第2話 綾音ちゃんはちょっと欲張り(前編)
いよいよヒロイン3人衆のひとり、赤毛のお姉さま、桜ノ宮さんの登場です。
ぜひぜひお楽しみ下さい。
第2話 綾音ちゃんはちょっと欲張り
神代くんがコンピュータ研究部をやめるって。
そんな声が聞こえた。
「ご両親が亡くなったんだって」
「そりゃ大変だな。部活どころじゃないだろうな」
「ねえ菊池くん、その話もっと詳しく聞かせてよっ!」
あたしは思わず菊池くんの胸ぐらを掴んでワシワシと揺すっていた。
「わ、わかった。わかったから放してくでおお…… しぬ……」
「あっ、ごめんなさい」
「ぐほっ、げほっ…… もう、桜ノ宮さんは神代のことになったら……」
聞けば、冬休みの間に神代くんのご両親が事故に巻き込まれ亡くなったらしい。
だから暫く学校には来ないとか。
「ねえ、それで? 神代くんは元気なの? 学校はどうするの? どこかに引き取られるの? 転校したりとかないわよね!」
「だがらぐるじいって…… 放じでよ……」
「あっ、ごめんなさい」
あたしはまた菊池くんの胸ぐらを締め上げていた。
「ぐはっ、ぐへっ…… い、いや、それ以上は知らないよ、ホントに、ぐほっ……」
小太り気味の菊池くんは咳き込みながら首を横に振る。
そんな彼に何度も何度も謝ると、カバンを持って職員室に駆け込んだ。
だけど先生方も菊池くんが言った以上のことは何も知らなかった。
神代くんが大変なことに。
学校を出たあたしは普段とは違う方へと駆けた。
「大通りを真っ直ぐ進んで…… えっと、確かこの辺だったはず……」
神代くんの家は喫茶店をやってるって言っていた。行ったことはないけれど店の名前は知っている。カフェ・オーキッド…… あっ、あそこだわ!
勢いだけで来ちゃったけど、お店も家も灯りは付いてなさそうで。
そりゃそうよね。
もう、この家にいるかどうかもわからないんだし。
あたしはカバンから携帯を取り出す。
一度も掛けたことのない神代くんの番号に発信を……
と、あれっ? 向こうから歩いてくるのは神代くん?
「お~い! 神代く~ん!」
携帯を握ったままの手を上げて大きく振ってみる。
彼は不思議そうに声の方向を捜していたけれど、すぐにあたしを見つけてくれて。
「あれっ、桜ノ宮さん! どうしたのこんなところに」
「あの、ご両親お亡くなりになったんですってね。ご愁傷さまでございます……」
「ああ、わざわざどうも。そんなにかしこまらないでさ。えっと、よかったらうちに来る?」
喪服姿の彼はあたしを彼の店、カフェ・オーキッドに案内してくれた。
「ケーキとかアイスとかはなくってさ。コーヒーか紅茶しか出来ないけど、どっちにしようか?」
カウンター席にあたしを案内した彼はカウンターの中に立つ。
「そんなに気を使わないで。ちょっと帰る途中に寄ってみただけだし」
「ありがとう……」
あたしの家が全く方向違いであることは彼も知っていたと思う。けど、そこには触れず上着を脱いで黒いネクタイを外すとお湯を沸かし始める彼。
「突然来てごめんね。忙しいんでしょ?」
「あ、ううん。ちょっと親戚の家に行ってただけで。喪服はさ、その、他に着るものがないんだ。学校の制服かこれか、後はジーンズしかなくってね。コーヒーでいいかな? 実験台だけど」
「実験台?」
彼は頭上にある棚から大きな青い缶を取り出す。そして中からコーヒー豆をすくいグラインダーに掛けると微かにいい匂いが漂う。
「うん、美味しく出来るかわからないから実験台さ」
彼はそう言って悪戯っぽく笑ったけど、コーヒー豆を挽いてドリップの準備をしながらあたしにお冷やを出してくれる手際はこなれたものだった。
やがてお湯が沸き抽出が始まると胸のすくような甘くいい香りが漂ってくる。
「神代くん、凄いわね。本物の喫茶店のマスターみたい!」
「ありがとう。一応これでもマスター見習いだからね」
あたしの前に白いコーヒーカップを置いた彼は大きめのマグを持つ。
「寒かったよね。エアコンすぐに利くから」
