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「おいっ、ロラン! なにモタモタしてんだよ!」

 怒鳴り声よりも早く、拳は飛んできていた。後頭部を横から殴られ、踏ん張る余裕もなくロランは地面に倒れていた。背負った籠の口から、中に入っていた木の実が地面にこぼれてしまう。それを見たガスが舌打ちをして、爪先で倒れたロランを小突いた。

「お前がモタモタしているせいで、いつまでたっても貯蔵庫の整理が終わらないじゃないか! 遅れて怒られるのはお前だけじゃないんだぞ!」

 痛む後頭部を押さえながら、ロランは立ち上がり、小声で「ごめん」と言った。それを聞いて、ガスはまた大きな舌打ちをする。それでも殴ろうとしなかったのは、リーダーとしての責任感故だろう。今年の春十五になったガスは、クベック村の子供たちのまとめ役になっていた。村の子供たちに仕事を指示し、見張り、大人たちに報告する役目を負っているのだ。ロランの仕事の遅れはガスの責任にもなる。昨年までのように、ただ怒りをぶつければよいというわけにはいかなくなっていた。まして、ロランに怪我を負わせてしまえば、それこそガスの責任を問われることになってしまうのだ。

(でも、なんでこんなに苛立っているんだろう?)

 ガスの怒りが、だがロランには理解できなかった。保存用の木の実や山菜の採集は、午前中子供たちがやることになっていた。比較的安全な村の近辺や、街道の脇の森で集め、昼までに戻ってくるようにと言われていた。今、日は丁度中天に差し掛かったところだ。ロランは決して遅れたわけではなく、時間を使っただけ充分な量を集めてもいた。なにかとロランにきつく当たるガスも、普段ならこんな風に怒ることはないはずだった。

「ったく、お前、今がどういう状況かわかってんのかよ! のんびりやっている余裕なんてないんだぞ!」

 内心首を傾げるロランの間近まで顔を近づけ、ガスが一際大きな声で怒鳴った。そのとき、ガスの頬が腫れていることにロランは気づいた。そこで理解した。なにか仕事を失敗したのか、ガスは大人の誰かに怒られたのだろう。その腹いせにロランを怒鳴っているのだ。八つ当たりではあるが、時間ぴったりということは、言い換えれば時間ギリギリということでもある。余裕をもって帰ってこなかったロランを注意しているといえば、理屈は通るだろう。実際ガスがそこまで考えているかどうかはわからないが。

「ほんとロランはどうしようもねぇなぁ。もうちっと周りのことも考えて仕事してくれねえとさぁ、みんなが迷惑するんだぜぇ」

 そう言いながら、ロランの黒髪を引っ張ったのはクートだった。ガスの一つ下で、いつも取り巻きみたいに側にいる少年だ。体格は十歳のロランよりはましといった程度で、頑丈そうには見えない。その弱点をまるで補おうとするかのように、口が達者な少年でもあった。

「……ったく、さっさと貯蔵庫にそれ入れてこい! 昼飯食ったら、すぐ柵作りの手伝いだからな! 遅れるんじゃねえぞ!」

「ここは町じゃねぇんだからなぁ、のんびりモタモタやってたらまた晩飯抜きだぜぇ」

 怒鳴ったガスが背を向けて歩き出し、クートが笑いながら後を追う。一人残されたロランはため息を吐いて、それからこぼれた木の実を集め始めた。籠を一旦下ろし、拾った木の実を中に入れていく。怒りはわかなかった。皆不安で余裕のない状況だ。誰かへの八つ当たりが繰り返され、最後に自分に辿り着くのも仕方ないことだろう。

(半分余所者だもんな、僕は……)

 胸中で呟きながら、ロランは母譲りの黒髪をいじった。この村には本来存在しないはずの髪の色。町の血が入っている証だった。

 ロランの父、ブロウは村の人間だった。だが、母のエレンはもとは町の人間だったのだ。ブロウによって半ば無理やり村に連れてこられたエレンは、二年前に他界するまで、ずっと村人には受け入れられなかった。エレンに付き添ってきた祖父も同じで、そして町の血をひく自分も余所者扱いを受けてきていた。産まれたときからの変わらない扱いに、今はもう慣れてしまっている。心が麻痺しているだけかもしれないが、慣れも麻痺も同じようなものだろう。今更八つ当たりで殴られたぐらいでは、怒る気持ちもわかないことには変わりがない。

(でも……問題だよな……)

