表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

『 元服 』

斬九郞となったばかりですが。

元服いたします。

史実とは、まったく関係のない妄想です。

ご了承ください。


天文8年(1539年13歳)


 今年も新年のご挨拶に、献金5貫と折々に必要な物、米、塩、お茶、塩乾物を献上した。

「戦火を受け、民に救荒作物として備蓄しておいた分を放出しました。六角の蹂躙の被害を受けた領民に私財を分け与えた」ことを報告し、献金が少ない事を詫びた。

 俺には別にそんなに被害はなかったが、タマにはこう言わないと、つけあがられても困るからな。

案の定、「お見舞いの言葉」をいただけた。

コツコツと、イイ人の印象をつけよう。


 ともあれあの後、亮政(じいさま)は六角定頼への従属姿勢を示しつつ、越前国の朝倉氏との友好関係を強化した。

江北に教えの勢力を伸張する本願寺勢力とも宥和政策を推し進めているところだ。

 亮政は着実に江北の有力大名?に成り上がっていった。

負けて偉くなるところが、亮政(おやじ改メ祖父)はスゴイ。

まあ、とりあえず少し休憩と言ったところか?



 あの後、虎千代から頻繁に手紙が届いた。

妙に懐かれたものだ。可愛いではないか。

きちんと贈り物(お菓子)付きで返事を出しておいた。

甘栗と砂糖漬け干し蜜柑、塩昆布とかをスゴク喜んでくれた様だ。

ついでに、特製のおもちゃも送ってやった。


 和尚は清酒をことのほか気に入ったらしい。

 (生臭坊主め!)

「多少の酒はくれてやるから、販路を確保しろ(坊主に声かけしろ)」と伝えたら、注文が殺到した。

やはり越後の人間は飲んべえだ。

米を輸入してでも増産だ、ひやっほい。



 三好長慶が細川晴元に反旗を翻し、京の政情が不安になった。


 天文8年(1539年)1月末に長慶は晴元を酒宴に招いたらしい、その席で元々奴の父が任命されていた河内十七箇所の代官職を迫ったが、主人の晴元はそれを聞き入れず、長慶は直接幕府に訴えたとか。


 幕府の内談衆である大舘尚氏は、『長慶の要求が正当かも?』というテキト~な判定をした。


そらモメるわ!


 12代将軍足利義晴は近江守護の六角定頼を通じて晴元・長慶間の和睦交渉を斡旋するも不首尾に終わる。


 長慶は、上洛時に2500の人数を率いていたため(予定通りなのか?)、この数と石山本願寺法主の証如の後ろ盾を得て京都に入京した。


 晴元は閏6月17日に退京して高雄に移り。(あっさり逃げた?)


 義晴は諸大名に出兵を命じる一方で定頼と共に両者の和睦工作を続け、夫人のと嫡子の義輝を避難させた。

(とばっちり!ごくろうさまです)


 この混乱で京都の治安が悪化したため、義晴は仕方なしに、長慶に京都の治安維持を命じている。

戦闘はあったらしいが、小競り合いだったそうだ。

 7月末、長慶は六角・武田(わかさゆえ~近い!)などの諸大名を敵に回すことを恐れて和睦を承諾し、山崎から撤退した。

代官職は与えられずじまいだったそうな。


『六角さん』、他は、忙しそうだったが、江北は平和で良かった。

ようやく落ち着いたようだ。


 ちょうど良い機会なので、親父に頼んで元服した。

ご機嫌取りと嫌がらせを込め、従属している六角定頼様に烏帽子親をお願いした。


 諱の『頼』をいただき、頼政と名乗る予定であります。


 出来れば、『長政』が良いので、三好長慶に頼んでみたいのだが……。

ものすご~く、揉めているし。

それはまず無理だろうしね。

 今後の展開を考えるならば断然六角の庇護を受けるべきなので、かような次第となった。



 江北の国人衆は、敵の六角に膝を屈するのがお気に召さないようだ。

皆を招き酒宴を開く。


その席で。


「江北の安寧の為だ!今は、辛抱の時です。」


「浅井の力では、京極高延、髙吉の兄弟げんかに巻き込まれるだけでも厳しいので、この際勢力の大きい六角を頼ります。親父には六角との関係が不都合になった時は、私(次期海津領主)を廃嫡していただきたいと申し入れた。」


「いざ江北の為ならば、廃嫡していただいても謹んで従います。」と、演説をぶった。


俺の悲壮なまでの決意を聞き、ほろ酔い加減の国人衆はとっても感激していた。


(チョロい!)


