喜助、元服前の物語
遠藤(喜右衛門)尉直経のお話しである。
天文5年(1536年)
ひとりの少年が、父親に連れられ小谷城に登城した時から、この物語が始まる。
ボクの名前は、喜助5歳。
先日、小姓になったばかりだよ!
若様に名前を付けていただいたんだ。
「将来は、”きうえもんのじょう”を名乗れ」とまで言われている、だから喜助だそうだ。
……良くわかんないけれど…、
あの父上が喜んでいたので、とても凄いことなんだと思う。
「やぁ、よく来てくれたね。これからようしく!俺の事は夜叉様と呼んでくれたまえ。君の忠誠を期待しているよ」
「はっ、せいしんせいいがんばっておっかえいたしまちゅ。」
(父上から教わった口上を必死に喋った…噛んだ…どうしょう怒られるのかなぁ)
こわごわ、上目遣いで、若様を見たよ。おこってなさそう?
「うんうん、舌たらずでカワイイではないか。」
「はう」
(良かった、お優しい方だ。よし、もう噛まないぞ!)
「よいよい、よろしくな、喜助」
「はい、猿夜叉たま」
(うっ、また噛んじゃった。Orz)
「夜叉だ!夜叉様と呼べ!」
「すっすいまてん、やちゃたま?」
(え、気にするのはそっちですか?って、また噛んだ)
「まあよいわ、…」
「……(恥ずかしいよぉ)」
これがボクと、殿との初めての出会いだった。
そうして、喜助のご奉公の日々が始まった。
「若様は凄い方で、まだお若いのに大人顔負けの働きをしているんだって~」
ボクは、子分の友松と手習いを習っている。
早く若様のお役に立ちたいな~。
でもボクより年下の友松の方が、かしこいのが気にかかる。
ションボリうなだれていたら……。
「ん、どうした? 喜助、元気がないぞ。」
「うわ~ん」
泣いてしまった。くやしかったし、情けなかった。
「なんだ?悪さをして、誰かに怒られたか?」
若様が優しく慰めてくれた。
「勉強が…友松のほうが……」
うまく言葉にならなかった。
「なんだ、喜助は元気なのがいちばんだぞ、友松は気弱だからな勉強を頑張らねばならんが、
喜助には、『猛将』に成ってもらわねばならん」
「もうしょうですか?」
「そうだ、強い武将だよ、ただ強いだけではいかんぞ、忠義の臣でないといかんなぁ」
「ちゅうぎのしん?」
「そうだ、喜助にはまだちょっと難しいかな?その為の勉強だ。誰かと比べるものでは無いんだよ」
「半分ぐらい判りません」
「そうかそうか、なら勉強だな。勉強とは、『自身が強くなることに勉める』と書くのだ」
「はい! 強くなりまする」
(やはりボクには、勉強が必要なんだ。「もうしょう」と「ちゅうぎのしん」のことを父上に尋ねよう)
天文7年(1538年)
若様に、お子さんが生まれた。
『コウノトリが運んできた』 そうだ。
深雪様のお腹が膨らんできて怖かったけれど、それはあまり関係ないらしい。
というか、
『奥さんをお腹いっぱいにする甲斐性がある人の所に、赤児を運んでくる』 んだって!
『お腹が膨らむのも、そのしるし』だそうだ。
なるほど、だから若様の所に来たんだ~。
というか、深雪殿は奥さんだったんだ?
その後、小谷の戦火を逃れるべく疎開した。
若様は、今後を見据え、各地を廻られた。
(お子さんを授かったばかりなのに、若様というのは大変だなあ。)
越中までは、一緒に連れて行ってもらった。
越後は、お留守番だった。(寂しいです。)
視察を終えて、敦賀に帰りました。
そして、……。
ボクは、『阿久琵』姫の子守という、大役を仰せつかった。
妹が出来たみたいで、可愛いです。
姫もボクのことを気に入ってくれているみたい、うれしいな!