 籠を背負いながら、ロランは思った。問題なのは自分への八つ当たりではない。八つ当たりが連鎖するほど、村を不安感が覆い、まとまりがなくなっていることが問題だと思ったのだ。誰もが不安に目を伏せ、怯えに背を震わせ、それを誤魔化すかのように声を荒らげている。村の近辺に魔物が現れてから、日増しに村の空気は重くなっていた。村と森の境界線にある巨大な柵、村を守るために作られているはずのその柵が、なぜだか逃げ場を奪う壁にようにすら見えてしまう。

 柵から目を逸らし、ロランは貯蔵庫に向かって歩き始めた。それと同時に、怒声がロランの耳朶を打っていた。

「おい、ちゃんと巡視隊には連絡したんだろうな!」

「しつけえなぁ、ちゃんとしたって言ってんだろ!」

「はっ、どうだかなぁ。下っ端の兵士にあしらわれて帰ってきちまったっていうのが、ほんとのとこじゃねえのかなぁ!」

「ふざけんなよ! 俺がどんな思いで化け物がいる森の中、馬を走らせたと思ってんだ!」

 家畜小屋の壁を補強している男二人が、激しく言い争いをしていた。その脇をロランは足早に通り過ぎた。のんびり歩いていたら、また八つ当たりの矛先がこちらに向きかねない。自分の扱いを諦めてはいるが、だからといって殴られたいと思っているわけではない。避けられる暴力は避けたかった。

 足を速めるロランの背に、重たい音がぶつかった。先程の男たち、どちらかがどちらかを殴ったのだろう。

(嫌な空気だ……)

 巡視隊が来れば、少しは改善されるのだろうか? ロランにはそうは思えなかった。たとえ巡視隊が来ても、村を覆う不安が払拭されることはないだろう。巡視隊の緊張は村人に伝播するだろうし、戦いが長引けば疲労が蓄積していく。森に住み着いたらしい魔物が一掃されるまで誰も安心できず、この空気の重さも解消されることはないだろう。

(こんなとき……冒険者がいれば……)

 ロランの脳裏に、祖父が読み聞かせてくれた物語がよぎった。それは心躍る冒険者の活躍だ。危険な古代遺跡から財宝を見つけ出し、凶悪な盗賊団を捕まえ、戦火から難民たちを救い出し、異形の魔物を打ち倒す。必要であれば強大な悪鬼邪竜にすら恐れず挑む、勇敢な冒険者たちの物語。それを思い出したロランの口元が一瞬ほころび、

『俺は、冒険者じゃない』

 心中に響いた声に、笑みを消していた。思い出の物語が一斉に姿を消し、代わりに一人の男の姿が浮かび上がる。一昨日、森で泥鬼に襲われていた自分を助けてくれた男だ。板金で強化された皮鎧を身に着け、バスタードソードを自在に操り、泥鬼を次々と屠っていった男。大きな弓や魔法の短剣までも使いこなし、森の中を自由に駆け、魔物を全滅させた男。その姿に、ロランは男を冒険者に違いないと思った。だが男は、ロランの言葉を否定していた。にべもなく、自分は冒険者ではないと言い切ったのだ。

「……冒険者じゃ、ない」

 男の言った言葉を口にする。祖父の話の続きが思い出された。そう、祖父もいつか言っていた。冒険者の物語に瞳を輝かせるロランに、寂しそうな口調で言っていたのだ。

 もうこの世に、冒険者はいないのだ、と。


 大革命。今から十年前のその年を、大陸の人々は大革命の年と呼んでいた。

 大革命。そう呼ばれはしても、実際どこかの国で革命が起きたわけではない。王家の簒奪、国家の転覆、市民の蜂起、そういったこととは一切無縁であり、それどころかなにか大きな事件が起きたわけですらなかった。

 だがそれでも、十年前は大革命の年であった。まるで線を引いたかのように、十年前よりも以前と、それ以降とでは、国の内政が大きく変わっていたからだ。

 なにが変わったのか。一言で言えば、国が一つの「国」としてまとまり、機能するようになったのである。

 大革命以前の国家は、独立した小さな都市国家の寄せ集めのようなものであった。地方ごとの領主や貴族たちの力が強く、各地はそれぞれ独自の法でまとめられていた。領主たちは建前として王家に忠誠を誓ってはいるが、有事の際を除けば命令に従うこともない。王家も、年ごとの税金さえ支払われていれば、それ以上を領主たちに求めることはなかった。その関係は、領主とその領土内の市町村の関係にもそのまま当てはまった。それぞれの市町村は独自の法でまとまり、税のことを除けば各地の長の裁量は最大限認められていた。その地でどれだけ不正が行われていようと、税さえ払われていれば正す者はいない。また、その地になにか危険が迫っても、益なしと見なされれば平気で領主から見捨てられた。悪徳商人の餌食になる農民や、魔物に襲われる貧村は珍しくなく、彼らのために騎士隊や巡視隊が動くことはまれであった。だからこそ、報酬次第でどんな仕事でも引き受け、時には報酬度外視で危険に挑む冒険者が重宝されていたのである。

