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『とんだ贈り物』 ~密約の代償~

さあ、久々の投稿です。


弱小浅井は投稿すればするほど、ブックマークが減って正直凹んでおります。


「まあいいや」気長にやろう(泣)

という事で、少しお休みしていた久政の投稿です。


いくつか暖めていたプランをひとつに絞りました。


天文15年(1546年)20歳


先年の秋の除目で正五位下 宮内大輔を賜った。

新年のご挨拶に、献金50貫と折々に必要な物、米、塩、お酒、お茶、塩乾物、果物、木工品を献上した。


ちまちまと朝廷献金するのは、500円貯金みたいだ。



― 夏 ―


将軍足利義晴公は細川氏綱、畠山政国、遊佐長教らと通じて晴元を排斥しようと画策した。


義晴は京都郊外の東山慈照寺(銀閣寺)に入り、遊佐・氏綱の両名は軍を率いて各地で晴元方を破っていった。しかし晴元の重臣・三好長慶の弟である三好実休や安宅冬康(鴨冬)らが四国から軍勢を率いて渡海し上洛すると一気に形勢は不利になってしまった様子だ。


11月に北白川の瓜生山城に入城したものの晴元と対立して敗れ(舎利寺の戦い)、近江坂本に避難した。


12月19日に嫡男菊童丸を元服させてた。「義藤(=義輝)」である。

(後に義輝と改名するし、面倒なので「義輝」ね。)

翌20日には義輝に将軍職を譲った。

以後は大御所として幼少の義輝の後見人となり、義輝と共に慈照寺に帰った。


義晴公本人は英才教育のためみたいな事を言っているが、もはや何もかもがイヤになったのではないのだろうか?


六角定頼が細川高国と共に12代将軍足利義晴の擁立に貢献した。

義晴からその功績により管領代に任命され、さらに従四位下に叙されることとなった。



~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



歴史の流れは、たぶん順調である。

(実は、よく知らない)



それよりも面白い話を聞いた。

織田信長(12)が、元服したそうだ。


「今なら勝てるだろうか?」


いかんいかん! いらん”ちょっかい”を、かけたくなってきてしまった。


だめだ、ダメ。

『信長は地雷だ!』

会えば、絶対後悔する。


『前に一度失敗しているじゃないか』


儂の勘がそう告げている。


頼みの綱である、我が嫁 『謙信ちゃん』 もまだ万全ではない。

切り札の『長政』に至っては、たぶん転生者では無いようだし、如何せんまだ乳呑み児である。


他力本願が信条の俺としては、ここは様子見するのが”吉”である。

今のところ、なんと無しに上手くいっているが、油断は禁物だ。


「今は、内政をするのみぞ」

気分を入れ替え、仕事に精を出した。


海津の田屋家

海北綱親、赤尾清綱、雨森弥兵衛清貞

雨森彦左衛を招集し北近江の発展のための議論を尽くした。


俺、浅井頼政は、今や高島から湖北・佐和山一帯を含む地域を領有しているのだ。

念願だった、江北の支配をほぼ確立したのであった。


これで、さらに交易の一端を押さえることが出来る。


敦賀郡司家の朝倉景紀かげとし殿と、さらなる交易のための協議をする約束を取り付けた。

その席で嫡男・景垙様も同席いただき、こまかく説明した。

朝倉景紀殿からは、「息子に担当させるゆえ協力して欲しい」とお願いされた。



~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



というわけで、俺が信長に会ってみたいのを必死にガマンしている中。


再び土岐頼純と土岐頼芸、斎藤道三との間で和議が成った。


何のことやらと判らない人も多いだろう。

斎藤道三が、頼芸を追放して一時美濃を支配仕掛けていたのだが、その頼芸を織田信秀が拾ったのだ。


 しかも信秀の上手いところは、

”土岐家による美濃支配を回復する”という大義名分で、本来頼芸の敵である頼純を味方に引き入れた。

そのおまけで朝倉がついてくるし、六角家も介入せざるを得なかったというわけである。



和議は、朝倉孝景、織田信秀の室町幕府への働きかけに加え、頼芸の同盟者である六角定頼の仲介もあったらしい 。

道三と孝景が和睦し、その和睦の条件が頼芸の守護退任であったため、頼芸は守護の座を頼純に明け渡した。

新興勢力の台頭を潰そうとする、守護家の執念が垣間見える。



「斎藤さんも大変だな」

素直に面倒くさい話である。



斎藤道三側が、織田信秀に荷担した朝倉・六角にまんまとしてやられたという形だ。


とりあえず、この和議を有効活用しよう。


「お~い、みんな集まれ! 戦をするぞ!!」


浅井家は、斎藤道三とは同盟を結んでいるし、六角家の事も気にしなくていい。

もちろん、朝倉は織田とは本来犬猿の仲である。

六角家は将軍を抱えている関係で、守護を擁護せざるを得なかっただけである。

(頼芸を切った事で良く判るだろう。)