「こちらこそごめんなさい。それより、神代くんこれからどうなるの?」
「う~ん……」
彼は暫く考えるとマグに口を付けて。
「実はまだ決まってないんだ。色々ややこしくてね」
「学校は? 転校とかないわよね?」
「う~ん、転校はないと思う」
「よかったあ!」
「でも、やめる、はあるかも」
「えっ?」
「まだ決まってないんだ」
「やめるって、そんなのダメよ! ねえ、お金? 施設とかは? 親戚は? お金なら……」
「心配いらないよ。困ったら相談するからさ」
「絶対よ! 勝手にやめたらあたしの赤ちゃん産んで貰うからねっ!」
「ははっ、それは無理だ。それよりコーヒー冷めるよ」
目の前の白磁にお砂糖を入れると一口戴いた。甘かった。紅茶は好きだけどコーヒーは滅多に飲まないから味なんかわからない。だけど、もっと苦いものだと思っていた。砂糖を入れすぎたのかしら。
「どうコーヒー?」
「あ、うん、美味しいわよ」
「よかった。キリマンジャロは上品な酸味と爽やかな香りで僕の一押しなんだ。自分で言うのも何だけど今日のは合格点かな」
彼は自分のマグを傾ける。
今度彼のコーヒーを飲むときは砂糖を入れるのやめよう。
あたしはそう思いながらまたカップを手に持った。
* * *
神代くんが学校に来たのはそれから一週間後だった。
コンピュータ研究部、略してコン研に来た彼は部長の梅原先輩に頭を下げた。
「かくかくしかじか…… と言うわけなんです。なのでコン研は退部させて下さい」
「いや、ちょっと待て。当面来れないのは理解するけど退部する必要はないだろう?」
梅原先輩は驚いたように黒縁眼鏡を外してまたかけ直す。
「いえ、恥ずかしい話、部費が払えないんですよ。なので、本当にごめんなさい!」
「おい、待てって。部費はなしでいいから、ちょっと待て」
「そういう訳にはいかないでしょう? 不公平ですよ?」
「事情があるし仕方ないじゃないか。特例だよ」
「ほんと、ありがとうございました。楽しかったです」
そう言うや部室を出て行く神代くん。
「待ってよ神代くん! 待ってってばあ!」
あたしの声も無視して彼は早足で歩いて行く。
「ちょっ、ちょっと! はあはあ…… 無視しないでよっ!」
「桜ノ宮さん! 廊下は走っちゃダメだよ」
「赤い髪の緊急車両は例外なのよ!」
両手を腰に当て彼を睨みつける。
「ははは。桜ノ宮さんには敵わないや。だけどここは僕も引けないんだ」
「じゃあ、あたしも引かない!」
あたしはそのまま下校する彼にピッタリと付いていく。
困った顔の神代くんだけど、あたしだって引けないわ。何でも相談してって言ったのに! 月三百円程度の部費なんて何とでもなるのに! 水くさいにも程があるわよね!
「わかったよ。実はさ……」
立ち止まった彼は周囲を見渡すと大通りから路地の方へと歩き出した。
そうして歩きながらぽつりぽつりと。
「僕には妹がいるんだけど、妹は全部やめちゃったんだ、ピアノもバレエも。それだけじゃない。家のピアノも売ることになったし、彼女の本棚も空っぽになった。そんな妹の手前、僕だけ部活とか許されないだろ」
「ええっ?」
習い事をやめた。それは理解出来るけど、どうしてピアノを売ったり本を売ったりしないといけないのか。そんなあたしの疑問に彼は苦笑いしながら。
「お金がないんだ。今の家に住んで喫茶店をやるためのお金がいるんだ。ローンを一括返済してお店の準備をしなくちゃだし、葬儀代とか、仏壇も奮発しちゃったし……」
ふたりは住宅街に児童公園を見つけベンチに腰を下ろす。
「お店の準備って?」
「ああ、実はね…… そうだ! 喫茶店やるのに手続きとか資格とかいるんだけど、詳しい人知らない?」
「喫茶店? やるって誰が?」
「ふっふっふ。僕だよ!」
自慢げに自分を指差す彼を見ながら、きっと誰か親戚の庇護の下で今の家に住み続けるんだ、と、その時のあたしは勝手にそう思った。
そうしてその夜、お父さまに詳しい人を紹介して貰った。