第1話 高田さんの朝
皆さまに支えられて完結しました【お兄ちゃんとの貧乏生活を守り抜く99の方法】のサイドストーリー集です。
本編で伝えられなかったお話、違う視点でお伝えしたいお話たちです。
御読笑戴ければ幸いです。
【番外編】お兄ちゃんとの貧乏生活を守り抜く99の方法
第1話 高田さんの朝
チリ~ン!
市場から仕入れを終えて。
店に戻り線香をあげると俺の自由な時間だ。
「じゃあ行ってくるよ!」
ひと仕事の後はやっぱりこの店に来なくちゃ始まんない。
「高田さん、いらっしゃいませ~っ!」
「おはよう礼名ちゃん! 今日もすっごい別嬪さんだねえ!」
「もう高田さんったら、もっと言ってくださいっ!」
カフェ・オーキッド。
高校生の兄妹がやってる小さな喫茶店。
いつも満開の笑みで迎えてくれるのは妹の礼名ちゃん。
苦労しているはずだけど絶対笑顔を絶やさない可愛くて利発な女の子だ。
うちの娘も生きていたら同じ歳。
こんなに娘になっていたのかな。
「こらっ礼名、図に乗らない! すいません高田さん、今日もサンドイッチで宜しいですか?」
そしてマスターはのっぽで温厚そうなお兄さんの悠也くん。
そんなにイケメンと思わないけど、腹が立つほどモテやがる。俺も若い頃はモテたんだけどなあ。
そんな悠也くんに注文を伝えると、いつもの窓際の特等席に陣取る。
「はい、おしぼりですっ!」
「おっ、ありがと! やっぱ美人に貰うとおしぼりの手触りも違うねえ!」
ほどよく暖かいおしぼりで手と顔と首筋、そして最後に腕を拭う。
朝仕事の汚れが付いたそれをテーブルに投げ置くとグッとお冷やを飲み干す。
ここのお冷やはレモンスライスが浮かんでいてスッキリ爽やかな気分になれる。
「はあ~っ! 一気に疲れが吹っ飛ぶよ」
僕に笑顔を向ける礼名ちゃんは新しいおしぼりをテーブルに置くと汚れたそれを引き上げる。
「どうぞごゆっくり!」
もう、とっても気分がいい。
うちのかーちゃんも少しは礼名ちゃんを見習えと言いたい。あれでも昔は可愛かったんだけど、今じゃその面影は……
だからお冷やを注ぎに来てくれた彼女に、ついこんな事を言ってしまう。
「やっぱり礼名ちゃんは商店街の女神さまだよ! うちのかーちゃんもさ、昔は商店街の人魚姫って言われてたんだけど、いつの間にか商店街の小便小僧になって、今じゃ商店街のマーライオンって呼ばれる始末。ホント、がっかりだよ」
「あ、いや、奥様は今でもお美しいじゃ……」
「いいっていいって。見た目も行動もがっかりだけど、客寄せの目印にはなってるし」
「誰が役立たずな客寄せマーライオンですって!」
「おっ、お前、いつの間にっ、うげぶへっ!!」
いや、毎日のことだからどこかに潜んでいる事は分かってるんだけど、礼名ちゃんが助けてくれるから、やめらんない止まらないんだよな。
「はいっ、奥様そこまでです~っ!」
「はあはあはあ…… ごめんね礼名ちゃん」
「はあはあはあ…… いえいえい、いらっしゃいませ、奥様」
いででで……
しかしまあ。
多分、うちのかーちゃんも礼名ちゃんがいるから、安心して手荒なまねをしている。それが証拠に家ではこんな酷い目に遭ったことないし。
って、マジ痛えな。腕、折れてないだろうな。
そんなこんなで美味しいハムサンドを頬張って。三十分ほど経つと、喫茶店はだんだん忙しくなる。
肉屋の三矢に三十路OLの太田さんと細谷さん、競馬新聞を握りしめた安目くん。この店に来る全てのお客さんに礼名ちゃんは笑顔で声を掛ける。そろそろ俺はおいとまするか。
うちの店は八百屋の八百高。
開店までまだ二時間ある。
店に戻ると特売のトマトときゅうりのポップを作る。そうそう、昨日の残った大根も早く売らなきゃ。うちでは大根は葉を切って店に並べるけど、最近は最初から葉が切られているのが多くなった。大根の鮮度のためとか流通の都合とからしいけど、あれば礼名ちゃんが喜んで買っていくのに。だから市場や問屋さんに頼んで余ったのがあれば貰ったりもする。礼名ちゃんの喜ぶ顔が見れるから。
