第2話 綾音ちゃんはちょっと欲張り(後編)
表計算ソフトを使いこなしたい。
素敵なデザインやイラストを颯爽と描いてみたい。
パソコン音痴だったあたしがコン研に入った理由はそんな単純なものだった。
だけど、期待して入ったコン研はパソコンの高速化に命を捧げる人や、ジャバとかピールとか言う言語を駆使して変なソフトを作っては喜んでいる人とか、もの凄い勢いでひたすらゲームを攻略しまくる人とか、ともかくみんなすっごく詳しい人達ばかりであたしのような初心者は皆無だった。
一緒に入部した神代くんもプログラムを書いたりゲームに詳しかったりと何でも出来る、あたしから見たらスーパーマンだった。彼はあたしに「美少女ゲームの基礎用語」なるものを教えてくれた。泣きゲー、抜きゲー、男の娘。家族には秘密なのだけど、実はあたしの部屋にあるパソコンには男の娘が主人公のゲームが入っている。その主人公は終盤になると「わたしの赤ちゃん産んで貰うわよ!」とか言うの。最近これがあたしに伝染っているみたい。
しかし、そんな仲が良かった神代くんはあの日以降一度も部活に来なかった。
気がつくと三学期も終わり、あたしたちは二年になった。
桜咲く中、四月最初の登校日。
いつものように車の後部座席から窓の外を眺めていると神代くんの姿が見えた。
「あっ、ここで降ろして!」
彼の横には南峰の女生徒が、何やら嬉しそうに話しかけている。
少し追い越して車から降りたあたしは彼に振り向いた。
「神代くん、おはよう」
言いながら視線は神代くんに並んで歩く女の子を追っていた。
身長は160cmちょっとかしら。すらりと華奢で肩で切りそろえた黒髪、そして何より印象的なのはそのくりりと大きな瞳。神代くんには妹さんがいると聞いていたけどふたりは似ていない。
「おはよう桜ノ宮さん」
「おはようございます……」
女生徒はあたしに会釈をすると何やら彼と話をする。
その様子にふたりはとても親密な仲に見えて、あたしの中にえも言われぬ不安が沸き上がる。神代くんに彼女はいないはずだし、学校であたしより仲がいい女友達はいないはずだし。
いや、いない。
きっといない。
絶対いない。
ねえ、いないわよねっ!
勿論あたしと神代くんは恋人同士じゃない。だけど、あたしが一番仲良し。
しかし神代くんとその女生徒はとても親しげで。
凛として可愛らしく、知的なのに優しげで、見れば見るほど抜群の美少女。
学校では見たことがない子だけど、今年の新入生?
「ねえ、紹介してよ。もしかして神代くんの彼女さん?」
あたしは精一杯の笑顔で尋ねた。
「違う違う。紹介するよ、妹の礼名。今日からこの学校の一年になったんだ」
「はじめまして。兄がいつもお世話になってます。妹の神代礼名です。兄とはひとつ屋根の下でいつも兄妹水入らず、仲睦ましく暮らしてますっ」
よかった!
妹さんだったんだ。
「まあっ、すごく可愛くって面白い妹さんね。あたしは桜ノ宮綾音よ。よろしくね」
習い事もやめてピアノも売り払い、本棚も空っぽにしたという神代くんの妹さん。
だけど暗く沈んでいる様子はミジンコも感じられない。
あたしは彼女とも仲良くなりたいなって思った。
「桜ノ宮さんとは部活一緒でさ。知ってるだろコンピュータ研究部。あ、でも、僕はもう辞めちゃったけどね」
そんな説明をする神代くん……
って、ちょっと待ってよ!
部費はいらないから辞めなくていいことになっているはずよ!
勝手な事言わないでよ!
だけど、そんなあたしの指摘も説得も彼は全く聞いてくれない。
もう、頑固なんだから。
挙げ句、妹さんまで部費免除なんて受けられないなんて言い出す始末。
可愛い顔して妹さんも頑固だわ。
お金の問題なんて何とでもなるじゃない!
いけない。
絶対彼を引き留めないと。
* * *
放課後。
チャイムが鳴ると大急ぎで神代くんのクラスを尋ねた。
この桜ノ宮綾音の名にかけて、彼コン研へ連れて行くためだ。
「神代くん!」
「あれっ、桜ノ宮さん!」
あたしは駆け寄ると彼の袖を引っ張る。
「さあ、一緒にコンピュータ研究部に行きましょう!」
「いや、もう僕は退部した身なんだけど」
やっぱりだ。この頑固もの!
