第四話 鉱山都市イェルガルツ
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世界は大別すると人間と魔族、二つの勢力に分かれる。
険しく厚い山脈により両断された大陸の東側を人間、西側を魔族が治め、その均衡は永く崩されてはいない。
数百年に及ぶ人間側の歴史には戦争の記録は残されていないが、歴史の前段階、神話の時代には、大地の利権を賭け両者が総力を挙げて争ったと伝承されている。
が、その存在が伝説のものというわけではなく、今でも時折ふらりと魔族が人間の領地に現れ、破壊行動を行うことがあった。そういった者は人間の中でも力のある者を募り、どうにか撃退はしているが、両者の実力差は圧倒的でとても人間側から魔族領を攻めることは不可能であると考えられている。
ではなぜ魔族が攻めて来ないのか、という点はいまいち明らかではなく、人間側で諸説述べられてはいるがどれも確かではない。
ただ、世界中に蔓延り人や家畜に被害をもたらす怪物、魔物と呼ばれるそれらは魔族の眷属だとする説が有力で、魔物が人を襲うのは魔族が人間の所有する土地を狙っているためだという論が一般的である。何かしらの理由があり魔族自身はなかなか大陸のこちら側には来れないが、その代わりに魔物を派遣しているのだ、と。実際に、魔族領に近い西に向かうにつれて魔物の被害は増え、魔族が魔物を人間領へ送り込んでいるという証拠とされている。
そのため人間領と魔族領を分断する山脈ともなれば最も魔物の出没が多い土地になるが、それを差し引いても魅力的な条件が、そこにはあった。山脈は非常に魔力と鉱物に恵まれた、宝の山だったのだ。
それに気づいた人間の国グランヴェルは、領地にほど近い山脈の一角を開拓し、採掘を開始する。対魔族の前線を敷く要塞都市より更に西に位置するそこには、採掘のための人員の他に、次々と湧き出る魔物に対抗すべく傭兵も共に派遣された。
――これが、鉱山都市イェルガルツの起源である。
始めは開拓団と傭兵が数人だけの、単なる採掘拠点であった。それが徐々に規模が大きくなり、傭兵だけではなく人間領をあちこち旅しながら魔物を倒す、冒険者と呼ばれる者たちも集まりだした。更に、その場で採掘される上質な金属や魔石を求め、多くの職人達もそのイェルガルツに居を構え、傭兵や冒険者を相手に商売を始めたのだ。危険は多いが、鉱物が手に入りやすいだけではなく、大気や大地に魔力が満ちたこの地は、加工に魔法を使う職人達にとっても、適した場所だったのだ。
イェルガルツはその起源から、独自の発展を遂げた今も国から派遣される常駐の兵より、傭兵や冒険者の占める割合が多い。魔族領にほど近いここには貴族も存在せず、主に傭兵・冒険者・職人・商人のギルドによる自治によって成り立っていた。
こうして徐々に栄えたイェルガルツは、人間領と魔族領の中心に位置しながらも、グランヴェル有数の都市へと発展を遂げたのだった。
その、イェルガルツの坂道を一人の若者が歩いていた。
年の頃は二十代前半、質素な軽装に身を包み、少々傷んだ金髪を風に靡かせて歩く彼の腰には、二振りの剣が下げられている。装飾は少ないが、頑丈に作られたそれは、ここイェルガルツで作られたものだ。
山脈の裾野に広がる形で形成されたイェルガルツには、坂や階段が多い。初めて訪れる者はすぐに息を切らせるその急な坂を、人々の間をすり抜けて遙々と進むその若者の足取りには、疲れも迷いも見られない。
彼の名はローレン・クラレンスといった。腰の獲物とそのがっしりとした体型からわかるように、ローレンはこの街を守る、傭兵の一人だ。