11月


俺の門出だ。

冬の遅い夜明け。

日が完全にのぼり、明るくなるのを待って観音寺城へ向かう。


 家臣達の見送る顔が不満そうだ、おいおい、子供じゃあるまいしそう不足そうな顔をするなよ。

「みんな、ホント『六角さん』が嫌いだな~」


「「「「当然です!」」」」


「やれやれ、目出度い門出なんだから騒ぎを起こすなよ~!」

 にこやかに笑って城を出る、供回りを引き連れ一路南へ馬を進める。

今回は城下の寺に宿を借りているので、先ずはそこに入った。

観音寺城の本丸御殿へ伺候し六角定頼様に元服の儀についてのお願いのご挨拶を言上する。


吉日、

六角定頼様が、俺の烏帽子親となり……俺はようやく元服をはたした。

諱をいただき『 浅井(斬九郞)頼政 』となった。

(源三位みたいな名前だ、椎を拾って、リスになりたいな~。)

くだらないシャレを考えつつも、儀式は進んで行く。

六角家の大広間にて盛大にお披露目をおこなった。


 都合3日間の日程をつつがなく終えた。

六角定頼様、そして、国人の皆様にご家来衆からもお祝いを頂き儲けました。

元服直後ですが、家臣というか宿老の跡取り扱いです。

まあ、浅井家の取り込み家臣化した事を内外に知らしめるべく俺を見せものにするのが六角家のねらいだからな。

領主の烏帽子親と云う契りで、絆を固められたからには、浅井家は重臣並の扱いが妥当だ。

 (そらそうだよな、江北の皆が発狂するくらいに俺が譲歩したんだからそれくらいは当然だろう。)

 観音寺城の一角、そこそこ便利の良い所に夜叉丸という曲輪をもらった。

平井某という重臣の方が定頼様に提案したらしい。

(縁ちゃんのパパか?)

館も格式にのっとっているし、立派なもんだ。

家臣として重く取り立てるという意味もあるが、家人は態の良い人質だろう。


 小谷の家臣が五月蠅くなったら、ヤバイ女はここに住まわせるようにしよう。

人質にもなるし、定頼殿は安心するだろうし一石二鳥だ。

六角家にして見れば、浅井を完全に取り込めたと思うだろうし良いじゃないか。

まあ、曲輪をもらえるならもらってやるさ。

どうせタダだし。



六角ともパイプが出来た。


 祝言の宴会の席では、浅井家(もしくは田屋家)次期当主?として、いろいろな方と伝が出来たのが嬉しい。

来客には俺の新作の清酒「湖水」と濁り酒「さざ波」をたんまり飲ませてやったから良い宣伝になっただろう。


 会場は金屏風絵(2次絵)を飾り立てたし。(俺が下書きを描いた。)

大広間の板張りの部屋に江州畳を持ち込んで敷き詰めてやったしな。

尻が冷たくないから、宴会が盛り上がって、みんな欲しがってたぞ。

俺の焼いた茶碗で皆に茶を点てた。

茶もそうだが酒も醒ヶ井や髙月の名水で仕込んでいるからな。

上手いのは保証してやろう。

今まで険悪だった方からも、こっそりとアプローチがあったので、よほど旨かったのだろう?

 利権関係をご祝儀として、どさくさ紛れに浅井側が確保する事にも成功した。

何せ、この時代はぜにが絡むととてもややこしいのだ。

金も使うし気も遣う。

まあ、江北の家臣達にとっては気に入らんことかもしれないが、観音寺城の宴も俺にして見れば新開発の製品を売り込むチャンスと割り切れるしな。

営業活動だ。

商売、商売サービス!だ

 これからは、ややこしい商人達との利害調整も六角家のご威光で難なくクリアだ。

内部に浸透し、交渉をおこなっているみたいなものだからな。

俺って営業マン(忍者)みたいだな。


 俺の感覚でも、武(いくさ馬鹿)の尾張者に知(おりこうさん)の近江者と云うイメージなのに、なかなか家臣団が強情なのが解せぬ。

ほんと、バイブル様々です!