しかし、あたしだって引けない。
ここで引き下がったらきっと後悔する。
彼が妹さんと仲良くするのを見て、自分の気持ちもはっきりわかった。
彼への気持ち、妹さんへ気持ち……
「だから、誰も認めてないってば!」
「じゃあ桜ノ宮さんから部長に伝えといてよ」
「無茶言わないで。あたしも認めてなんだからっ!」
そう言いながら彼の袖を引っ張る。
絶対連れて行かなきゃ。
コン研に連れて行くのがあたしの役目。
コン研に連れて行ければ、絶対何とかなる。
だって……
* * *
今日あたしは休み時間を献上してコン研部員全員のクラスを回った。
午前の休みは三年生のクラスを、そして昼休みは二年のクラスを尋ねて回り、今日は絶対部活に来るようにお願いした。そうして神代くんを全力で引き留めるよう頼んで回った。勿論みんな快諾してくれた。
「桜ノ宮さんって神代のことになるとホント必死だよな。くそっ、羨ましい!」
菊池くんはそう言うと。
「だけど難しいかも知れないよ。俺も部活に来いって何度も誘ったけど全然ダメでさ。いま話題のご禁制美少女ゲームもちらつかせたのにだよ! 以前のあいつならヨダレちょちょ切らせながら走って来たのに……」
菊池くんは神代くんと仲がいい。
去年は毎日のようにゲームの話で盛り上がっていた。
そんな彼でもダメだったって、無理ゲーって事?
不安になったあたしは思いきって神代くんのクラスにも足を運んだ。
昼休み終了五分くらい前。
だけど神代くんはいなかった。
「神代くんなら妹さんとどこかに行ったわよ、弁当抱えて」
学年違いの妹さんと一緒に昼ご飯とか、神代くんってまさかシスコン?
いけないわ。そんなの綾音が許さない!
神代くんの一番近くにいるのはあたしで、そして神代くんの妹はあたしの妹で……
そんな昼休みの出来事を思い返しながら、あたしの手はより強く神代くんの袖を握りしめていた。
* * *
あたしの懇願に根負けしたのか、神代くんはコン研に向かって歩き始めた。
放課後になったばかりの廊下は賑やかで。
だから彼女の足音なんか気にも留めなかった。
パタパタパタパタパタ……
「ちょっと、ちょっと待ってよ、お兄ちゃん!」
振り向くと神代くんの妹さん。
焦ったようにあたしに焼き餅を焼く彼女もなかなかに可愛いらしくって。
彼女もコン研にいらっしゃいと誘うと、ふたつ返事で付いてきた。
だけどこの目、あたしを全力で警戒している目だわ!
妹さんもブラコンなの?
シスコン兄とブラコン妹、そんな関係いけないでしょ!
ガラガラガラ
「おっ、神代。待ってたぜ!」
コン研に入った彼をみんなで大歓迎する。
「なあ神代、新しい人工知能プログラムを作ってみたんだが……」
「神代、話題の美少女ゲーが手に入ったぞ!」
「神代くん。去年みたいに一緒に楽しくやりましょうよ」
休み時間の打ち合わせ通り部員一丸となって神代くんを引き留めた。
最初は往生際悪く「部費が払えない」の一点張りだった神代くん。
そんな彼を陥落させたのは意外にも妹さんの一言だった。
「これ三百円です。兄をよろしくお願いします」
彼女は部費を差し出して。
「皆さん、こんなにお兄ちゃんを慕っていただいて頼りにして戴いるんですねっ! お兄ちゃんは今まで通り楽しく部活すべきだよっ。皆さんお兄ちゃんと仲良くしてくださいっ!」
みんな神代くんを必要としている。
あたし達の意を汲んでくれたこの一言で彼の残留は決定した。
よかった。本当によかった。
「うふふっ! 今年もよろしくねっ!」
あたしは彼の手を握りしめる。
妹さんが慌てて騒ぎ立てるけど、神代くんは放さないんだから!
やがて、手荒な歓迎をくぐり抜けて。
久しぶりに来た神代くんはみんなに引っ張りだこ。
梅原先輩と新しいプログラムを楽しんでみたり、菊池くん持参の美少女ゲームについて熱く語ったり。
そんな大歓迎な彼を妹の礼名ちゃんはじっと見ていた。
その顔には「わたしも一緒に部活をしたい!」とはっきり書かれているのだけれど、歯を食いしばり我慢している。きっと色々苦労しているんだわ。
「ねえ、本当にいいの。礼名ちゃんもコン研にいらっしゃいな。お金なら気にしなくていいのよ」
「あ…… ありがとうございます。でもあたし色々と忙しいですし、お世話になるんなら部費は絶対払うべきですし」
気丈にそう言う礼名ちゃんはとても健気で、あたしは彼女の手を両手で握りしめた。
決めたわ。この子はあたしが守ってあげる。
「真面目なのね。だけど困ったことがあったら、すぐにあたしに相談するのよ」
一瞬驚いた彼女はしかしすぐに嬉しそうに笑った。
「はい! ありがとうございます!」
「あたしをお姉さんだと思って、遠慮しないでね!」
「はいっ、嬉しいですっ!」
にこり笑顔が愛くるしい。
ホント可愛いわね、この子ったら。
「わたし、礼名ちゃんのお姉さんになってあげるから!」
「はいっ?」
「うふふっ、可愛いわね、礼名ちゃん!」
「あ、ああ、ちょっ、ちょっと待ってく……」
「…………」
「……っ!」
「……ふふっ!」
「わ、わ…… わたしのくちびるはお兄ちゃんだけのものなんですよ~っ!」
「大丈夫、女同士はべつばら、よ」
神代くんも部活続けてくれるし、可愛い妹も出来たし。
この一年も楽しくなりそうだわ。
ねえ、神代くん! 礼名ちゃん!
綾音ちゃんはちょっと欲張り 完