ふんふんと鼻歌さえ響かせながら、彼は坂を登る。大通りから一本路地へ入り、木造建築のこじんまりとした店のドアを開いた。カラン、とベルが鳴るのを背に、彼は店員の不在など気にかけずにぐんぐんと店内に入っていく。
ローレンは狭い廊下を通り抜け、勝手に奥の扉を開いた。
「よう。まーた篭ってんのかよ」
ローレンの声に振り返ったのは、この店の店主、エレノアだ。
今日も何時間も作業机にかじりついていたのか、魔石の光に照らされたその顔には疲れが滲んでいる。
ベルの音で気がついていたとはいえ、許可なく入り込んできたローレンにエレノアは呆れたため息をつく。
「ローレン、勝手に入ってこないでよ」
「客じゃねぇんだしいいだろ。で、今日はなにやってんだ?」
近寄ってきたローレンが興味津々に手元を覗き込むので、エレノアは丁度完成した魔法石を彼に見せた。淡い青の滲む魔法石だ。
ローレンは側にあったエレノアのコップの中にその魔法石を入れ、起動させる。じわじわと湧く水を確認し、満足そうに頷くと石を取り出して、その水を一気に呷った。
「ちょっと、売り物なんだから!」
「いいだろ、コップ一杯くらい。坂登ってきて疲れたんだよ」
ぷはぁ、と飲み干したローレンから愛用のコップを取り返し、エレノアは眉を吊り上げたが、彼に反省する気配はない。
豪快というか、遠慮がないというか。彼の性格をよく知るエレノアは、厳しく言っても意味がないことを知っている。
彼女は仕方なく消費した分の魔力を魔法石に補充し、完成品の袋に詰めた。これで、湧水の魔法石が十個揃ったところだった。クレイからの依頼を受けて数日、この分ならば期日までに間に合いそうだ。
「すげぇ量だな……。またあの人?」
エレノアが凝り固まった肩を解していると、側に置いてあった大きな鞄を覗き込んだローレンが感嘆の声を上げた。クレイが持ち込んだ、例の鞄だ。
灯と湧水の魔法石をそれぞれ十個仕上げて別に分けてあるが、まだまだたくさんの魔石が詰まっていた。
ローレンは、いつか見かけた細身の商人の顔を思い浮かべる。軽くだが、面識があったはずだ。
「そう、クレイさん。今回はお任せ分も頼まれたの」
「ふーん。ご贔屓にしてもらってよかったじゃん」
「まぁね。期待に応えられるよう頑張らないと」
そう張り切って次の魔石を手に取ろうとしたエレノアを、ローレンが止めた。
緑色の魔石を取り上げられてエレノアはローレンを恨めしそうに見上げたが、彼は苦笑し、エレノアの背を軽く叩いた。
「一旦休憩。どうせまた飯食ってねぇんだろ、食いに行くぞ」
「……まぁ、ちょうど区切りよかったし、いいか。ローレンのおごりね」
「はぁ!?」
ローレンに促され、エレノアは例のごとく忘れ去っていた空腹を思い出したらしい。作業の続行は諦め、食事の誘いに乗ることにした。
軽口を叩いて立ち上がり、それまで束ねていた髪を解くと、さらりとした亜麻色の髪が彼女の背を覆った。わざわざ着替えるようなことはしないが、それがエレノアの公私切り替えの合図だった。
「貧乏傭兵にたかるなよ。エレノアの方こそ仕事入って潤ってるくせに」
「わかったわかった、じゃあ割り勘ね」
「そこは奢れよ!」
クレイの前払い金のおかげで確かに重くなった財布を手に取り、エレノアはローレンと連れ立って店を後にした。この様子を魔王が見ていたとしたら、おそらく相当へこむだろうということを、エレノアは知らない。
二人並んでがやがやと賑やかな街の中心地へと向かう。食べ物屋が多く並ぶ通りに出て、馴染みの店を選んだ。
「それにしても久しぶりね。いつ戻ったの?」
適当にいくつかの料理を選び、運ばれてくるのを待つ。
その間、そういえばローレンに会うのは一ヶ月ぶりだったと思い出し、エレノアは近況を聞いた。ついつい作業に没頭しすぎて、日付感覚が狂いがちなのだ。