そんな事を考えながら小谷の館へと戻る



「若様の元服、非常に目出度い。」

という触れ込みで城下で盛大に祝言のお祝いのお祭りをおこなった。

 浅井の諸将や領民を驚かすよう密かに仕込んでおいたのだ。

爺や側近、小姓を通して宿老と城下の商人に声を掛けておいた。

酒、餅、酒肴を大量にそろえ、来る者皆に大盤振る舞いした。

城には招かれない武士、兵士、足軽、町人、職人、近隣の農民、女、子供、分け隔て無く皆にふるまう。

 仮設の建物やテントを黒鍬衆(仮)に用意させ、火をたき、暖をとり、温かい鍋をふるまう。

大きな鍋には鴨と野菜を使った暖かいうどん汁だ。


 酒飲みにはどぶろく、白酒、秘蔵の澄み酒も樽でふるまう。

つまみにはおでん、味噌田楽に、煮付け。


 下戸には温かいお茶に甘酒だ。

紅白の大福餅とおかき…。


 みんなの胃袋をわしづかみにした。

唄や、お囃子。

笛に太鼓に鼓。

剣舞に相撲。

子供には来る正月用に独楽に羽根付き、祝いの言葉を書いた凧。


 子供達が早速、凧を揚げる。

一緒に家臣の子供が特製の大凧をあげる。

「浅井家万歳」「若様万歳」「若さま!元服おめでとう」と大書してある。

それを見て皆が唱和する。

浅井家万歳!若様万歳!!若さま元服おめでとう!!  


不満をためていた宿老や武将も麓から聞こえてくる領民の笑い声を耳にしてにこやかに笑ってくれた。

雨森、海北、赤尾、磯野、遠藤、阿閉など皆にはいろいろお祝いの品をもらった。

他の武将も「さすがは若さまである」と、口々に褒められ忠誠を誓ってくれた。

 (チョロすぎますよ皆さん!!)


 重臣達を接待し、浅井の一員であると認識させます。

単純な上に純朴過ぎて、コワイです。

江北の人はいい人たちです。


その日から3日3晩楽しく宴が続いた。



 もらった屋敷には、代理人(人質)として妹(亮政養女)を送っておいた。

観音寺城に泊まる時の夜伽にするつもりだ。

どうせ、俺以外誰も来ないだろうし、俺の秘密基地にしよう!!

とりあえず嫁(深雪)に見つかると、ヤバそうなものをこちらで保管しておく。


 元服後、俺は、北陸方面の商売に精を出した。

湖上運送の拡大も視野に入れたい。

京、堺へは、怖くて直接は手が出せなかったのだ。

塩津で交易するに留めておいたからな。


 そうそう、言い忘れていた。

 俺は小谷城下、すぐ目の前の虎御前山に下屋敷をかまえている。

まだ屋敷の規模は小さいが、これから拡充するつもりだ。

なんといっても、信長・秀吉が砦を構えた要地だ。

 (ひさまさ氏も、『長政?~』の猿夜叉丸に、ここに拠点を構えさせたかったらしいのだ。が、「規模が弱小に釣り合わないから」と、泣く泣くボツにしたそうだ。皆に親しまれる『お気楽な小説』を目指しているクセに考えすぎだと思う!)


 もう元服したのだから、俺はそのくらいの我が侭は押し通した。


 今のところ、「若(俺)が明政公の跡継ぎでいいんじゃねぇ?明政公に男子いないし」となった。



長政?と、似ているようで違います。

バイブルを参考に出来たのか?否か?


とりあえず、つっ走らせます!!


 この話に出てきた、『タケダさん』は、若狭の武田家です。

甲斐の武田では、ありませんのでご注意を。

何かある度、甲斐から武田が出張って来ては、江北のひとは大迷惑ですから!

近場の武田さんです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