 その状況が、十年前改革されたのだ。十年前のそのとき、王侯貴族の間でなにが起き、内政が改められたのかはわからない。一国だけでなく、まるで示し合わせたかのように大陸中の国家で改革が行われたことも平民たちには謎であり、その詳細を知る民はいない。だが大革命は確かに起き、国の内政は大きく変わったのである。国には統一の法が定められ、領主も各地の長も、自分たちの一存でその法を変えることは許されなくなった。騎士隊や巡視隊が各地を見張り、悪徳商人は捕まり、魔物は討伐されるようになった。そればかりか、遺跡の調査や商隊の護衛のようなものまで、国家の法に則り、然るべき組織が行うようになっていったのだ。国の許可なく武器を使用した者が、罰せられることもあった。法が統一され、然るべき組織や団体を国が運営するようになると、民は自然と国家へ陳情を行うようになっていった。普段の税金で国は動いてくれる。だが冒険者に依頼するとなれば、その報酬を新たに自分たちで用意し、支払わなければならないのだ。どちらに助けを求めるかは明らかであろう。

 そうして、冒険者の仕事は減り、活躍の場は奪われ……やがて姿を消していったのである……。


「ロラン! なにやってるんだ、お前は!」

 父の怒鳴り声を聞き、ロランは慌てて本を閉じた。本をしまうのは後回しに、書庫を飛び出ようとする。だがロランの行動はわずかに遅く、その手が扉に触れるよりも先に、出入り口の戸は開いていた。

 外には、怒りに顔を歪ませた父、ブロウが立っていた。

「お前はまたこんなところで!」

 怒声と一緒に拳がロランの頬を打った。殴り飛ばされ、ロランは書庫の床に倒れ込んだ。祖父のガルフの遺した本の一冊、今読んでいた『大革命の書』が体の下敷きになってしまう。紙が破れる嫌な音が聞こえ、頬の痛みよりもその音にロランは涙を浮かべていた。

「お前は何度言ったらわかるんだ、ロラン! くだらない本なんか読む暇があったら、家の仕事をしろと言っているだろうが! 農具の手入れはどうした! 家の周りの雑草抜きは! 昼飯の片付け以外にも、やることはいくらだってあるだろう!」

 倒れたまま、ロランは父の怒声を黙って聞いていた。本当ならすぐに立ち上がって、下敷きにしてしまった本の状態を確かめたかった。だがそんなことをすれば、父がなにをするかわからない。背中の下にある本を見られただけで、今度こそ本を燃やされてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。祖父と母がロランのためにと村に持ち込み、遺してくれた本なのだ。なんとしても守らなければならなかった。

「ごめんなさい……」

 本を隠すように上体を起こしながら、ロランは謝った。顔を伏せ、もう一度「ごめんなさい」と口にする。

 ブロウは悪態をつくと、書庫の扉を殴りつけた。

「はっ、エレンと同じでお前も大層頭がいいようだがな、本なんかいくら読んでも村の仕事の役にはたたねぇんだよ! 当てつけみてえに書庫に籠もる暇があったらなぁ、家畜の世話でもしろってんだ! 老いぼれ馬の方がお前なんかよりもずっとましなんだからな!」

 戸を殴り、更に蹴りつけてから、ブロウは背を向けて廊下を歩いていった。遠ざかる足音に安堵の息を漏らし、すぐにロランは立ち上がった。本を拾って状態を確認し、破れた箇所がほんのわずかであることにまた安堵する。

「ロラン!」

 父の怒声が聞こえ、ロランは慌てて本を書棚に戻すと、外に飛び出た。忘れずに扉を閉め、鍵をかける。昔から父は粗暴な性格だったが、母が他界してから更に荒れるようになっていた。書庫にうっかり入られたら、なにをされるかわからない。鍵をかけておけば、さすがに戸を壊してまで中に入ろうとすることはなかった。

(今はまだ、だけど……)

 年々自分に対しての八つ当たりはひどいものになっている気がした。今はまだ大丈夫だろうが、いつか書庫を壊され、中の本を燃やされてしまう日がくるかもしれない。紙の本の貴重さに気づき、町で売り払われる危険性もあった。それらのことを想像すると、ロランの体は恐怖に震えた。紐で首からさげた鍵をぎゅっと握り締めた。

(仕事をすれば、少しは落ち着くかな)

 柵作りの手伝いまでには、まだ少し時間がある。それまでなにか家の仕事をすれば、父も満足するかもしれない。

 そう思ってロランが家の外に出たのと同時だった。馬のいななきが辺りに響き渡ったのは。

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