京極高延は、すでに浅井家の勢いに呑まれ、家臣、国人領主の離反が相次いでいる。


俺は、一気に京極高延の上平寺城を攻め立てた。


鎮西為朝公の再来!と『浅井頼政』の武名は轟いている。

京極勢は、ついには城を保てなくなり、美濃へ逃亡した。


「追撃するぞ!」


逃げた高延を追うという名目で、そのまま美濃へ乱入した。

そして、去就を迷う関ヶ原を武力で制圧しこれを掌握した。


もちろん以前から調略は進めていたが、その仕上げが今回の軍事行動である。


西美濃は、織田信秀の脅威にさらされている。

まだ斎藤家が支配していない、今がチャンスなのである。


意外ではあるが、斎藤道三は織田信秀に対してメチャクチャ弱いのである。



斎藤家、六角家に遠慮せずに西美濃を浅井がいただくとしよう。

次は、垂井の諸将を調略しておこう。


あまりやり過ぎて、斎藤道三を怒らせないようにしないとな。


『美濃のマムシ』は、伊達ではないぞ。

戦は多少弱くても、他がえげつないのである。



土岐頼純は、天文16年11月、守護となって一年後、急死した。享年24才。

朝倉孝景は、天文17年3月に突然死去。享年56才。

(一説には、天文16年10月とも言われている)


偶然にしては出来すぎている。おそらく道三の手にかかって殺害されたものであろう。

(流石は斎藤道三、朝倉孝景の母は土岐氏で、妹も土岐氏に嫁いでおり、朝倉が相当目障りだったのだろう。)


他にも……

天文2年(1533年) 長井長弘、暗殺 (1530年説もあり)

天文10年(1541年)頼芸の弟、頼満を毒殺。



とまあ、まさに『マムシ』ですよ、くわばらくわばら。


でもまあなんというか、強い奴、身分の上の者に噛みつく所が、さすがですねぇ。

そんな風に思って感心していると、道三から密約の誘いが来た。



「密約? なにそれコワイ」

そう思ったのだが、


まあ単に『織田信秀に対して協力しましょうよ(でないと……判っているよねぇ)』


という、表面上は穏やかながら、行間は物騒なものだった。


「おのれ道三! ヘタレな俺を脅すとは」


死にたくないので、お手柔らかにと従った。斎藤家と密約が成立した。



~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



― 密約締結のおまけ(ご褒美?) ―



こわごわ、近江柏原の宿で使者と秘密の会談を持った。

使者は、竹中重元であった。

(ぜひ配下に欲しいところである。)


まあこいつならば、道三の懐刀と言ってもいいであろう。

密約を締結した。


斎藤道三は織田信秀を警戒し、揖斐川以西を譲るという秘密同盟を持ちかけてきた。

よほど窮しているようである。


内容としては、浅井に不利な点はなかった。


とはいえ密約なのであるが、やはりそこは戦国時代。

道三から”人質という名目”で、手際よく子女が送られてきていた。


一瞬『監視役か?』 とも思ったが、まあ、俺へのあからさまなプレゼントであった。



「嫁入り道具を持ってくる人質が、どこにいるんだよ~」

と叫んではみたが、後の祭りである。


さすが道三、よく相手(敵)を研究している。



仕方が無い、密約なのでこっそり連れ帰り ”お楽しみ”することにした……。

(浅井家の家風とは、そういうものなのである。)



― 小谷城某所 ―


さて、いかが致そうか。


名を尋ねると、驚くなかれ帰蝶であった。


懐剣をしっかり握りしめるように持っていたので、……

「お父さんに刺すように言われたの?」と尋ねたが。


「ごめんなさい」と泣き崩れた。


泣かせてしまった、申し訳ない。

つい帰蝶だから、この逸話に突っこまないとダメだと思って、やってしまった~。

流石に12歳では、上手く対応出来なかったみたい。


でもまあ、泣き濡れて怯える帰蝶は、「可愛いではないか!」


罰として、すこしだけ痛くした。

痛みに耐える帰蝶。 デラ、カワユス。



斎藤道三の娘・濃姫(帰蝶12歳)を俺に嫁がせることで、斎藤家と密約が成立した。




ホント、浅井家ってなんなんでしょうね?

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