しかし。
「お金は受け取ってください!」
「タダでいいんだってば。どうせ捨てちまうんだ!」
「いいえ、そういう訳にはいきません。だって、例え市場から貰ってきたとしても輸送費とか掛かってるでしょ? 高田さんが時間を割いて下さったんでしょ?」
「そうかい、じゃあ十円」
「いいんですか十円で? じゃあ、お言葉に甘えますね」
彼女は十円を手渡すと笑顔を見せて帰って行く。
ご両親が亡くなって、親戚の支援も受けてなくって、生活は苦しいって知っている。
だから、人参もじゃがいももレタスもきゅうりもピーマンも、礼名ちゃんには全部タダであげたい。かーちゃんだって文句は言わないはずだ。
去年の正月だった。
礼名ちゃんのご両親が亡くなったのは。
それはあまりに突然で、俺もかーちゃんも、商店街の誰もがビックリした。
とっても美人で朗らかで、俺たちが中吉小町と呼んでいた商店街のマドンナ。まだ若かった礼名ちゃんのお母さんも、そして実直で子煩悩だったお父さんも亡くなったって。
残された悠也くんと礼名ちゃんはどこかに引き取られるだろうと思ってた。
だけど、驚いたことにふたりは自分たちだけでお母さんの喫茶店を引き継いだ。
「誰かに支援とか受けてるのかい? 悠也くんはまだ高一だろ! 礼名ちゃんは中学生だし、大丈夫かい?」
「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫です。支援とかは受けてませんけど、商店街の皆さんは優しいですし」
「わたしたち頑張りますので、ご贔屓にしてくださいねっ!」
高校生と中学生だけで生きていけるわけがない。
引き取り手がないのだろうか、こんなにいい子達なのに……
俺はそう思った。
かーちゃんも同じ考えだったらしく、俺らはふたりを引き取ろうと話をした。
うちには子供がいない。
もし生きていれば礼名ちゃんと同じ歳の女の子はいたけど。
勿論俺とかーちゃんの子だ、あんな美人でもなけりゃ賢くもなかっただろうけど、他人事には思えない。
しかし。
「実は親戚が引き取ってくれる話はあるんです。だけど断っているんです。高田さんの気持ちは大変嬉しいですけど、見守ってください」
ふたりは僕たちの提案をそう言って断った。
だから。
俺は毎朝あの喫茶店に顔を出す。
「いらっしゃいませ~っ!」
礼名ちゃんは今日も元気ですこぶる別嬪さんだ。
しかも最近妙に女性らしくなった気がする。
「お兄ちゃん、オーダーですっ! モーニングひとつっ!」
「……」
あれっ? 悠也くんの顔が赤い。
「なあ礼名ちゃん、最近何かいいことでもあったのかい?」
「はいっ、よくぞ聞いてくれました。実はわたしとお兄ちゃんは、ついに男と女の間柄になったのです! 凄いでしょ! あっ、勿論わたしが女で受けですよ! お兄ちゃんはあんな風におとなしそうで優しいですけど力は強くて簡単に礼名をホールドしてくれるんです。やっぱり攻めはお兄ちゃんに決定ですよねっ!」
「おい礼名、勘違いするようなことを言うなよ! あっ、高田さん、これ、社交ダンスの話ですから。昨日、社交ダンスのレッスン受けてきたんですよ。それで僕と礼名が男女ペアになったって話で……」
「もうお兄ちゃんったら! 礼名のこの体は全てお兄ちゃんに預けたじゃないですか!」
「だからそう言う表現はするなって!」
また礼名ちゃんのお兄ちゃんラブが始まった。
もうこの店の名物と言ってもいい。
「いいじゃないか悠也くん。ねえ礼名ちゃん、もっとのろけてよ」
「はいっ、高田さんが沸騰するくらいのろけちゃいますねっ! それでですね……」
カフェ・オーキッドにはいつも笑顔と笑いが絶えない。
そう。
だから俺たちはこの店が大好きだ。
高田さんの朝 完