「昨日。で、ろくに寝てなかったしそれから爆睡して、目が覚めたら腹減ってさ」
「へぇ、お疲れ様」
「へぇってお前、大変だったんだぞ」
傭兵と言っても、この街に常駐し警備するだけが仕事ではない。
確か一ヶ月前ローレンは山脈の調査の依頼を受けたと言っていた。出くわした魔物の群れと戦うこともあるらしい、危険な任務だ。死者が出ることも少なくはない。
だが、何度か請けたことがあっても毎度大した怪我もなく帰ってくるローレンを見ているエレノアとしては、あまりその実感はなく、労いの言葉もあっさりとしたものだ。
期待しているわけではないが、今回も地味に死線をくぐり抜けてきたローレンとしては、その様子は少々物足りなく感じた。彼は拗ねるように腰につけたポーチから、石を取り出した。
「みろよ、これ。出る前にエレノアにもらった魔法石なんだけどすっからかんだ」
ローレンから受け取り見てみると、それは確かにエレノアが魔法を刻んだ石だ。中級の炎の魔法を刻んだその石は、すっかりと魔力を失い、ただの石ころとなっていた。わずかでも魔力があればまた補充することも可能だが、こうも使い切ってしまえばそれも難しい。
そもそも、この魔法石はローレンの剣に取り付けられていたはずだった。
「魔物の一撃を受けたら取れちまったんだよ。で、ついでだし新しいもんつけてくれ」
「……私、武器はあんまりつくらないんだけど」
「幼馴染のよしみだろ」
本来、エレノアの専門は日常使うような日用品ばかりだ。生まれ育ったイェルガルツの土地柄、戦いや武器に対して批判的な意見を持っているわけではないが、いざ作るのはあまり得意ではない。
が、ローレンも引く気はないらしい。にっこりと言い切られたところでタイミング悪く料理が運ばれて来てしまい、エレノアはなんだかんだと押し切られてしまった。
ローレンは、エレノアの幼馴染だ。父子家庭で育ったエレノアは、幼い頃はよく近くの教会に預けられていた。戦いに身を置く者が多いこの街の教会は、孤児院や託児所の役割も持っており、そのためそうして子どもが預けられるのはこれといって珍しいことでもなかった。
エレノアの父親は傭兵ではなく、今のエレノアと同じ魔刻士だったのだが。
その教会でよく一緒に遊んだうちの一人が、このローレンだった。昔から仲がよく、お互い教会に世話になることがなくなり独り立ちした後も、何かと親しくしている腐れ縁だ。
「私が作るより、武器専門の人に付けてもらった方よくない?」
「高い」
「あ、そう……」
こんがりと焼かれ、肉汁を滴らせる鳥肉をかじりながら、ローレンは言い切った。本当に腹が減っていたのだろう、すごい勢いで平らげられていく肉を見ながら、エレノアは仕方がなく諦め、おとなしく彼のために魔法石を刻んでやることにした。
エレノアは武器の受注は基本的に受け付けてはいないので、それに関してはローレンの専属になっている。ローレンはローレンで、この調子でエレノアにしか依頼はしていないらしい。
武器としての加工はあまり得意ではないが、幼馴染が野垂れ死にしないためにも多少の練習はしておくべきなのかもしれない。
そんなことを考えつつ、エレノアは塩気の効いた野菜と干し肉を煮込んだスープを啜り、追加注文をするローレンを眺めた。
エレノア自身も食事を抜かしていて腹が減っていたはずなのだが、ローレンの食いっぷりを見ていると、それだけで満足するような気になってきた。
(……奢るなんて言わなくてよかった)
三人分は優に平らげたローレンを見て、エレノアは内心胸を撫で下ろしたのだった。
ちょっと説明文多め回でした。字が詰まってる……。
▽訂正
誤字修正しました。