。
お兄さま、ノリ悪い……
「もっと声援をくれてもよろしくってよ! もっと大きな声をお出しなさいよっ!」
私はお兄さまを指差して、思いっきり上から目線で見下ろして!
って私、何やってるの!
突然会場が静かになっちゃった。
ああ、やっちゃった!
どうしよう……
しかし。
「「「「「「うわあああ~~っ」」」」」」
会場の緊張が一気に解き放たれたような、地鳴りのような喝采が響き渡った。
「はははっ まみさま~っ!」
その中からでも、お兄さまの声だけははっきりと届いてきて。
何百回と繰り返したステップを踏みしめると私の声は青い空に溶けていった。
* * *
アンコールの大きな声援に後ろ髪を引かれるようにステージから降りる。
控え室に入りペットボトルの水をゴクリ飲むと心地よい満足感が満ちてきた。
「倉成さん、外で社長が呼んでますよ」
相部屋の控え室に入ってきた事務所の仲間が私に笑顔で告げる。
ステージ自体は盛り上がったんだけど、あの上から目線を怒られるのかな?
あれはさすがに大失敗。わたしのキャッチコピー「あなたの可愛い妹」が台無しだものね。
ドアを開けると朝日社長が私を手招きする。
「ステージよかったよ。それにしても初めてとは思えないステージ度胸だったね」
彼は上機嫌にそう言うと私を別の控え室へと案内した。
「中で君のご家族が待っているよ。今まで三ヶ月よく頑張ったね。ひとり暮らしは今日で終わりだよ。この後ワンルームマンションを引き払ってお屋敷に戻ってくれ」
それ、どう言うこと?
私の家族って、パパ? お母さま?
「えっ? 私は今のままで大丈夫ですよ?」
「君のお父さまとの約束なんだ」
もしかして、最初からそんな約束で?
「本当はこの三ヶ月、気が気じゃなかったよ。倉成のお嬢さまを預かって、もし何かあったら大変だからね。これでやっと安心して眠れるよ!」
冗談めかしてそう言いながら、朝日社長はドアを開ける。
「さあ入って」
「はい」
彼に会釈して部屋に入る。
と、そこには……
「あっ、お父さま、お母さま、それに……」
彼を何と呼んだらいいのでしょう!
そこにはお兄さまが私を見て微笑んでいた。
どうしてお兄さまがお母さまと並んでいるの?
「えっ? あの、どうして……」
必死に考えを巡らせる。
暫くの沈黙。
やがて、お母さまの口から零れ出た言葉は私が心から待ち続けたものだった。
「だって彼・悠也さんは麻美華のお兄さん、でしょ! あなたの大切な」
「お母さま……」
足が崩れて座り込む。
いけない、立たなきゃ!
だけど、顔を手で覆うのが精一杯で。
「ステージを見たらわかる。麻美華、頑張ったな」
「お母さんも誇らしく思うわ」
「あ、あうう…… うううっ…… うわあっ!」
色んな声が聞こえるけれど、嬉しくって嬉しくって。
私は言葉を返すことも、立ち上がることも出来なかった。
* * *
三ヶ月ぶりに戻った私の部屋。
お気に入りのシャガールはいつものように優しく私を迎えてくれた。
飾り棚に並んでいるたくさんのトロフィーや盾。
その真ん中、特等席に私は小さなフォトスタンドを立てた。
今日撮った、お兄さまと仲良く並んでいる家族の写真。
頬を拭い、ベッドの端に腰を下ろすと、茶色のバックからスマホを取り出す。
そこには友達からたくさんのメールが入っていた。
見たよ、よかった、格好いい、感動した、芸名使ってるんだ、とかとか……
みんな見てくれたんだ。ありがとう……
と。
ん、なにこれ?
オフィシャルサイト見た、めちゃわろた?
何の事かしら?
すぐにスマホでモンサンのサイトにアクセスする。そうして私、芸名・中吉まみのページにアクセスした。アイドルとしては遅咲きの私だけど、ニックネームは可愛く「まみたん」、特技はテニスに茶道、って事にしている。
だけど。
中吉まみのページ
ニックネーム・まみさま
特技・上から目線
ひとこと・もっと声援をくれてもよろしくってよ!
って!
いつの間に書き換わったのよ!
朝日社長、それはないですよ~っ!!
第3話 麻美華がアイドルになってあげてもよろしくってよ! 完