稽古と勉強と、子守のお仕事、毎日が忙しいです。
天文9年(1540年)
越後へ出掛けておられた若様が、虎千代(10才)を連れて、屋敷に帰ってきました。
(虎千代?あいつは敵だ! ボクの野生の勘が、そう告げました。)
若様が、しきりに文を交わしておられた方が、コイツとは……。
― 遠藤喜助が、なんだか不服そうです。
喜助(9)・友松(8)は、あくび姫(2)の子守役です。 ―
天文10年(1541年)
京極のバカどもが、小谷を攻めてきたんだって。
若様は、ボクが御護りするんだ。
磯野のアニキは出陣する。
虎千代も友松も貞吉や継潤も、若様の指示で影ながら参戦した。
まさか本当に使ってもらえるとは思っていなかった。
てい良く、お留守番を任されるのかと思ってたんだけど……若様の信頼が厚いのが嬉しい。
「よ~し大弓(弩弓)で、若様の援護だ!!」
「「「お~っ」」」
若様の教育が良いのか、大人の人が素直に従ってくれた。
立派な武者振りの若様は、絵巻物の英雄のようだ。
僕たち小姓組も興奮した。
「若様、かっこいい」
「頼政殿、凛々しいです」
「鎮西八郎為朝公みたいだね」
友松が上手いことを言う。
大弓で敵を射すくめる若様は、本当に格好がよかった。
天文11年(1552年)
大殿が身罷られ、若様が後を継がれた。
お正月いきなりのことでした。
浅井頼政公の小姓として、さらに頑張りたいと思う様になった。
政務に取りかかられる頼政公、浅井家の重みが両の肩にかかっています。
とてもお忙しそう。
もっとお役に立ちたいと、心底思っている。
「友松!ここを教えてくれ!!」
「どうしたの、いきなり勉強に熱を入れるなんて、珍しいじゃないか?」
「勉学にも力を入れないと、若様のお役に立たないじゃないか」
「喜助も、ようやく本気を出す気になったか?」
「ああ、本気で頑張る、友松も本気出せ!」
「まったく、やれやれだね」
「ああ、ヤレ!ヤレ!だっ!!」
「「ハハハハッ……」」
そうして、時は緩やかに過ぎていく。
殿の正室の小野さまが、観音寺城にて『鞠子様』を授かったそうだ。
皆に、コウノトリの話を聞かせてやった。
小姓組の皆が感心していた。
博識な友松のニヤニヤはともかく、虎千代の見下したような視線が気になる。
(やはり奴は敵だ!)
天文12年(1543年)
去年から、虎千代の様子がおかしい。
たまに吐いているし、殿の身の回りの世話とか、軽い作業しかしていない。
(何だか、とても気になる。)
虎千代のお腹が、どんどん膨らんでいった。
「虎千代、お前大丈夫か?」
ボクの心配をよそに、虎千代が睨んでいる、なんで?
”ばしっ、どごっ、ぼす”
……鶴千代様に、ボコられた。
なんで~!
そして、『虎千代かいにん』の話をきいた。
「解任?腹が出てきたから辞めさせられるのか?」
「「喜助!あんた、ばか~っ、解任じゃなくて懐妊」」
ハモられた。
「しょうがないわね~」と、ばかりに鶴千代様に字を教わった。
『懐妊』?
なにそれ?
「「……」」
結局、その日はそれまでだった。
翌日から、虎千代が女装していたのには、正直笑った。
かいにんに伴い、奥へ移動らしい。
「くぅ~くくっ、笑えるぅ~」
さっそく友松に、このおもしろ話を教えてやった。
「笑えないし、笑えるのは喜助だよ~」
「?」
「はぁ~やれやれ、喜助は喜助の仕事をした方がいいぞ」
「まあ、そうだな、虎千代が抜けた分、俺達が頑張らないとな」
(悔しいがあいつは、意外と優秀だったからな、抜けた穴をしっかり埋めねばな)
「そう言うこと」
そして、月日が経ち…。
虎千代が、男子を出産した。
ご長男である。
『虎夜叉』さまと、名付けられた。
「虎千代は誰にも渡さんぞ、いずれ虎夜叉丸には越後をやろう!(虎千代が、切り取るはずだ!)」
(殿が変なことを言っている……。)
そうて虎千代は、名実ともに 『虎御前』 となった。
「……なんで! 何でなんだぁ~っ」
喜助は、大人に一歩近づいた。
さすがは喜助!
直経だけにバツグンの安定感!!
ギャグ要員決定か?




